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文学としても見せ方もしっかり心得ている、集史制作者、ラシード。
(私が読めるのは、日本語訳されたモンゴル帝国史の方ですが)
戦闘回避の為に、ギリギリまで下手に出る「モンゴルの一首領」のエピソードに、
珍しいなぁ、モンゴルにもこんな奇特な人がいるんだ、誰だろう?
と思いながら読み進めていくと、最後の最後に注釈で、
「このモンゴルの一首領は、チンギス・カンの長子、ジュウチであった。」
・・・あ、なるほど。

しかも、オトラル事件の次の記事として入れてあるので、
国家戦略までまげて和平するつもりかジュチ?!υ とあせるのですが、
実際にはこれは、大征西の2年前、オトラル事件の前の年(1217年)のことで、
征西とは直接関係のないエピソードです。

モンゴルは普通、戦争準備に2年かけるので、その後の年表見る限り、
このころはいずれホラズムと戦うことは決まっていたはずなので、
ホラズム軍と出会っても、なるべく戦わないようにと
決められていたはずですしね。
(吹っかけられた場合は仕方ないので一当たり揉んで、
体制に問題ない状態で夜になったらさっさとバックレたと。)