アムダリアの南というと、現在のトルクメニスタン、イラン、アフガニスタンあたり。ホラーサーン地方。
このあたりから、局地で負けはじめたり(切り崩し工作とかやってないから)、命令以外の行動が増えたりします。
シギ・クトクはあたったのが野戦の天才ジャラール・ウッ・ディーンだったので、
将軍というより行政官スキルのシギ・クトクでは、負けても仕方がないと思いますが)

文字小さすぎて読めないのでここに書きますが、
240万殺されたとするヘラト市の遺構を発掘調査してみると、
10万人収容するのも難しいくらいの規模の都市なのだそうです。
この当時の世界最大都市(特に人口が多い)は中国の南宋の首都、杭州ですが、
そこでも住民は100万から150万くらいだったとされているので、
いくら栄えているといっても、首都でもない中央アジアの都市に、100万の人口が居るわけないのです。

征西に出たモンゴル軍は全部かき集めても10万ちょっと、
どう多く見積もっても20万を超えることはありえないとされていて、
それを各将軍が率いて分散してるわけですから、一つの城攻めに参加するのは多くても2万くらい。
一人何人殺せばそんな数になるのやら。

記述がオーバーになったのは、他にもカルチャーショックが重なったりなど、
いろんな理由が重なった結果ですね。