健康志向が米国を狂わせる―アトキンス・ダイエットで牛泥棒横行

農業情報研究所WAPIC)

04.4.14

 ありとあらゆる食品が溢れるなか、人々は安全であるだけでなく、体に良い食品を求めて右往左往している。消費者が何を食べるかの選択は、次々と新製品・メニューを売り出す食品企業・大規模小売業や外食産業の意のままになってきた。ところが、ここへきて肥満病や健康被害への警鐘も頻々と鳴り響く。健康志向が「クレージー」なほどに高まったが、これも健康食品・機能食品・サプリメント企業の餌食となる。ダイエットで命を落とす者まで現われている。消費者は、一旦譲り渡した「選択権」を取り戻す力さえ失っているようだ。

 そんな中、欧米では「低糖質・高蛋白質・高脂質」の食品を推奨する「アトキンス・ダイエット」が大流行している。米国人医師・ロバート・アトキンスが自らの減量のために考案した方法だ。その著書は既に1,500万部を売ったという。マクドナルドも早速この流れに乗った。全米1万3千600のレストランで、牛肉・魚・鶏肉をレタスで包んだパン無しの新タイプバーガーを来月から販売するという。マクドナルドのスポークスマンは、「我々は顧客主導のビジネスだ、顧客の希望に耳を傾ける」、パン無しバーガーはその結果だという('Bunless burger' heads for Britain,Independent,4.11)。消費者の「クレージー」な健康志向は、外食産業の大御所まで「クレージー」にした。

 「クレージー」はここで終わらない。米国では、アトキンスのお陰でBSEも何のその、牛肉志向は増すばかりのようだ。牛肉産業はここ数年、強い牛肉需要に支えられたかつてない高値でわが世の春を謳歌してきた。BSEによる日本などの米国牛肉禁輸にもかかわらず、牛肉需要は衰える気配がない。米国農務省(USDA)の3月の発表でも、強い需要と飼育条件悪化による生産の低迷により、BSE確認が発表された昨年12月23日以来の輸出禁止の影響は覆されるという(http://www.ers.usda.gov/publications/ldp/Mar04/LDPM117T.pdf)。今年も高値は続くと予想されている。

 この牛肉ブームは「牛泥棒」の横行まで引き起こしている。シエラネバダの山麓から西部平原の一帯では、旧き西部に共通の犯罪であった牛泥棒が戻ってきた。カウボーイは、明らかに「ダイエット・クレイズ」のせいだと言う。保安官もこれに同意する(Across the Western Prairie,Bane of Ranchers Resurfaces,The Washington Post,4.11)。狙われるのは、騒がれることなく、烙印も押される前の生まれたばかりの子牛、道路際に縛り付けておいて夜陰にまぎれてトラックで運び去る。一分もかからない。監視カメラを設置するなどの防衛措置を講じる牧場主が増えているが、広大な牧場のこと、完全な防衛は難しい。生まれると同時に耳標を付けた牧場の子牛は、耳が切り取られていたという。一旦運び去れらた牛が発見されても、証拠は滅多に挙がらない。DNA鑑定も導入されているが、見つかるのは氷山の一角という。西部劇でお馴染みの保安官もお手上げだ。DNA鑑定の結果、盗まれた牛は隣の牧場にいたという例もある。盗まれた子牛は直接か、仲介商人を通じて、別の牧場に売られるのだと言う。

 これも高値で売れればこそだ。だが、商売になるのは買う者がいるからだ。牛飼育業者のモラルはどこまで落ちているのだろうか。彼らには、「トレーサビリティー」などもってのほかだ。

 「クレージー」は酪農にも影響を及ぼしている。低迷していた酪農製品の価格が回復しつつある。先のUSDAの報告は、この冬のバターとチーズの卸売り価格は通常の季節動向に反して高騰、3月半ばのバター価格は昨年12月末以来1ポンド当たり80セントの急騰、01年夏以来初めて2ドルを超えたと言う。チーズ価格も50セント以上の高騰、03年のピークを凌いだ。

 価格回復の原因が供給不足にあることは明らかだ。過去数年、飼料コストの上昇と価格低迷で、多くの酪農農家が撤退した。乳牛の数は90年代末以来最低の900万頭に減っている。昨年の牛乳生産は1%増加しただけだ。今年の最初の3ヵ月には1%減少した。しかし、需要は回復しつつある。少なくともその原因の一部は「アトキンス・ダイエット」にある。12日付の「クリスチャン・サイエンス・モニター」は、「酪農製品への需要は、一部は、ホールミルク、チーズ、バターなどの高脂質の食品を食べることを強調するアトキンス・ダイエット・クレイズのために強まってきた」と書く(We all scream over the price of ice cream,Christian Science Monitor,4.12)。だが、牛乳生産はすぐには増やせない。同紙の記事は、BSEの発見以後、カナダからの牛の輸入の禁止で乳牛更新市場は干上がっており、米国牛の価格を押し上げていると指摘する。さらに、多くの酪農農家が使い、牛乳生産を25%以上増やすというモンサント社の合成成長ホルモン(Posilac)の安全性への疑念が高まっているという。

 いつにない早期からの暑さで中西部では早くもアイスクリーム・シーズンに入ろうとしているが、アイスクリーム企業は喜んでばかりもいられない。バター油脂のような原料乳製品の卸売り価格が高騰、最近のコスト上昇で小売価格を2倍にせねばならなかったという。価格が高騰しているのはアイスクリームだけではない。牛乳、バター、チーズの価格も上昇、ピザ・メーカーは、単独では最大のコストをなすチーズの値上がりで、価格引き上げを迫られている。先月末のシカゴ商品交換所で、チェダーチーズ500ポンド・バレルは1.91ドルと、99年8月の過去最高値・1.88ドルを上回る値を付けた。夏に向かって、価格はますます上がると予想される。エコノミストは、牛乳生産はいずれ回復に向かうだろうし、需要も和らぎ、価格は下がるだろうが、最大の問題はその速さだと言い、すべてを傷つける突如の相場崩壊を恐れているという。

 食をめぐる米国人の「クレージー」な行動は、米国社会全体を「クレージー」にしているようだ。それはどこからきたのだろうか。どうすればとまるのだろうか。誰も答えを出していない。BSE騒ぎなどなかったかのようだ。日本人にも「クレージー」の兆候はある。米国牛肉の輸入が再開されれば、日本人向けに味付けされた油だらけの牛肉をレタスに包んで食べるのだろうか。糖質の多い米に乗せた「牛丼」は、アトキンスには禁物だ。だが、少々の「プリオン」は気にしない。特定危険部位が完全に除去されているかどうか分からない牛肉、(肉骨粉禁止が徹底しているのかどうか分からないのだから)検査で陰性と出たが感染していないとは限らない牛の肉を平然と食べている。「全頭検査」で安心させたから、誰も厳格なチェックなど要求しない。牛泥棒まで横行する米国では、何が起きても驚かない。だが、日本でやっていない厳格なチェックを米国に要求できるはずもない。

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