米国 牧場に出さなくても”草飼育牛”の基準案 狂牛病でも無傷の工場牛肉生産

農業情報研究所(WAPIC)

06.8.7

 米国農務省(USDA)販売局(AMS)は今年5月、”草で育てられた牛肉”(grass-fed beef)という自主的表示の最低要件を、動物の”生涯におけるエネルギー源の99%”以上が”草”または茎葉飼料で賄われることとする案を8月10日を期限とするパブリック・コメントに出した。

 http://www.ams.usda.gov/lsg/stand/ls0509.pdf

 ”草で育てられた牛肉”の表示基準は、大量の牛を狭い飼育場に閉じ込め、専ら穀物(主にコーン)を与え、抗生物質や成長ホルモンをふんだんに使う現在の”標準的”米国産牛肉の生産方法(フィードロット肥育)に対抗、”草だけ”で牛を育て、それが牛肉の食品としての安全性や健康上の価値(栄養価など)を高め、環境にも優しいと訴えてきた小規模養牛農家が要求してきたものだ。

 多くの人々は、米国の肉牛や乳牛が生涯の大部分を緑の牧場で草を食んで幸福に暮らすを思い込んでいる。しかし、実際には、 ほとんどの牛が生涯の多くの部分を数百、数千の牛が密集するフィードロットで、大量の穀物を含む飼料を食べて過ごす。牧場の牛は滅多に病気にならないが、このような牛は病気になりやすく、病気を防ぎ、成長を促進するための抗生物質を日常的に与えられている。それは抗生物質が人間に効かなくなるリスクを高める。さらに、フィードロットが引き起こす大気や水の汚染や、穀物生産に使われる大量の肥料や農薬は環境、農民・農業労働者・近隣住民の健康の重大な脅威になっている。これに関しては、既に多くの証拠がある。

 この方法での牛肉・牛乳生産は狂牛病のリスクも高める。大部分の哺乳動物蛋白質を反芻動物に与えることは禁止されたとはいえ、豚・鶏・ぺットフードへの利用は許されているから”交叉汚染”の可能性がある。そればかりか、肉骨粉入り飼料が含まれる恐れのある養鶏場廃棄物はなお牛の飼料として利用でき、狂牛病感染源としての疑いがますます濃くなっている獣脂の利用なしでは、このような経済効率最優先の飼育方法は成り立たない。

 草だけでの牛飼育は環境破壊を減らし、動物の健康を改善し、抗生物質の利用を減らし、狂牛病のリスクも大きく減らす。その上に、最近の研究は、草だけで育てられた牛の肉や乳が人間の健康にも有益な脂肪成分(オメガ3脂肪酸)を一層多く含むことも明らかにしている。

 UCS:Greener Pastures(2006.3)

 ところが、AMSの基準案が実施されれば、このような草で育てれら牛肉の利点の大部分が引き飛んでしまう。この案によると、99%のエネルギー源が草または茎葉飼料(貯蔵飼料、サイレージ、分離された穀粒なしの作物残滓、さらに自然に付着した種子などの利用も許される)でありさえすればよい。生産者は緊急時以外は牧場で草を食べさせることを基本としているし、消費者もそう信じるだろう。ところが、フィードロット肥育でさえ、この条件さえ満たせば”草で育てられた牛肉”を名乗ることができる。ホルモンや抗生物質の使用もできる。この案には強い反対が起きているという。

 USDA rule proposal stirs definitive dispute,Arizona Daily Star,8.2
  http://www.azstarnet.com/dailystar/accent/140305.php

  消費者の健康志向と食品安全への懸念が高まるなか、米国では、”草で育てられた牛肉”の生産者が急増している。APによると、専門家は、このように育てられる牛の数は急増しており、2005年には10年前に比べて5000頭増え、4万5000頭になった、2006年は10万頭に倍増すると見ている。しかし、フィードロットで毎年生涯を終えるおよそ3000万頭に比べれば微々たる数にすぎない。

 Ranchers putting cattle out to pasture,AP via Yahoo! News,8.3

 狂牛病の大騒動にもかかわらず、米国の牛肉生産構造はほとんど何も変っていない。狂牛病騒ぎは、その根源ー利潤のみ求める巨大企業の農場から食卓までの支配が生み出し・環境を破壊し・人々の健康を脅かし・自らの持続可能性さえ奪いつつある工業的食料システムーには何の手もつけることなく収束することになるだろう。その上、それから脱却しようとする僅かな動きさえ、この構造に取り込んでしまおうというのがAMSの提案だ。

 同じくこの脱却を目指す自然・有機牛肉生産は既にこの構造に取り込まれている。それは急速に増えている。昨年は全牛肉販売額の伸びが3.3%であったのに対し、有機牛肉販売額は17.2%増加した(販売量では1%、販売額で2%を占めた)。しかし、有機生産では、飼料が有機生産物であり、抗生物質やホルモンさえを使わなければよい。放牧場に出すのは年にたった120日でよく、それさえ守らなくても有機認証がなされている。

 Organic Beef Sales Still Small But Growing Fast,Cattle Network,7.6
 http://www.cattlenetwork.com/content.asp?contentid=50246

 このような構造が維持されるのは、基本的には消費者が大量の肉を食べたがり、購入する肉の選択で最優先する基準が価格だからだ。 現在の”草で育てられた牛肉”の価格は、フィードロット牛肉の価格よりも相当に高い。フィードロット牛肉の生産とは異なる技術・管理・マーケティングを必要するが、USDAの研究支援はフィーロット生産に集中している 。規模の経済の利益は得られないし、飼育期間は長く、と畜施設を見つけることも難しい。従って、生産コストが高くなり、供給も制限されるからだ。

 カリフォルニア大学の研究では、 牛肉製品に対して懸念を持つ人は56%あり、これらの人のうちの72%が”家族の健康”、59%が食品安全、48%が”抗生物質”、52%が”ホルモン”を気にしている(狂牛病発生以前の調査であるためか、狂牛病を気にする人は3%にとどまっている)。これらの懸念のために購入パターンを変えるという人は52%になる。そのうち87%は購入量を減らす、7%は脂肪が少ない製品を選ぶ、3%が牛肉購入をやめると答える。そして”自然牛肉”に関心を持つという人は83%に達するが、価格は普通の牛肉と同じか、それよりも低いことを購入の条件とする人が46%、高くても買うという人は55%だ。これらの人も、平均して通常牛肉の価格よりも12%高いだけならば”自然牛肉”を買うという。ところが、スーパーの”脂肪の極度に少ない”牛肉製品の価格は、平均して通常牛肉価格よりも48%高い ()。

 多くの消費者(約3分の2)はフィードロットの 有害脂肪が多い”白い”肉のほうが、草育ちの”黄色の”肉より味がいいとも考えている。”草で育てられた牛肉”の食品安全・健康上の利益を十分に認識する人は未だ少ないが、それを知っていても購買行動には 必ずしも反映されないわけだ。

 Consumer Perceptions of Pasture-raised Beef and Dairy Products: An Internet Consumer Study(Iowa State University,2004)
 Natural Beef: Consumer Acceptability, Market Development and Economics(Research and Education Report. University of California, Davis)

 米国の消費者も、日本の消費者と基本的には変るところがない。米国産牛肉の輸入が再開された。米国牛肉生産者のNo.1であるタイソンフードとNo.2のカーギルミートソリューションは早速日本に牛肉を送り出したという。

 Reuters: Tyson, Cargill Sell Beef To Japan, Cut Production,Cattle Network,8.4

 輸出量が輸入停止前の量まで回復するには相当の時間がかかるだろう。日本農業新聞(06.8.5)によると、市場調査会社最大手のインテージの最新の調査では、輸入再開の決定に対し、41%の消費者が「不満」と答え、「歓迎」は17%に過ぎずない。米国食肉処理施設の安全確認については39%が「信用できない」と答え、「あまり信用できない」を含めると84%が疑いを抱いている。さらに、米国産と表示されていれば「買うつもりはない」が54%になる。これでは業者も慎重にならざるを得ない。

 ただこんな状態が何時まで続くだろうか。「気にせずに買う」は6%と少ないが、「安ければ買う」と合わせると31%になる。米国食肉処理施設の内情は外部の者には決して分からない 。検査キット(*)も使わない日本の水際検査で脳や脊髄の小片がみつかるはずもないから、特定危険部位の付着はなかったという発表が続くうちに安全性への不安も薄らいでい くだろう。値段が安くて脂肪がいっぱいで柔らかい米国産牛肉の市場も拡大に向かうだろう。

 *例えばhttp://www.azmax.co.jp/idx02_product/kensa/field_04_index.htm

 タイソン社は7月末、鳥インフルエンザへの懸念と狂牛病に関係した各国の牛肉輸入停止による牛肉・鶏肉輸出の低迷のために、二期(四半期)連続の減益を発表したばかりだ。「肉をたらふく食べたい」(週刊ダイヤモンド、06.8.8、43頁)日本の消費者がタイソンを助け起こすことになるかもしれない。

 狂牛病や抗生物質・ホルモンの利用をめぐる消費者の不安の高まりや米国産牛肉輸入停止で起きた販売不振から抗生物質やホルモンを与えられず、草と穀物だけで育てられたアンガス種の牛からの”自然牛肉”を提供しようとするタイソンのような動きも(米国産牛肉問題 検査・監査の不手際を政争の具とするな 真の問題は食肉産業の構造改変,06.2.1)、輸入再開で自然消滅に向かうかもしれない。

  消費者は、現在の技術的狂牛病対策が完全に実施されれば狂牛病のリスクは回避できると言う科学者・行政に言いくるめられ、ついに大量生産・消費の牛肉システムそのものに目を向けることがなかった。かくて、工場畜産は最大の危機を乗り越えた。 それどころか、フィードロットをオーストラリアにまで持ち込ませた。「資源貧国ニッポン」の”食料安保”を危うくしているのは「国産信仰」(週刊ダイヤモンド)ではなく、安くて脂肪いっぱいの「肉」を世界中からかき集め 、自らの健康を害してさえ「たらふく食べたい」日本人だ。

 注:APによると、カリフォルニアのスーパー・ヴォンズの標準的サーロインは1ポンド当たり5.99ドルだが、カリフォルニア中部沿岸沿いの1300エーカー(520ha)の牧場で育てられる草飼育牛のサーロインの価格は1ポンド当たり16.50ドルだという。