米国飼料関連施設査察は無駄骨 食品安全委のGBR評価は吉川マジック再演か

農業情報研究所(WAPIC)

06.8.31

 8月10日の食品安全委員会プリオン専門調査会会合の議事録が漸く発表された。

 http://www.fsc.go.jp/senmon/prion/p-dai37/180810_dai37kai_prion_gijiroku.pdf

 相も変わらずPDF版しか発表されないので引用に手間がかかり、論評の意欲も挫かれるが、それが当局の狙いとあれば仕方がない。最も気になる点をいくつか述べておきたい。

 米国産牛肉の定義が米国で生まれ・飼育された牛の肉ではなく、米国のと殺食肉処理工場が処理し・出荷する牛肉と分かり、吉川座長などがそうとは知らなかったと不平を述べたという点については先日触れたので再度問題にしようとは思わない(米国産牛肉に輸入牛の肉が含まれると知らなかった プリオン専門調査会の怠慢,06.8.11)。ただ、吉川座長の「肉質による月齢の判別は、米国の牧場での実績に基づいて正しいと判断したものだから、メキシコ産もあるということなら、メキシコの牧場での実績で検証しないと、科学的とはいえない」という「趣旨」の 発言についてだけ補足しておきたい。

 ここで「牧場」と言っているのは、会合での発言に照らすと「肥育方式」のことである。また、「メキシコ」を名指してはいないが、特にメキシコを意識していたのであろう。となれば、それほどの心配には及ばない。輸出プログラムの対象となるメキシコからの輸入牛からは、直接と殺されるものは排除されている。米国の牛生産には、繁殖経営における離乳までの牧場での子牛飼育、素牛育成、肥育(仕上げ)の3段階があるが、メキシコから輸入される生体牛のほとんどすべては、この第二段階から米国で育てられる。これら牛の種類も米国で育てれ牛とほとんど同じだ(William F. Hahn et al.,Market Integration of the North American Animal Products Complex,USDA-ERS,2005.5)。したがって、メキシコ生まれの牛だからといって、米国生まれの牛と肉質が大きく違うことはない。 また、メキシコの「牧場」で育った牛の肉質が信頼できる月齢判定の基準となり得るかどうかを調べたとしても、そのような肉は米国の輸出プログラムの対象とならないのだから、何の意味もない。

 その上、メキシコ産牛肉は月齢制限もなしに輸入しているのだから、それを前提とするかぎり新たな安全性問題が生じることは実質的にはあり得ない。本質的問題は、メキシコ産牛肉のリスク評価を行 わず、このような自由な輸入を許していることにある。

 その他、気になる点はいくつもあるのだが、ここでは2点だけ述べる。

 第一は、輸入再々開に当たっての現地調査の対象となった農場・飼料工場・レンダリング工場が、すべて米国側の提示したもので、数も余りに少なく、「いずれも対日輸出に関連する施設」(杉浦畜水産安全管理課長)だとしても、「どの程度関連していて、どれほど影響が あるのか」(佐多専門委員)、さっぱり分からないことだ。これら施設だけが対日輸出に関連しているのでないことは確かだろう。

 査察した二つだけの飼料工場では「反すう動物の肉骨粉は使われておりませんでした」、一つだけのレンダリング工場では「反すう動物由来の肉骨粉の製造ラインが専用化され」ていたと言うが、現に反芻動物肉骨粉は大量に生産され・飼料用に利用されており、専用化されていないレンダリング工場もいくらでもあるのだから、対日輸出関連施設のすべてがそうだなどとはとても言えない。

 五つだけの農場では、「動物性タンパク質は給与されておりませんでした。・・・この理由といたしましては、肉用牛は、タンパク質含量の多い飼料を必要としていないということで、動物性タンパク質を給与することは経済的でないこと、肉用牛、乳用牛を通じて消費者による懸念を考慮した場合に、動物性タンパク質を給与することは有益でないという説明がございました」という。

 もしこの説明が本当だとすると、これらの農場は、米国のフィードロットが「多額の投資をし、少しでもコストを下げるものは何でも使用し、僅かでも増体を目指し、ほんの数パーセントでも飼養効率を上げようとした努力」(大成清・梶江昭「アメリカの肉牛フィードロット飼育経営(1)『畜産の研究』27-6(1973)、p.756)の所産であるという常識から外れた極めて例外的な農場ということになるだろう。対日輸出関連農場すべてがこうなのか。そうであれば、血 粉・血液製品、残飯加工品などのフィードバンの例外の撤廃に何故強硬に反対するのだろうか。あるいは、査察官はこんな常識も知らないまったくの門外漢なのだろうか。学生が農家調査でこんな説明を鵜呑みにして帰ってくれば、指導教官に大目玉を食うところだ。

 ともかく、この調査で対日輸出関連施設では飼料規制は完全に守られていましたとでも言うつもりなら、この査察官はこんな学生程度の知識と調査能力しか持たないことになる。誰がそれを信じるものか。

 第二点は、食品安全委員会が独自に行うとするメキシコ等の地理的狂牛病リスク(GBR)評価にかかわる。これを実際に行うかどうかは決まらず、それを決めるための準備としてどれほどの資料が集まるか、あるいはどのように評価するかを検討する段階にある。ただ、少ない出席委員のなかだけでは、なんとかやってみようという雰囲気は強いようだ。

 そこで気になるのは、特に座長が、やるとすれば、講じるべき適切なリスク管理措置を決めるための「狂牛病がありそうかどうか・あるとすれば相対的に見て多いのか少ないのか・増えるのか減っていくのか 」といったGBRの通常の”定性評価”ではあき足らず、日本、米国、カナダについて行ったような動物→人感染のリスクまでも含めた”定量評価”を目指しているらしいことである。そうなると、またも根拠不明な仮定を積み重ね、不確実性が多すぎて正否は誰にも分からず、消費者には何の助けにもならず、ただ政治的・経済的利害関係者だけを満足させる評価結果が出ることになるであろう。得意な”吉川マジック”(北林寿信 「BSE問題は幕引きか」 『世界』 05年12月号)の再演だ。

 こんな評価ならしない方がましだ。EUの評価で十分だ(EUの評価では、メキシコのGBRは米国やカナダと同等)。 それに基づく最大限の予防措置講じる差し迫った必要性がある。人の命も含む自然の価値をすべて貨幣価値に還元して憚らない米国流のリスク/便益分析に馴染んでしまったリスク評価者・管理者でさえ、今や人の感染者(発病者とは限らない)は一人も出してはならないと心せねばならない。最近の諸研究は、あるいは一生発病しない(したがって発見できない)かもしれない潜在感染者さえ、輸血や手術などの医療行為を通じて大量の感染者・発病者をもたらす可能性を示唆している。