農業情報研究所環境エネルギーニュース:2015年11月23日

メガソーラーで琵琶湖を望む荒神山がはげ山に?森を蘇らせた先人の祟りを畏れないのか

 「滋賀県在住 60代の女性」が、メガソーラー設置のために刈りはらわれた「荒神山」の無残な姿を写真入りで紹介している。「先々週からチエンソーの音が響いていて 先週には伐採の様子がうかがえたのですが ここまで丸坊主状態にしてしまうとは・・・ 再生可能自然エネルギーの活用はいいことですが メガソーラー設置のためにこんな自然破壊がされては・・・と複雑な気持ちになりました」とのこと。

 無惨・・・!!林が無くなった! ~今週の荒神山~ みやこわすれ日記 15.11.21

 荒神山とはどんな山か。ウィキペディアによれば、

 「荒神山(こうじんやま)は、日本滋賀県彦根市の中西部に所在する琵琶湖を西に望む、近江盆地の一角、湖東地方の一角に形成された標高284m独立峰である。山頂のおよそ300m北東に、三等三角点(標高261.48m、点名が「日夏山」)がある[2]

古くは平流山(へいるやま)と呼ばれていたが、奈良時代行基が山頂に奥山寺を開山した際に三宝大荒神(さんぽうだいこうじん)の像を祀ったことから荒神山と呼ばれるようになった」

 「明治時代、貧困から生活が成り立たなくなった荒神山の周辺の住民たちは、山の木を競って伐採し、売り払ってしまった。そのために荒神山ははげ山になってしまい、土壌保水力が著しく低下した山腹では土砂災害が続発するようになった。この事態に危機感を覚えた地元の名士・大橋利左衛門は、村民たちを集めて「山に木を植えよう」と呼びかけ始める。[5] 雨の降る日も風の吹き荒れる日も山林を見まわり、赤松植林してまわった利左衛門の行動はやがて村民の心を動かし、地域ぐるみで植林に協力するようになっていき、そうしてついには山のは一応の回復を見た[6]。 大橋利左衛門はその後、37歳の若さでこの世を去ったが、荒神山の環境保護に尽力し、緑の山によみがえらせた人物としてその功績は讃えられ、1962年昭和37年)には宇曽川に架かる天神橋の袂(たもと)に記念碑石碑)が建立された」

 とのこと。

 ところが、いまやメガソーラーは金のなる木、再び太陽光パネルを頂くだけのはげ山にも戻そうとする周辺住民が登場したらしい。それには、森林当局などお上のいかなるお咎めもないらしい。土壌保水力が著しく低下した山腹では土砂災害が続発」しようが、そんなことは知ったことか。ともかく金だ、金だ(もう少し上品に言えば、経済だ、経済だ)。メガソーラー事業者か、それとも事業者にに土地を売った者、そしてお上、いつか必ず、若くして逝った大橋利左衛門の怨霊の祟りに会うだろう。

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