農業情報研究所意見・論評・著書等紹介2012年8月2日

環境省検討会 森林全体の除染は「必要」ない 山村が受けた深手はどうするのだ

 環境省の「環境回復検討会」が、東電福島原発事故のために放射性物質に汚染された森林について、「放射性物質が河川などの水中に流出することは少なく、全体を除染するのではなく住居のそばを限定的に除染する必要がある」と確認したそうである。間伐や皆伐では放射線量が8〜9%低くなるだけであまり効果が得られず、伐採すると土壌流出のリスクもあることから除染を行う必要はないと提案したという。

 住居周り限定除染を 森林対策で提案 環境省検討会 日本農業新聞 12年.8月1日

 よく分からない言い方だが、端的に言えば、「住居のそば」は住民の直接的な被ばくのリスクがあるから除染する必要があるが、「放射性物質が河川などの水中に流出すること」は少なく、住民に直接的な被ばくのリスクはないから、森林全体の除染を行う「必要はない」ということだろう。

 こういうもの言いを聞き、筆者は、中電職員の「放射能の直接的な影響で亡くなった人は一人もいない」という傲慢な言葉を、再び思い出した(→「放射能の直接的な影響で亡くなった人は一人もいない」が、生き生きとしたふるさとの生活は奪われた)。この「環境回復検討会」のメンバーの頭には、住民の直接被ばくのリスクしか浮かばず、山村住民の生活が受けた取り返しのつかない傷など思いも浮かばないのだろう。

 「放射性物質が河川などの水中に流出すること」は少なくても、山自体と木材(薪炭材やキノコのホダ木も含む)・草木(刈敷などとして利用)・キノコ・山菜・野生鳥獣・魚など、山村生活に不可欠な資源の汚染は、「住居のそば」の除染だけでは半永久的に続く。この検討会のメンバーは、「効率を追求する規模拡大する農業」、「効率追求のために化石燃料や電気を使い、 儲ければいい農業」(福島県二本松市東和町 ななくさ農園・関元弘 「小農として里山に生きる」 『日本の農業力』 農政 ジャーナリストの会 日本農業の動き177 114、115頁)しか知らない農水省の役人と同様、里山とともに生きる山村民の生活を何も知らないのだろう。だから、「山」の循環的利用で成り立ってきた山村生活が半永久的に失われることにも、思い至らないのだろう。

 それに思い至れば、「必要がある」とか、「必要がない」とかいう言い方はできないはずだ。「できれば除染したいが、実際は不可能だから、山村生活が受けた深手を、別の方法でなんとしても癒さねばならばい」という言い方になるはずだ。筆者自身、ずっと前からそう言ってきた(例えば、「放射能汚染がつきつけた食と農への難問──土壌生態系の崩壊は何をもたらすか」 世界(岩波書店) 2012年2月号)。ただし、この深手を癒す方法は、未だに見つかっていない。永久に見つからないかもしれない(だから、いまさらの「脱原発」も手遅れなのかもしれない)。