16日目(晴れ)
68番神恵院本堂。デザイナーズマンションのようなコンクリート打ちっぱなしの本堂。 |
71番弥谷寺参道。登りなのだが、下っているように見える不思議な階段。左側は賽の河原だそうです。 |
弥谷寺108段階段。本堂はこの上です。登ると煩悩がすべて取り払われて、下ると再び煩悩まみれ、だったらダメジャナイカ。 |
72番曼荼羅寺ちかくにあった西行庵。ひっそりと佇む。 |
75番善通寺近くにある自衛隊基地。見学可能です。 |
F-86D戦闘機。初代ブルーインパルスはレーダーのないF-86Fです(先頭形状が異なる)。
後ろに見えるヘリコプターのコックピットに乗せてくれました。お遍路さんはどうした。 |
こんぴらさん。785段の石段を登ると御本宮に到着です。 |
ことでん琴平駅に行ってみた。1200形に遭遇。もと京急700形。
かつて東海道本線とデッドヒートを繰り広げた名車が、いまは静かに余生を送っていました。ことでんはところどころJRと併走する箇所があります。
今でもデッドヒートを繰り広げているのでしょうか(無理だろ)。 |
76番金倉寺にある「乃木将軍妻返しの松」。この松を見つめるように乃木将軍の銅像が立てられていました。 |
旅館を7時前に出発したら、すぐに68番札所神恵院・69番札所観音寺です。
2つの札所が同じ場所にあります。
一粒で二度おいしい(のは「お遍路さんにとって」でしょうか、「お寺にとって」でしょうか。などとセコイことを考えるのは修行が足りない証拠)。
次の70番札所本山寺までの道はちょっと迷いました。
基本的に川沿いを進むのですが、ウッカリしているといつの間にか線路沿いを走っていてビックリします(僕だけだ)。
次の71番札所弥谷寺はちょっと山の上です。
参道の階段は上っているのに下って見える不思議な階段でした(画像だと伝わらないです)。ゲシュタルト崩壊。
納経所は大師堂の中にあります。お坊さんの前でお経をあげます。ここまできたら堂々とお経を唱えられるようになってるはず。
72番札所曼荼羅寺・73番札所出釈迦寺はとても近いところにあります。
73番札所出釈迦寺から見える山の上は、捨身ケ嶽禅定という聖地になっていて、
お大師様が7歳のときに「仏門に入って多く人と衆生を救いたいのです。私の願いが叶うなら釈迦如来様、お姿を現して下さい。
もし、願いが叶わないのなら私の命を仏に供養します。」といって身を投げられた場所だそうです(そしてお大師様は現れた天女に助けられたそうです)。
さすがお大師様というより、お大師様にも中二病の時期があったんだなぁ、と変な親近感を覚えた僕は異端でしょうか。
72番札所曼荼羅寺の近くに西行庵がありました。竹林のなかにひっそりと佇んでいました。
こんぴらさん
75番札所善通寺はお大師様生誕の地に建っているためか、京都の東寺もビックリの大寺院です。
団体お遍路さんではない、普通の団体観光客も多数訪れていました。
ここからこんぴらさんが近いので、納経を済ませた後、行ってみました。
こんぴらさんに向かう道の途中で自衛隊の基地がありました。戦車が展示されています。
「見学可能」の看板に惹かれ、中に入ってみました。入り口で住所氏名を書いたら、広報担当の隊員の方に中を案内していただきました。
旧日本軍の第11師団(初代師団長はかの有名な乃木大将です)の当時からの建物がそのまま残っていて、資料館になっています。
乃木大将が実際に執務をしていた机や椅子もそのまま残されていました。
外には戦車やヘリコプターなどが展示されていました。
中の売店で「行軍用」と書かれた靴下を買ってみた。
こんぴらさんに着くと、果てしなく続く石段が出迎えてくれます。
785段の石段を登ると御本宮に到着です。さらに583段登ると奥社ですが、今後の課題として今回は断念しました。
こんぴらさん参拝後、76番札所金倉寺へ。
かつて乃木大将が第11師団長だったときに、このお寺で暮らしていたそうです。
子供の進学の相談に来た奥さんに「軍人の妻たるものが留守を守らないとは何事か」と絶対会おうとしなかったという逸話が残っており、
奥さんが途方にくれて立ち尽くしていた場所に生えていた松(今の松は2代目だそうです)が境内にありました。
その松を見つめるように、境内の反対側に乃木大将の銅像が建っていたのが印象的でした。
今日は寄り道をしまくったので、ここでタイムアップです。
77番札所道隆寺近くの多度津まで来て、駅前のビジネスホテルに泊まりました。
駅の横に「食堂」と書かれた看板があったので夕食を食べようと入ってみました。
どうやらJRの社員食堂のようです(一般のお客さんもウェルカムらしい)。今晩のメニューはカツ丼(550円)のみ。
周りのお客さんは全員JRの職員の方たちのようです。ちょっとポッポ屋になった気分。
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