prayer and grace
1・月下の復活
(1)
ローレライの声が聞こえる。
ユリアの詠んだ歴史が変わったことを驚き、そして喜んでいるようだ。
…ああ、俺は約束を果たせた。
みんなとの約束は、果たせそうにないけれど。
ふわり、と光が揺れる。そしてそれは、人の形を取った。
―――愛し子よ、感謝する。我の望みは叶えられた。二人のおかげだ。
『ローレライ…』
腕の中にその重みを感じていたアッシュ。その体がぼんやりと蛍火を纏うように発光を始め、よく見ればそれを支えるルークの腕も薄く
光を発し始めていた。
感じる。自分の体が変化し始めていることを。
―――感謝の印として、そなたの願いをひとつ叶えよう。ルークよ、何を望む?
『…その前に教えてくれ。俺はこのまま、音素(フォニム)乖離を起こして消えるんだろ。けど、俺とアッシュは完全同位体同士だから、
特殊な現象が起こるって聞いた。…俺達、どうなっちまうんだ?』
―――自然のままに委ねるのなら、そなたから乖離した音素は全てアッシュに吸収されるだろう。
ローレライはさらりと断言し、そして言葉を続けた。
―――お前の危惧する、お前達が『大爆発(ビッグバン)』と呼ぶ現象は、端的に言えば被験者(オリジナル)の意識がレプリカの肉体を
乗っ取るもの。しかし今、お前は音素乖離を起こしており、そしてアッシュの肉体は死に至る程の損傷を負っている。乖離したお前の第七音素
(セブンスフォニム)は、全てアッシュの肉体を治癒再生するために費やされることになるだろう。お前を構成していた第七音素はアッシュ
に吸収され、それに記憶されたお前の軌跡もすべてアッシュの内へ還り、二人は文字通りひとつになる。
『ってことは、それじゃ………、…アッシュは生き返るんだな!? アッシュはみんなのところに戻れるんだよな!?』
―――そうだ。
それなら。
ほっとしたようにルークは微笑んだ。
『それなら、いいよ。俺の望みは叶えてもらわなくても叶うから』
―――何?
『俺がアッシュの中に還って、アッシュが生き残る。「ルーク」の名前も、「ルーク」から奪った七年間の俺の記憶も、「ルーク」から
貰ったこの命も、やっと全部返せる。…それが俺の望みだからさ』
戸惑うかのように、ゆらり、と一瞬ローレライの姿が揺れた。
―――…アッシュの内へ還るのは、そなたの記憶のみ。ひとつの肉体にふたつの自我が宿ることはできぬ故、そなた自身の自我は、
アッシュの自我と共存することなく消滅してしまうだろう。それでも構わぬのか。
『ああ。アッシュが無事ならそれでいい。それが、俺の望みだ』
迷いなく、ルークは頷く。微笑さえ浮かべて、満足げに。
『だから、俺の分もアッシュに聞いて、叶えてやってよ。こんなことで俺が奪ったものを全部返せるなんて思わないけど、せめて…返せる
ものはすべて返したいんだ』
―――本当にそれでよいのか。
『うん。どうしてもっていうんなら、アッシュの幸福を…かな』
既にその体を構成する第七音素は全て乖離し、肉体という定まった形から解放されてたゆたうだけの状態となったルーク。やがてアッシュ
の肉体と精神の中へすべて吸収されて、彼を構成するものの一つとなるだろう。
ほんのりと輝いて浮かぶアッシュの体からは、既に鼓動の気配が感じられる。ルークの一部がもう彼と同化を始めたのか、それとも
ローレライが力を貸してくれているのだろうか。どちらにしても、きっと彼はもうすぐ意識を取り戻すだろう。逆に、自分の意識は、
もうすぐ消える。
もう一度あの綺麗な翠の瞳を見ることができないのは残念だけど、この屑、劣化レプリカと怒鳴る声が聞けないのは淋しいけれど、でも
彼が生きてくれるのならそれでいい。
俺達はひとつになる。ひとつに還るんだ。
もうなくなった肉体。なのに、涙が頬を伝ったような気がしたのは何故だろう。
『…みんな…最後の最後に約束破って、ごめん。…長い間ごめんな、アッシュ…。ずっとずっと、あんなに憎んでた俺のこと、認めてくれて
ありがとう。…ずっと忘れないでなんて言わないから、だから時々でいいから、あんな屑がいたっけな、なんて思い出してくれたら嬉しい』
ずっと死ぬのが怖かった。消えることが恐ろしかった。けれど、そうじゃないと知った。
俺は死ぬわけでも消えるわけでもない。アッシュの…本物のルーク・フォン・ファブレの中で息づく命の一部となる。
もうお前に会えないのは寂しいけど、でも、もう怖くはないよ。
とても寂しいけど、悲しくて辛くて泣いてしまいそうだけど、でも、もう怖くはない。
お前に会えて良かった。俺、お前のレプリカで良かった。お前が俺の被験者(オリジナル)で良かった。
ありがとう。さようなら。アッシュ。
眩しい俺の被験者。
遠ざかる意識がブラックアウトする直前、アッシュの指先がぴくりと動いたのが見えたような気がした。
何かが頬を撫でる。
それが風なのだと気付くくらいには、意識が浮上してきた。
そっと目を開く。
すると、同じ顔が目の前で、全く同じ速度で瞼を開いた。
聖なる焔の光と称された朱赤の髪。そして美しい新緑の瞳。
聖なる焔の光と称された緋紅の髪。そして美しい深緑の瞳。
呆然としていると、まるで鏡に写していたかのような目の前の同じ顔が、別人のような微笑を浮かべた。
これ以上の幸福はないというくらいに微笑んで、両手を差し出して来る。暖かな感触が離れて初めて、利き手同士を重ねていたのだと気付く。
『アッシュ…!』
真っ直ぐに直接心へ流れ込んで来る声。
『よかった…アッシュ、お前生きてる!』
何の躊躇もなく回された手が、アッシュの頭を抱き締めた。そのまま体を摺り寄せて来る。まるで全身で体温を確かめるかのように。
『よかった…ほんとに良かった…。これで全部お前に返せる。「ルーク」の名前も、居場所も、記憶も、命も全部…』
相手の想いがダイレクトに流れ込んで来る。回線が開いているのかと思ったが、それにしてはこちらの動揺が全く相手に伝わっていない
様子。一方通行なのだろうか。
『…どうか幸福に生きて。俺が奪って、失わせてしまった分まで』
ぎゅっと強く抱き締められる。この状態で、まだ気付かないのか。鈍いにも程がある。
『俺…これでもう、思い残すこと…、ないわけじゃないけど、でも…』
さよならと告げそうなルークの声。言わせるものかと、ぎりっと奥歯を噛み締めた。
「…つまで」
アッシュの口から、ぼそりと低く唸るような声が零れる。
え? とルークが思った瞬間、胸元をねじりあげられた。
「いつまで寝惚けてやがるこの屑!!!!!」
「っっっ」
耳元で怒鳴りつけられてキーンとする。
あれっ!? とルークが我に返った途端、アッシュはキッと空を見上げて怒鳴った。
「ローレライ!! 一体何の真似だこれは!! 説明しろ!!!」
珍しく顔を真っ赤にして、そしていつものように刻まれた眉間の皺。ああ本当にアッシュだ、なんて暢気に思ってしまったが、チッと
いう彼の舌打ちで我に返った。
「無視か! あの野郎…!!」
いつもは後ろへ流している前髪が降りていて、髪を切る前の自分と同じ髪型になっている。とはいえ、同じストレートでもアッシュの
髪は本当に綺麗なまっすぐで、自分のように毛先が跳ねて遊んだりはしないのだけど。ああ本当にアッシュの髪は綺麗だ、と見惚れかけて、
はたとまた気付く。
目の前に手を翳す。確かに手がある。グローブを外す。透けていない。握ったり開いたりを繰り返し、ようやく信じることができた。
「…あれ…!? 俺、体があるのか!? な、なんで!?」
なんとなくひょいと後ろを探ると、髪は短いままのようだ。ということは、ローレライを解放した、あの時のままなのだろうか。
困惑していると、ぎろっとアッシュに睨まれてしまった。反射的にびくっと体が逃げる。それを見て彼は更に眉間の皺を深くした。
「…おい…てめぇ、それはどういうことだ」
「ご、ごめん」
やはり反射的に謝ってしまって、それが益々アッシュを苛立たせてしまう悪循環。
「どういうことだって聞いてんだ!! 答えろ!!」
「ど…どういうことだって言われたって、俺にだってわかんねぇよ! ローレライを解放して…、そうだ、その後俺の体、音素乖離して
お前ん中に還ったはずだったのに…」
「そういう意味じゃねぇこの屑が!!」
アッシュはひと咆えすると、らしくなく深いため息をつき、額を手で押さえた。
「本っ気で気が付いてねぇのかお前…」
「へ? 何だよ」
「…。自分の体よく見てみろ」
「え?」
視線を下へ落とすルーク。
途端に、信じられないと目を剥いた。
信じられないと目を剥いた次の瞬間にルークが上げた悲鳴は、咄嗟に伸ばされたアッシュの手によって勢いを削がれ、帰還を信じて待つ
ティア達の元までは届かなかった。
大譜歌を歌い終わるティア。風の音だけが、渓谷を通りぬけていく。
だが、その歌声は風に乗って二人に届いていた。
二人は立ち上がり、歩き出す。
状況は全く分からない。だが、この歌声の先に、自分達のことを信じて待ってくれている仲間達がいる。彼らの元へ帰るために。約束を
果たすために。
戻りましょう、とジェイドに促されて背を向けたティア達。だが、足音が多い。
土草を踏み締める足音が、後ろのほうから近づいてくる。
ハッと立ち止まるティア。振り返る。ガイが、ナタリアが、アニスが、ジェイドが続いて振り返る。
聖なる焔の光。そう称された艶のある赤い髪が、夜の闇に照らされてビロードのようにほの暗く輝く。風が、長い髪を梳いて流れていく。
誰もが刹那目を奪われ、そして、声を掛けられず、動けない。
「……………ルーク………ですの? …それとも…」
恐る恐る尋ねるナタリア。だが、きゅっと唇を引き結んだティアが、確信を持って語りかけた。
「あなた…アッシュね」
ハッとティアを振り返るナタリア。それから、彼に視線を戻す。
彼は、ただひとつ、頷いた。
「………お前、よく無事で………お前だけ、なのか…? ……ルーク…は……」
呆然と呟くガイ。アッシュの帰還は勿論喜ばしいことだが、しかし彼らにとっては、消えるさだめであったもう一人の彼も必要なのだ。
「……完全同位体同士が起こす、特殊なコンタミネーション現象。…いまやあなたは、アッシュとしての自我と記憶を保ったまま、ルーク
の記憶を内在させる存在となった。そうなのですね」
眼鏡のブリッジを中指で押さえるジェイド。複雑な空気が仲間達に流れようとしたが、それを振り払ったのは他ならぬアッシュだった。
「いや、あいつもいる。ここにいる」
「…何?」
「えっ!? …どこどこ、どこ!?」
珍しく余裕のない強張った表情を見せるジェイドを余所に、きょろきょろと見回すアニス。無論ティア達もだ。
ちっ、と舌打ちをするアッシュ。
「…おい! いつまでそうやって隠れてるつもりだ」
背中の後ろに向かってかけられる声。ティアが彼の足元を見ると、確かに長いマントの影から足が四本見える。二本は当然アッシュの足。
では、残りの二本は。
「ルーク…? そこにいるのね?」
一歩、踏み出す。
アッシュの黒いマントの影で、彼よりも鮮やかで明るい赤髪がぴょこんと揺れた。
「ルーク!」
「ルーク!!」
ティアが、ガイが、呼びかける。
恐る恐るという様子で、頭が、額が、そして顔が現れた。
「ルーク…!」
僅かに違和感は感じたが、しかし間違いない、ルークだ。感極まってティアの瞳に涙が溢れる。
だが、ルークの瞳が潤み、ぶわっと涙を溢れさせるほうが早かった。
「ティア〜〜〜〜〜っっ!!!」
情けない声を上げて、だーっとティアに駆け寄って抱き付く。誰も介入できない一瞬の駿足だった。さすがに一同、あっけにとられてしまう。
「ティアっ、ティアっ!! 俺どうしよう、どうしたらいいんだよ〜〜〜!!」
「ちょっとルーク、落ち着い…て………」
抱きとめたルークの異変に、ティアは今度こそはっきりと気付いた。違和感などという小さな棘ではなく、もっと大きな変化として。
以前と比べて、ルークの身長が顔ひとつ分ほど縮んでいる。剣術で鍛えていたはずの肩幅は今、自分と変わらないくらい。元々男の子の
中では比較的高めのトーンだった声が、更に少し高くなった。
それに何より。
「……ルーク…あなた…」
泣きじゃくるルークの肩をそっと押して、体を離す。
「……………女の子に………なったの?」
腹部を露出させる独特のシルエットのシャツ。その胸元のボタンはぎゅうぎゅうに圧迫されて、弾けそうになってしまっている。何故
圧迫されているか。胸が膨らんでいるからだ。
ティアよりもワンサイズ小さい胸。露出した腰のラインは見事にくびれて女性らしさを主張しており、ズボンはヒップハングに変化して
お尻のラインがきゅっと強調され、ボンキュッボンのセクシーバディと言い表すのがぴったりな美少女と化していた。一回り小さな体に
なったはずなのに服がちゃんとしているのは何故だろう、と疑問を差し挟める余裕は、さすがのジェイドにもなかった。これはもう完全に
予想外、想定外の事態。
石化するティア達と泣きじゃくるルークの後ろで、アッシュが魂を吐き出しそうな重苦しい溜息をついた。
本来なら感動の再会になるはずが、完璧に台無しである。
UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)
さあさあやっと念願のアビスを始められますよ!
あれもこれもと何足草鞋を履いているんだか私。でもどれもこれも書きたいのでちょこまか頑張ります。
それと、コンタミネーションとか二人がどうなる筈だったのかとか、そのへんは海原の独自解釈です。しかも今気付いたんですが
二人のどっちかにローレライの鍵を持たせるの忘れてました…やば。
***(2009/09/06加筆訂正)
結構グワッと書き変えました。
色々と納得いかないというか、これってこれでいいんだっけ状態のままハマッた勢いで見切り発車状態だったものを色々訂正。
とはいえまだ「これで解釈合ってるのかな大丈夫かな」と不安な部分があったりするんですが…実を言うと記憶粒子(セルパーティクル)
の正体がよくわかっていない…。
乱暴にくくったら第七音素の元のひとつってことでいいのかしら? …もう一度攻略本を熟読せねば…。
そしてちゃんと自力でクリアせんとな!!(まずそこだ)