--「lullaby」3--

lullaby


(3)
トラブル






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「なんでだよ!! そんなの納得できないよ、おれ!!」
「我侭を言うんじゃない、マックス」
「おれの言ってることのどこがワガママなんだよっっ!!」
 カフェを出た二人を待っていたのは、怒鳴り合う声。片方はいい歳の大人で、もう片方は子供のようだった。
「なんだぁ? うるっせぇの」
「…あれかな。なんか、結構騒ぎになってるみたいだね」
 道路を挟んだ向いの少し先にある青果店に、人だかりができている。その中心にいるのは髭面のがっちりした体格の男と、ともすれば 人垣に埋もれてしまいそうな少年。
 アウル一人であれば、一瞥してさっさと通り過ぎてしまうだろう。面倒事に下手に関わって巻き込まれては困るし、何より率直に言って ウザい。
 どうやらキラも進んでトラブルに関わりたくはないようで、騒ぎを気にしないように意識しているようだが、気にしないように気に しないようにと言い聞かせる度に逆に気になってしまうのか、どうにも動くに動けない、という様子。ちらちらと現場らしき向いの店を 見て、車の扉を開けそびれている。
「………」
 やれやれ、と短い溜息を吐き出すと、キラの手を取り、左右をサッと見渡して、道路を渡ってしまうアウル。
「え、ちょ…」
「気になるんだろ? 気ィ取られて妙な運転されたら、隣に乗るオレが困るっての」
「あのね!」
「いい加減にしないか!!」
 僕そんなことくらいで危うい運転したりしないよ! と続けようとしたキラの言葉を遮って、怒声と衝撃音が同時に響いてきた。店の 前にできていた人垣も、ざわっとどよめく。
「〜〜〜〜〜っ…」
 さっさと人垣に取り付いて、隙間から店内の様子を伺う。
 どうやら怒鳴り合っていた店主が少年を平手で打ったようだ。十歳くらいの少年は、泣き出しそうになるのを必死に堪えて左の頬を 押さえている。傍らで、その様子をザフトの兵士三人が見ていた。
「…どうしたんですか?」
 真剣な表情で、キラが人垣の一部になっている中年女性に尋ねる。
「それがね、ガルバーニさんがザフトさんに林檎を差し上げたら、突然マックスが騒ぎ出しちゃって」
「今日最後の林檎だから感謝の気持ちにって、折角お出ししたのにねぇ」
「…。あの、マックスって子は、突然割り込んできたんですか?」
「え、いえ、そういうわけじゃ、ない…みたいだけど」
 ごにょごにょと言葉を濁す女性。事情を大体飲み込んでアウルはシラけ、キラはきゅっと唇を引き結んで厳しい表情になった。
 つまり店主は、きちんと並んで順番を待っていた少年を飛ばして、後からやってきたザフト兵に、商品を渡そうとしたのだろう。それも 今日最後の品を、無償で。確かに店先には、もう何も品物は残っていない。
(ってゆーか、果物くらい普通に基地とか駐屯所とかに戻ればあるだろ普通。それも、ザフト様々ならさぁ。林檎くらい譲ってやれよ、 ガキ相手に大人げねェの)
 呆れて立ち去ろうとするアウルだが、しかしキラが動こうとしない。
「…おれはっ、間違ったこと言ってないっ」
 しゃくりあげ始めてしまいそうなのを必死に我慢して、少年は訴える。だが店主はそれを突っぱねた。
「まだ言うのかマックス! お前はザフトの皆さんにワシらがどれだけ世話になっとるか、わかっとらんのか!!」
「おれの父ちゃんが病気してんの、おっちゃんだって知ってるだろ!? だからちょっとでも栄養のいいもの食べさせてやりたくて、 おれ…っ! ちゃんと並んで、待ってたのに、こんなのずるいじゃんか!!」
「その父ちゃんだって、ザフトさんが守ってくれなんだら、連合の連中にやられてたんだぞ! 最近の子供には感謝ってもんがなくて いかん!! さ、遠慮なく持って行って下さい。これはあなたがたのモンだ」
 店主は重みのある紙袋を兵士に差し出す。兵士達は困ったように苦笑を浮かべてはいるが、結局さらりとそれを受け取った。
「すみませんね、店主」
「いやいや、なんだか騒ぎになっちまって、こちらこそすみませんねぇ、うちの街の子が」
「それじゃ、お気持ち有り難く頂戴します。…すまないね、ボウヤ。お父さん早く良くなるといいな」
「っ………!!!」
 そんな事言うんだったらどうしてそれを置いていってくれないんだ、と涙目で睨みつけるマックス。だがザフト兵達は困ったように ひょいと肩を竦めただけで、そのまま立ち去ろうとする。
「待って下さい」
「え、ちょ…っ」
 アウルが止める間もなく、キラはすっと三人の緑服の前に立ちはだかった。
「ん? 何かな」
「あの子はちゃんと並んで、順番を待っていたんでしょう? なら、あなた達が遠慮するべきなんじゃありませんか」
「え?」
 怪訝な顔をする兵士達にも、キラは臆することなくはっきりと告げる。
「あなた達は基地に戻れば、充分な食料が配給されている筈でしょう。それとも、どうしても今すぐにその林檎が必要な理由でもあるん ですか」
「…」
 怪訝な顔が、険悪な顔に変わる。
「ちょ、ちょっとあんた!! 横から出てきて何言い出すんだ!!」
「あなたもあなたです、店主さん」
 血相を変える店主に対しても、キラは冷静だった。その分怒りが深いようで、アウルは一瞬ぞくりと背筋を凍らせる。
「きちんとルールを守っている子供に、相手が軍人だから不条理が通用するなんて、そんなことを教えるつもりですか、あなたは」
「な…っ」
「みなさんも、順番抜かしや割り込みが悪いことだと、昔、傍にいる大人から教えてもらったはずでしょう。それを今度は、皆さんが 教える番のはずじゃないんですか。どうして誰も、黙って見ているだけなんですか」
 彼の怒りはただ見ているだけの野次馬達にも向けられた。怜悧なアメジストの瞳に居抜かれ、誰もがうっと言葉を詰まらせた。
 ぴりぴりと空気が痺れているような、沈黙。
「………。確かに彼の言うとおりだな。…持っていきなさい、ぼく」
 ひょいと肩を竦めた緑服の一人がその場の空気を緩め、友人の持っている紙の袋の中から林檎をひとつ取って、マックス少年に差し出す。
「し、しかし、それは我々の気持ちとして…」
「ええ。ですからこうして、皆さんのお気持ちも頂きます」
 にっこり微笑んで、紙袋に三つ入っている林檎を示す。
 キラが見守る中、マックスは差し出された林檎をおずおずと手に取る。兵士がにこっと笑ってやると、安心したようにぱぁっと顔が 明るくなった。
「ありがとう、ザフトさん! お兄ちゃん、ありがとう! おっちゃん、これお金!」
「な、ちょ、待ちなさいコラっ、待たんかマックス!!」
 律儀にザフト兵とキラにお礼を言うと、ちゃりんとレジ台に硬貨を置いて、少年は一目散に走り出した。すぐにでも父に食べさせて やりたいのだろう。店主はフンと鼻を鳴らすと、少年の置いて行った硬貨を一枚だけ手に取る。
「………値札くらい見て行かんかあの慌てん坊は! 今度釣りを渡さんといかん…」
「…あら、さっきの子は?」
 人垣の誰かが気付く。その時にはもう、キラのワゴンは走り出していた。


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 さっきまでと、何か違う。
 アウルは助手席から外の風景とキラとを交互に見ながら、もうとっくに気付いていた。
 ふらふらとこの街をのんびりドライブしていたさっきまでとは違う。…キラは明らかに、この街を離れるコースを選んで車を走らせていた。
「………どこまで送ったらいい?」
「えっ、…何それ」
 問い返しながらも、彼からの答えは、なんとなくわかっていた。
「勝手言ってごめん………僕、すぐ帰らなきゃ」
「ザフトに顔見られたから?」
 はっとアウルを振り返りそうになって、けれどキラは運転から意識を外さない。真っ直ぐ前を見たまま、困ったように笑った。
「なんだか、お見通しなんだね。アウルは」
「つーか、オレが壊したメガネさぁ、あれ、度が入ってなかっただろ」
「えっ、レンズ割れてたのにわかったの?」
 驚くキラに、にかっと笑って見せる。
 実はレンズのことは最初は気付かなかった。やはりイレギュラーな事態に少々慌ててしまっていたのだろう。だが、冷静になって思い 出してみれば、すぐにわかることだ。
「伊達メガネっつったら変装のお約束じゃん。ソレも普段着慣れない服みたいだし。さりげにザフトの連中のこと避けてるみたいだったし、 ホントはゴタゴタに関わりたくないっぽかったし」
「…僕ってやっぱり隠密行動に向いてないのかな」
「誰か向いてるとか言うヤツいんのかよ?」
「うわ、ひっどーい。傷付いていい?」
「だってホントのことじゃん。キラ目立つんだから無理だって」
「ほんとはっきり言うね」
 いつのまにかクスクスと微笑みが戻る。
 けれどキラは、信号を見るふりをして、どこか遠くを見た。
「……………ザフトにね。大事な友達がいるんだ。…でも僕は今、彼と道を違えてるから」
「見つかるわけにいかない、と」
「…うん」
 本当は、会いたいんだろうな。
 切なげに細められた瞳に、アウルはふとそんなことを思う。同時に胸をチクリと刺す、悔しさ。
「キラって、地球軍?」
「ううん、別にどこかに属してるわけじゃ………」
 言いながらバックミラーを確認した途端、ふっとキラの表情から笑顔が消えた。
「………」
 さっきから気になってはいたのだが、やはり考え過ぎというわけではなかったようだ。アウルもちらっとサイドミラーを見て、その姿を 遠く後ろに確認する。
「…キラって結構カン鋭い」
「アウルも気付いてた?」
 やれやれ、とばかりに小さく溜息をつくキラ。
「…逆恨み、されちゃったかな」
「かもね」
「まいったなぁ。撒けるかな」
「オレこのへんの道詳しいぜ。…次の信号の手前の小道、左に入って」
 アウルの指示に素直に従うキラ。ワゴンはウインカーを点けずにいきなり左折する。

 随分車間を取って悟られないようにはしているが、さっきのザフト兵が車に乗って、追って来ていた。




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