for DREAMING-EDEN
第五章
『恋』
(2)
「おはようございます」
穏やかに告げるラクスに、彼は硬い表情で小さく会釈を返した。
「………僕も、実際にここへ来るのは初めてなんだけどね。………本当は……沢山の花が、咲いているって聞いてたんだけど。破片落下の
津波で、流されてしまったみたいだ」
「………………ごまかせない、ってことかも」
「え?」
昨日は見せなかった、思い詰めたような表情。それに硬い声色。
キラが振り返ると、少年は何かに耐えるように両手を握り締め、唇を噛んでいた。手の中にはピンク色の…あれは携帯電話だろうか。
「いくらきれいに花が咲いたって、人はまた吹き飛ばす」
「……………」
何か、に耐えるような表情。意味深な、重い言葉。
「………すみません、突然ヘンな事言って」
そういえばとキラは思う。彼の名前も、まだ聞いていなかった。彼について知っていることは、ザフトレッドを許された精鋭の兵士だと
いうこと、そしてミネルバのクルーだということだけ。
「君は、誰?」
誤魔化し笑いに失敗したような顔を上げた彼に、真剣にそう問う。すると彼は、また表情を険しくして携帯電話を握り締め、俯いて
しまった。
「……………オレは……シン・アスカ。ザフト軍の、パイロット」
「!」
ぎく、とキラは体を凍らせた。アスランの話に出てきた、カガリを罵倒したというインパルスのパイロットの名も、確かシン・アスカと
いったはずだ。
「オレは二年前、あの侵攻戦で家族を殺されたんです。…あの時戦闘に…爆発に巻き込まれて、両親も妹も一瞬で殺された…! 国って
形だけ守ろうとしたアスハのエゴで家族を殺された!! こんな、形だけの慰霊碑なんかでごまかして…っ!!」
「………っ…」
ここで。
家族を失った。
戦闘と爆発に巻き込まれて?
この辺りは確か、カラミティが着地したポイントに近い。カラミティ、レイダー、フォビドゥン…その三機と戦っていたのは、間違い
無くフリーダムだ。
ということは―――――――まさか。
彼の家族を手にかけたのは。
ラクスが無言でそっと腕を絡ませてくる。
視線を彼女と合わせ、小さく頷いた。
大丈夫だ、と。
……責められる覚悟なら、もうとっくに出来ている。
「…すみません、突然…大きな声出して」
「ううん。…シン…そう…君がシンだったんだね」
「え?」
「………アスランから、話は聞いてるよ。カガリと衝突したって」
「…えっ」
驚いて目を見開くシンに、キラはもう微笑むことができなかった。
「君の詳しい事情までは、アスランは言わなかったけど…。そういうことだったんだね」
「……………フィラさん……?」
「だけど、違う」
「いけません!」
察したラクスが腕を引いたけれど、キラはそっとその手を解く。
「………彼には知る権利がある。僕には、伝える義務がある」
「……………っ、…キ…………」
揺るぎ無い瞳に、彼女が言葉を失う。
そして、改めてシンに向き直った。
ぽかんとして自分を見つめている、その紅い瞳に。視線を合わせる。
逃げないで。
真っ直ぐに。
「君が怒りをぶつける相手は、アスハ家でもカガリでもない。僕だ」
「………え?」
「僕も、二年前のあの日………ここでモビルスーツに乗って、戦っていたから」
「…………………え………」
「だから、君の家族を手にかけたのはカガリじゃない。…ここを戦場にした、この僕だ」
相手が何を言ったのか、理解できない。
そんな顔で、シンはそのまま硬直してしまった。
「…………………な………な、に………?」
「…シン。君、アカデミーで情報処理も一通り学んでるんだよね。ハッキング、できる?」
「………え………?」
「手近な地球連合軍のデータベースにハッキングをかけて、『キラ・ヤマト』という名前で検索をかけてごらん。それで僕の正体がわかるから」
「……キラ……? ………………ヤマ…ト…………? ………連合…軍…………!?」
わなわなと震えるシンの唇。
キラは、目を伏せなかった。
「君は僕を殺したいほど憎いのかもしれない。僕が死ねば、君の気は晴れるのかもしれない。それでも僕は、君に殺されるわけにはいかない。
昨日も言ったように、僕を殺したいと願っているひとは君だけじゃないから。…沢山、いるから。君だけの気が晴れても、他の人達は
憎しみを燻らせたままになってしまうから。…何より、僕なんかの命を、それでも大切だと言ってくれる人達がいるから」
「嘘だ!!! なんで……なんでそんな、わけのわからないでたらめ言うんだよ!!」
やっとのことで我に返り声を荒げるシン。
「…地球軍!? …あなたが!? …っ嘘だ!! あなたはコーディネイターじゃないのかよ!!」
「…コーディネイターでも、連合やブルーコスモスに身を投じる人もいるよ。遺伝子操作された自分の体を疎んで自爆テロに走る人は、
大分減りはしたけど、まだ年に十数件は起こってる」
「答えになってないっ!!!」
「…確かに僕はコーディネイターだけど、地球軍にいたのも本当」
「うそだ!!!」
叫ぶシンに、しかしキラは小さく首を横に振った。
これは、現実だ、と。
「君から家族を奪ったのは、この僕だ。他の誰でもない、僕なんだ」
「…やめろよ」
「うわべだけの言葉にきこえるかもしれないけど、言い訳だと思うだろうけど、でも、僕は」
「やめろ!!!」
「僕は、君の家族には心から謝りたい。けれど、今の君に赦しを乞わなければならないとは思わない」
まだ信じられない様子で、何故そんな酷い嘘ばかり言うんだという顔で、キラの顔を振り仰いだシン。だがそこにあったのは、厳しくも
哀しい紫紺の瞳だった。
「今の君は、僕と同じ『人殺し』だから。………君が銃を取る動機を作ったのが僕であるとしても、その事実は変わらないから」
殺されたから殺し、撃たれたから撃ち返す。
ヒトが積み上げてきた憎しみの渦。自分も、その渦中にあった…もしかしたら、今もその中心にいるのかもしれない、どす黒い渦。
ラウ・ル・クルーゼが糾弾した人類の業。それを、再び見せ付けられている気がした。
本当なら、自分こそが彼の心の痛みを癒すべきなのだ。どうか怒りを鎮めてほしいと、誠意ある謝罪をすべきなのだ。
自分は奪った者、彼は奪われた者。それこそたった今ラクスと語り合ってきたように、赦されるその時まで、祈り、願い、謝り続ける
べきなのだ。
………けれど。
軍隊に身を投じ、自分の撃つ銃が新たな憎しみの火種となることに気付いていない彼の姿は、ラウの告げた罪深き人類の姿に重なる。
彼の心に最初に怒りと憎しみの炎を与えたのが、自分であるということはわかっている。彼にとっての火種は自分なのだとわかっている。
それでも、どうしても。
苦しかった。
人はその業から逃れられないのだと、自ら進んで憎しみを積み上げて行く生き物なのだと、…その証拠を見せ付けられたように感じて。
シンは何も悪くない。彼は一方的に巻き込まれただけ。悪いのは自分だ。彼を変えてしまったのは、自分だ。…それは分かっているけれど、
それでも、どうしてもキラにはやりきれなかった。
「…キラ…。何故………」
シンが去った後、ラクスは少し哀しそうな顔をして尋ねてきた。
だが、キラは穏やかに微笑む。
彼には知る権利があり、自分には告げる義務がある。
ただ、それを為しただけだよ、と。
けれどラクスは、今度は咎めるような視線を投げかけて来る。
「…フリーダムのことは、何故言わなかったのですか」
キラはオーブを守って戦ったのに。
「あれでは誤解してくれと言わんばかりではありませんか。まるで、キラはあの時地球軍にいたかのように聞こえましたわ」
「………今、フリーダムがザフトやプラントでどんな扱いをされてるか、ラクスだって聞いてるでしょ」
複雑な苦笑いが浮かぶ。
ザフトから奪取され、アスランに対して捕獲又は破壊せよという指令まで出ていたフリーダムなのに、今やジャスティスと並んで停戦の
最大の立役者として、謎に包まれたパイロットと共に英雄扱いだ。
「フリーダムのことを言えば、その名前だけが先行してしまって、彼は真実が見えなくなってしまうかもしれないから」
フリーダムがオーブ解放戦にオーブ勢として加わっていたことも知っているだろう。そして彼は、自分に好意的に接してくれている。
だからこそ、フリーダムの名を出せば、誤解してしまう可能性が高い。
この人が家族を奪ったわけじゃない、と。
守ろうとしてくれたんだ、違う、と。
守ろうとしていたのは真実だ。だが、自分が彼の家族を奪ったこともまた、現実。
彼はまだ幼く、そして純粋で真っ直ぐだ。傷付いた心を持て余して、心のぶつける場所を見つけられずにさまよっている。
傷を癒せずにいる心が、これ以上傷付かないように、曲げて受けとってしまうかもしれない。フリーダムは『オーブを守った英雄』
なのだから。
地球軍のデータベースにアクセスすれば、自分がかつてストライクのパイロットであったことも、書類的にはMIA扱いされていること
も分かるだろう。そうすれば、アスランと自分が一時は殺し合った仲だということも連鎖的に分かるはず。そのことをアスランに聞けば、
彼は自分がフリーダムのパイロットであることをシンに明かすかもしれない。そうなった時にはきっと、どうして自分がそのことを伏せた
のか、彼はその意味をちゃんと考えてくれると信じる。
アスランに尋ねるどころか調べるまでもなく、家族を殺した仇として彼に怨まれるかもしれない。…それでもいい。矛盾してしまうけれど、
行き場のない彼の心が、行き場を見つけられるのなら構わない。彼は砂漠で再会した頃のカガリのようだ。どうしようもなく真っ直ぐで、
純粋で、…それでいてシンは更に、危うい。自分を仇敵と定めることで少しでもその危うさが薄らいでくれるのなら、彼の怒りを一身に
受けることも構いはしない。
彼が冷静に物事を判断できるようになって、聞く姿勢が整った時にこそ、地球軍にいた時のことを、フリーダムを得た時のことを、
…二年前のオーブのことを、きっと先入観なく落ち着いて話し合える。
自分のことだけではない。この世界を巡る、さまざまなことを、きっと語り合える。
…とにかく、今日のことを彼がどう受け取って、どう解釈し、何を思い、考えて、そしてどう動くのかは、彼次第。
「……………僕達も…」
「…えっ?」
「………見極められる時間が、あればいいんだけど…」
「………………ええ」
この世界がどう動いて、何者が何を望んでどう暗躍しているのか。
自分達が望む世界のために戦うべき相手は誰なのか。或いは、やはり力を手にすべきではないのか。
それを調べ、見定める。その時間と余裕が、残されていればいいのだが。
すべては、この世界が再び戦の炎に焼かれることがないように。
カガリが政治という不慣れな戦場に立ち、ナチュラルとコーディネイターがその垣根なく共存できる場所にするため奮闘している、
このオーブを守るために。
この美しい海と空を守るために。
UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)
海原の大好物、誤解&すれ違い。こちらではシンとキラがこのまますれ違ってしまいます。というかキラの確信犯
的な誤解ですが。
…え、アスランはって? 彼はこっちではすれ違いというより勘違い(^^;)かなぁ…。