++fragment-FF11「ポロメリア」1++

ポロメリア
(1)








「ヤバい………………」
 呟いたところで返事はない。せいぜい、時々足元を通り抜けるオポオポが小さく鳴くくらいだ。
 鬱蒼と生い茂った豊かな熱帯雨林。木々はパノラマに広がり、頭上遥かで重なり合った枝や葉が月明かりを遮るため、獣道を探し当てる ことさえそれなりの集中力を要した。人が通る道など、当然あるわけがない。
 現在これがナイトの最高装備であろう、そんな話題で必ず名が挙がる装備一式を身に纏ったエルヴァーンの女性は、夜空を見上げて辛気 臭い溜息をついた。

 今現在、彼女は迷子の状態にある。

 ほんの少しの距離を億劫がったのがそもそもの発端だった。
 彼女は常日頃から、カザムの競売カウンターからユタンガへ向かう距離が長く感じられ、大変に面倒くさいと思っていた。そこで、近道を して抜けてやろうと思い立ったのだ。このずぼらな思いつきをしたのがいけなかった。
 だが、思い付いたその瞬間の彼女にとっては、いいアイディア以外の何物でもない。いずれ自分が迷子になることなど知らずに、早速 羊皮紙に写された地図を取り出す。カザムの地図とユタンガの地図を交互に睨み、こっちからこう進めばこの辺りに出る筈だと確信して、 競売係員や付近にいるミスラ達の眼を盗んでひょいと柵を乗り越えたのである。夜だったことも幸いして(もっとも、猫に近いと言われて いるミスラ達は夜目が効くらしいので、あまり意味はなかった可能性もあるが)、彼女は誰にも見咎められずにジャングルへ飲み込まれて いった。
 が、である。
 コンパスを頼りに自信満々で進んでいた彼女は、ものの数分ですっかり現在位置を見失い、途方に暮れてしまったのだった。

 来た道を戻ろうにも、同じ景色が続くジャングルではほんの一瞬気を抜いただけで、どちらから来てどちらへ向かおうとしていたのか わからなくなってしまう。足音を辿ろうにも、月明かりが充分に差し込んでこない為、獣道を探すのもやっとの状態なのだ。地面についた 足跡までは、とてもではないが見えない。
(こんな時シーフだったらうまいことできるのかしら)
 ジョブチェンジした途端にツールを使って鍵を開けることさえお茶の子さいさいになってしまうのだから、そう非現実的な話でもない ように思う。だが、そうやって想像すること自体、今の彼女にとっては現実逃避でしかない。溜息をついて、もう一度懐から球状の クリスタルを取り出した。郷里サンドリアで冒険者の登録をした時に受け取ったものだ。
 ぽう、と地図が浮かび上がる。…はずだったのだが、やはり『このエリアの地図は存在しません』という無機質な文字が並んで投影される だけ。さっきから何度試してもこればかり。
 せめてカザムかユタンガのエリアに入ってしまえば、現在地点もポイントになって示されるのに。
(…どこかに飛べば速いのは、そりゃわかってるけど)
 幸いサポ白なのだから、テレポで三国岩のどこかへ飛べばすぐに迷子問題は解決できる。しかし、どうにも負けた気がして悔しくて、 今まで意地を張って歩き続けて来たのだ。
 だが、暗くじめじめした熱帯雨林をさまよっていると、その意地がかなりばかばかしく思えてきたのも事実。それに、未開の地で未知の NMやHNMにでも出くわしてしまったら、それこそ目も当てられない。
「…。しょーがない、飛ぶか」
 またジュノに戻ってカザム行きの飛空挺に乗って…というプロセスは大変に面倒臭く、なんのために近道をしようとしたのかわからなく なってしまうが、このまま迷い続けるよりはマシだ。
 短い溜息をついて詠唱を始めようとした、その瞬間。

    ガサッ ガサガサッ

 ぴく、と彼女の長い耳が動いた。
 オポオポが通っただけかもしれない。だが―――――。

    ガザザザッ ザザッ ザザザッ

 間違いない。意志を持って駆け抜ける何かの音。団体だ。しかもこちらに近づいている。
 オポオポの群れか、それとも獣人達か、あるいは。
 身構えた彼女の目前に、突如として人影が現れた。
「っ!!」
 叫ばなかったのは、咄嗟に息を詰めたせいでもあるが、その人影におもむろに口を塞がれたからだ。反射的に剣を抜こうとして、「シッ」 と耳に息を吹き込まれるくらい間近な距離で囁かれる。いや、ボリュームとしては囁き程度だが、勢いとしては叫びに近い。
 その人影は大急ぎで彼女にも自分にも一通り全ての感知遮断薬品を振りまくと、彼女の手首を掴んで少し走る。その手を振り払おうと した途端にぐいと引っ張られ、鎧越しに人肌のほんのりとした熱の気配を感じた次の瞬間、そのまま巨木の根と段差の間にできた狭い隙間 に滑り込まれた。
「ちょっと、何なのよ!?」
「シッ、静かに」
「サイレントオイルぶちまけといて静かにも何もないでしょうが」
 人影は彼女を抱き込むようにして、狭い隙間に無理矢理入り込んで身を隠しているのだ。これだけの至近距離だからこそ声も届くという もの。
(…違う)
 そうではない、と彼女は思い直した。これは距離の問題ではない。
 彼女が自分で言った通り、お互いにサイレントオイルの効果が発揮されている状態。これではいかに至近距離でも声が聞こえるはずがない。

 冒険者達の間で、サイレントオイルといえば「足音を消すもの」。だが正確には、全ての音を消すもの、なのである。オイルを使った 状態で、それでも冒険者達が普通に会話を交わすことができるのは、冒険者クリスタル…さっき彼女が懐から出したものだが、その魔力に よるものだという。クリスタルが声を意志として目的の相手に伝えるため、実際には念信に近い状態になっているものが会話のように 感じられるだけなのだそうだ。
 宝箱を開けると効果が切れてしまうのは、アイテムが増えることによってそれを管理するクリスタルの魔力が増大するためであったり、 宝箱の持つ魔力がサイレントオイルの力を上回るものであるためらしい。
 そんな話を、彼女は前に古参の錬金術ギルドマスターから聞いたことがあった。
 …ああ、ということは会話が成立するこの人物も冒険者ということか。そう思ってクリスタルに思考をリンクさせ、この人物のデータを 得ようとするが、反応がない。
 おや、と首を傾げたくなる。つまりこの人物は、冒険者ではない。会話を媒介するはずのクリスタルを、相手は所持していないという ことだ。
 密着しているから声が届くのか、それともギルドマスターの話が正確ではなかったのか。

 …それにしても、相手は彼女をがっちりと抱き締めて離そうとしない。これはセクハラでGMを呼ばれても文句は言えないと思うのだが。
 感知遮断薬品をぶちまけられる直前に一瞬現れた姿は、上半身裸の男性だった。いや、男性というよりも、少年…のほうが適当だろうか。 青年へ向かう成長途上の少年という印象を受けた。暗がりでよく見えなかったが、種族は恐らくヒュームだろう。
 当然、エルヴァーンの成人女性である彼女よりもかなりの小柄。お互いに姿が消えているこの状態では、彼女にとっては抱き締められて いるという感覚だが、恐らく実際には抱きつかれているとかしがみつかれているといった表現のほうが近いのだろう。
 こちらは鎧を着込んでいる側からいいが、冷たい金属が密着して、彼のほうはさぞ冷たいだろうに。案の定ぶるりと鳥肌を立てたような 気配を感じたが、それでも彼が腕を緩める気配はない。

 半分呆れた心持で言われた通りに黙っていると、やがて先程聞こえた団体の足音が近づいてきた。彼の気配が緊張するのが分かる。
 足音は、彼女達が隠れている巨木の向こう側…つまり、隠れた所が裏側なら、表側のほうに集まってきている。どうやら、数人のグループ ごとに散開して亜熱帯の森を探索していたものがここに全員集合した、という様子だ。
 松明の炎が揺れ、赤い色味を帯びた光がゆらゆらと周囲の木々を照らす。その影からして、集まって来たのは恐らく―――――。
「いた?」
「いや、こっちには」
「こっちもダメ、ニオイも追えなくなっちゃった」
「あの子ったら、よっぽど周到に準備してたんだねぇ」
「暢気なコト言ってる場合!? どーすんのよッ! 族長に何て言うワケ!?」
 やはり団体様はミスラ達だった。クリスタルでサーチをかけても、…地図の存在しないエリアであっても、一応「現在いるエリア」の カテゴリで検索をかければひとつだけ名前が出て来るのだが、それはつまりここら一帯にいる冒険者は彼女だけという証明である。
「だけどこれ以上深追いするのも危険だわ。…戻って、ありのまま報告するしかないでしょう」
「そんな〜ぁ!!」
 仕方がないから戻ろうという雰囲気になりつつある団体様の中で、ただ一人、甘く高い声の少女だけがゴネていたが。
「いいから、言う通りにしなさい! あんたのママに言いつけるわよ!!」
 キレた同世代の少女に怒鳴りつけられ、渋々大人達の後ろをついて去って行った。…それにしても、ママに言いつけるときたか。相当 歳若い少女達なのだろう。
 もういいだろうと彼の胸に手をかけて突っ張ろうとしたが、顔を横に振る気配を感じて、また力を抜いてしまう。まったくもう、 何だっていうんだ、一体。
 そういえば、ミスラは聴覚と嗅覚が極端に優れているという話を聞いたことがある。エルヴァーンの彼女が「もういいだろう」と思われる 距離でも、ミスラにとっては余裕で感知範囲内なのかもしれない。…なるほど、それでわざわざデオドライザーまで使ったのか。

 どこかでオポオポの鳴く声。
 風でざわめく葉音。
 このジャングルはこんなにも音に溢れていたのか、と初めて気付く。

 ほぅ、と彼が息をついた。やっと安心した、というところだろう。
「…もういいなら離してくれない? セクハラ行為でGM呼ぶわよ」
 わざと険のある声で刺々しく告げると、小さく「あ」という声がした。
「ごめんなさい。でも、離すのはちょっと…」
「は?」
「だってお姉さん、離したらどこかに行っちゃうでしょ? それ、ちょっと困るんだ」
「困るって言われてもね。困ってるの、むしろこっちなんだけど」
「うん。微妙に巻き込んでごめんね。ね、お姉さん冒険者でしょ? 迷惑かけついでに、僕をノーグまで送ってほしいんだ。そのかわり、 ユタンガまでは僕が案内してあげるから」
「………」
 むっとしたのが半分、呆れたのが半分で一瞬絶句してしまった。
 悪びれない口調で図々しいことを言ってくることには、どこのワガママなお子様だ、と呆れてしまう。もしやどこかの世間知らずかとも 思ったが、そういうわけでもなかろう。
 ユタンガまでは案内してあげる…ということは、君が迷ってることはわかっているよ、という意味にも取れる。こういう物の言い方には 少々むっとした。計算ずくだとしたらたちが悪いではないか。
「…話にならない。悪いけどGM呼ばせてもらうわ」
 未だ抱き締められた(というか、しがみつかれた)ままの状態。相手が一般の住民だろうと、何らかのペナルティは課されるはずだ。
「やめたほうがいいんじゃない? 困るのお姉さんのほうだと思うよ、GM呼んだら」
「は? 私が何を困るって言うのよ」
「ここさ、カザムの奥地。冒険者のヒトが入っちゃいけない場所だよ」
 げっ、と声に出しそうになってしまって、咄嗟に口を噤んだ。プリズムパウダーの効果がまだ続いているから良かったが、もし切れて いたら眉間にシワが刻まれたことは隠せなかっただろう。
「お姉さんが何を思ってこんなとこにいるのか知らないけど、お説教されるのは僕じゃなくてお姉さんのほうだと思うよ? あ、魔法とか で移動するのもやめてね。お姉さんと僕の会話は、えーっと…ロブ? に残ってるはずだから、僕が通報して調べてもらったらすぐ わかっちゃうよ」
「―――――………」
 おのれ。
 おそらく奴は勝利を確信してにっこり微笑んでいるに違いない。
 彼女は重苦しい溜息をついて、手にしたクリスタルを懐に戻した。
「ロブじゃなくて、ログね。…それで? 何、結局脅迫する気なの」
「…脅迫…に、なっちゃうよね、これってやっぱり」
 苦笑というか、申し訳なさ混じりの声になる。ああやっぱりこの子幼いんだわ、と思いながら身を引いた。が、彼は相変わらずしがみ ついてきて離そうとしない。まだ逃げられると思っているのだろうが、とりあえずいつまでもこんな狭苦しいところに押し込められ続ける のは勘弁してほしい。
「ちょっと、わかったわよ。飛んだりしないから、いい加減離してくれる?」
「ほんとにどこかに行っちゃわない? 絶対?」
「そうできないように君が仕向けたんでしょうが。飛ぼうにも飛べないわよ」
「………」
「このままじゃ落ち着いて話もできないでしょ」
「……………」
 お姉さんらしく諭すように言うと、彼はゆっくりと腕を解いた。
 それでもやっぱりまだ不安なのか、体は離しても、手を握って離そうとしない。こういうところは、素直に可愛いんだけど。
 なんだかおかしなお子さんに捕まってしまったなぁと苦笑しながら、プリズムパウダーの効果を切る。姿が見えれば安心するだろう。
「……かっこいいな〜…」
 惚れ惚れと彼が言うので、思わず笑ってしまった。
「おだてても何も出ないわよ」
「そ、そんなつもりじゃないよ!」
 我ながら、明らかにトラブルを抱えた子供に捕まって、何をこんなに暢気にしているのかと思う。しかし、何故か彼には危機感を抱かせ ないような雰囲気があった。
「私はアリア。見てのとおりエルヴァーンのナイトよ。君は?」
「あ、僕は…」
 えっと、と小さく呟いて、プリズムパウダーの効果を切る。
 途端に、彼女の口が「あ」という形にぱっかりと開いた。

「僕はフィオ。見てのとおり、ミスラです。オトコの、だけどね」

 ヒュームだとばかり思っていた彼の頭には、ぴょこんと耳がついていた。




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UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)

 色々と捏造してます…。サイレントオイルの設定なんてもう。
 …てか、冷静に考えると、パウダーはともかくオイルを振り掛けられるってちょっとイヤですね(笑)
 香油みたいなのを軽くシュッ、ならともかく、瓶からじゃぶじゃぶと景気良くかけてると考えると。
 音が消えるどころか滑って危ないわ!! みたいなね。ベタベタになっちゃうのもいやだし。ああ、鎧の錆防止にはなるのかも? (んなわけないわな…)