第十四楽章と第十五楽章のあいだの間奏曲
(5)
「お待たせ〜!」
カラン、とグラスの中で氷が音を立てる。食卓に並べられたのはお茶と、それから例の串物を温め直した皿と、簡単なサラダ。
横目でちらっとそれを見て、けれど綾人は立ち上がろうとも座り直そうともせず、遥に背を向けて寝転んだまま。
「ほら! いつまでもゴロゴロしてないで! 冷めちゃうわよ?」
「………………」
「…あ、朝っぱらから焼鳥とか、ちょっと重かった? だったらサラダだけでも」
「もういいよ」
「………え?」
冷たい声。いや、投げやりといったほうが正しい。
「無理してご機嫌とらなくていいって言ったんだよ」
「ご機嫌って…」
「どうせ黙ってたのが後ろめたいだけなんだろ」
「っ…」
びくん、と遥の肩が震える。
ほら見ろ、と目元を歪めてしまう。
「………」
時計の秒針が、一秒ごとに微かな音を立てるだけの、静寂。
「……………確かに、綾人くんから、MUフェイズ反応が…検出されたわ…。でも、いいじゃないそんなこと」
「…」
「MUフェイズ反応が出て、何か変わった? 何も変わらないでしょう。今までと何も変わらない、違わない。何もかも今まで通り。
…綾人くんは綾人くんであることに変わりないわ。そうでしょう?」
「………そういう問題じゃない」
のっそりと起き上がる。猫背を向けて、顔を見せずに。
「遥さんはあの時、言ったよね。真実を教えてあげるって。なのに、肝心なことは隠したまま、そっちの都合で情報を操作してる」
「違うわ、綾人くん聞いて」
「あなたは」
向けられた瞳は、もう猜疑心に歪んではいなくて。
「嘘吐きだ」
食卓には焼鳥とサラダ、それに氷の浮いたお茶。
「……………まいったな……………。…『あなた』って言葉…結構痛いよ………」
取り残された子供のような目をした綾人の姿は、もうそこにはなかった。
遥の顔を見ていたくなかった。
誰とも話したくなかった。
誰とも会いたくなかった。
だから、ただ、歩く。
立ち止まって誰かと顔を合わせるのが厭だから。
「綾人」
不意に、耳元に直接語り掛けられたかのようなストレートな音。優しく染み渡るような、独特の声。
自然と立ち止まり、顔を上げていた。
「あ………」
にこりと微笑む彼女に、綾人はやっと、ほっと息をついた。
道路沿いのベンチに並んで腰を下ろす。
走って行く車。走り去る車。見るともなく、見送る。
「…三嶋はさ」
「………なあに?」
「…………………。何でもない」
話がしたいわけじゃない。
ただ、隣り合ってこうしていたいだけ。
それだけで彼女は自分を受け入れてくれているような気がするから。それはとても心地良いことだから。
今はただ心地良いところにいたいから。
走って行く車。走り去る車。
白い車。黒い車。黄色い車。赤い車。青い車。
小さな車。大きな車。トラック。バイク。スクーター。
「…っ」
ぐぅん、とこちらへ迫って来るようなトラック。様子がおかしい。
「三嶋!」
手を引いて、ベンチの後ろへ回り込む。
速いスピードと乱雑すぎる運転。トラックは歩道に乗り上げ、ベンチを掠めるようにしてから、また車道に戻る。その勢いで対向車線へ
はみ出して、危なっかしく走り去って行く。どこからどう見ても酔っ払い運転としか考えられない。
「…何なんだよ、危ないな…!」
ああもう、と綾人は顔を顰める。折角穏やかな時間だったのに。
「三嶋、大丈………」
振り返る。だがそこに彼女の姿はない。
彼女と繋いでいた筈の手は、ただ空中に浮いているだけだった。
「三嶋? …三嶋!」
見回しても、見渡しても、彼女の姿はない。
ぽつん、と取り残される綾人。
「…何だよ」
どうしようもなく一人だ。
それは遥の元から去る時に願っていた状態のはずなのに。
「だいじょうぶ」
「えっ」
振り返る。そこにはいつのまにか、久遠がいた。
「もう、おわるわ」
「え?」
彼女はただ穏やかに佇む。
遠く綾人の後ろに立つ玲香を見つめて。
それから、にこりと微笑んだ。