砂時計
序章
「アスラン!」
呼ばれて止まると、スーツ姿の金髪少女が移動用の磁場レールにつかまって、こちらに向かって来ていた。
「そっちの会議も終わったのか? お疲れ」
そう言って小さく笑顔を向けると、彼女も壁に手をついて止まる。
「アスランこそ、…すぐ、アプリリウスワンに戻るのか?」
「ああ。仕事も山積みだし、明日の予定もあるし、…それに…連絡が入ったらすぐ迎えに行けるように、なるべく融通の効く場所に居たい
からな」
すっと目が細められる。
カガリも複雑な表情で、そんなアスランを見遣った。
「……そっか」
ぽつんと返された言葉はぶっきらぼうで、でもその顔は、アスランに負けず劣らず複雑。
「…お前が行くなら…あたしも、その時行っていいんだよな」
肯定を期待した言葉に、アスランは顔を逸らした。
「…キラ次第じゃないのか。それは」
…………何か言いかけて。
すいっ、と体ごとアスランから視線を逸らすカガリ。
「…こないだ、さ」
ん、と振り返る。
「ディアッカは、会ったんだって。キラに」
「……………え…っ!?」
目を見開いて、そのまま顔を強張らせてしまうアスラン。
最初に呼ばれるのは絶対に、ラクスかカガリか、…自分だと確信していたのに。
オーブ脱出の時に合流して以来、ディアッカとキラが仲良くなっていたのは知っている。自分と彼とも、クルーゼ隊に所属していた頃の
微妙な壁は消えて、素直に仲間になれた。
モビルスーツパイロット達の兄貴分として、クライン派陣営の中でディアッカはすっかり人気者になっていたから、同じようにキラも
懐いて。
ヘリオポリスのカレッジの中でもこんな感じだったんだろうかと、微笑ましく見守ったものだった。
…けれど、まさか、自分よりも彼が先に呼ばれるなんて。
「…それで、キラの様子は」
思わずカガリの肩を強く掴んでしまう。そこには怒りと戸惑いと淋しさをマーブルに混ぜたような顔があった。
「わからない…。通信入れて聞いてみたけど、結局うまくはぐらかされて…」
「…そんな、どうして」
「そんなのこっちが聞きたい!」
声を荒げ、ハッとして視線を落とす。…アスランに怒っても仕方のないことだ。
「……とにかく、大丈夫だ、って…」
「………」
嬉しいのか、悔しいのか、哀しいのか、よくわからない。
ホッとしたことだけは確かだけれど。
アイリーン・カナーバ率いるプラント臨時最高議会が正式に停戦協議を申し入れ、それが地球連合軍に即時受け入れられたのが、今から
約五ヶ月前。
暴走したパトリック・ザラ前議長の息子であり、同時に、正式にザフトから除隊せぬままクライン派に属し、ジェネシスと核兵器の
使用を糾弾してきたアスランはその当時、停戦直後のプラントで微妙な立場に立たされることを覚悟した。これは、現在参政を禁じられ
事実上自宅謹慎状態にある急進派の前議員、エザリア・ジュールとタッド・エルスマンの息子である、イザークとディアッカも同じ。
そして地球軍からは未だ逃亡反逆艦扱いとされていた、アークエンジェルとそのクルー達も。
結果だけを見れば、クライン派は確かに最悪の悲劇からプラントと地球の双方を救った。だが、そこに至るまでに行ってきたことが
テロじみていることは否定できない。
構成しているのは、地球連合軍を裏切った逃亡艦、亡国の残存戦力、そしてザフトから奪取した最新鋭機動兵器とその運用艦。
…平和を叫びながら武器を取る。結果こそ良い方向に収まったものの、それ自体は矛盾に満ちた選択。
ラクスは、クライン派の受ける糾弾を全てその身に受ける覚悟を固めていた。それは恐らく、いずれは自らが先頭に立って蜂起する
ことを決意した時に既にあった覚悟だろう。
カガリやバルトフェルド、マリュー達。全てのクルー、協力者達。そしてキラとアスランを守り、自分が総ての盾となる為に、プラント
臨時最高議会と地球連合首脳陣との会談の場へ、クライン派の代表として赴いた。
だが、彼らのその…ある意味においては暴挙と言われても仕方のない行動は、プラント、地球軍どちらからも責められることはなかった。
むしろその逆で、混濁した戦局を見極めた上で勇気を持って行動し、争うことだけが目的になっていた我々の目を覚まさせてくれたと、
謝意を示されたのである。
プラントを核兵器の魔手から守った英雄。地球をジェネシスの脅威から守った英雄。…ラクスを旗頭とする『クライン派』に属していた
者達は、双方から大袈裟なほど大々的に称賛された。代表として率いていたラクスは勿論のこと、圧倒的な力で歪んだ戦場を正すために
駆けたフリーダムとジャスティスのパイロットに対しては特に、羨望の眼差しを向ける者も多い。
カガリが申し入れたオーブ再興、国権復活の要請があっさり連合に受け入れられたのも、彼女がクライン派の英雄の一人であるからだ。
カナーバ臨時議長は、正式な新議長に迷わずラクス・クラインを推した。
戦場で彼女の率いるクライン派が何を成してきたのか、そして彼女が地球軍のスパイだというのはザラ前議長によって着せられた濡れ衣
であるということを報道で知ったプラント国民の殆どが賛同し、臨時議会議員全員の賛成票を得たため、ラクスは異例中の異例ともいえる
若さでプラント最高評議会議長に就任。カナーバは一評議員に戻って彼女を補佐している。
バルトフェルドはエターナルに残ったクライン派をまとめ、時折勃発する小競り合いを鎮圧する不殺中立部隊としてラクスを間接的に
補佐。今ではその行動を一部のザフト兵が勝手に追随するようになり、彼にはザフトへ戻って混乱している軍を立て直してほしいという
要請まで来ていた。
ダコスタはエターナルへの残留を望んだが、ラクスからの要請とバルトフェルドの推薦もあって、彼女の秘書として働いている。勿論、
彼を仲介して、バルトフェルドの持つ情報が常にラクスの元へ通じるようにするためだ。
息子としてパトリック・ザラの行いに対する糾弾を受ける覚悟をしていたアスランだが、彼にはクライン派の英雄を迎えたいと評議員に
推す声さえ出た。だが、父親の責任は取りたいが、自分は英雄になったつもりはなく、そういう理由で推されるのは納得できないと申し出
を断り、ダコスタと共にラクスの秘書として動いている。クライン派が一丸となって隠しているもう一人の英雄、フリーダムのパイロット
…キラのことを世間から隠すためにも、アスランは政治に近付きすぎても、遠のきすぎてもいけないというラクスの助言もあっての選択だった。
イザークとディアッカにも、ザフトへ残留、または新最高議会に参加して欲しいという要請があったが、「これ以上好き勝手に英雄扱い
されるのはごめんだ」と言って固辞した。
捕虜としてアークエンジェルに囚われた身でありながら、釈放されても保身を図らずに戦局の歪みを見極め、オーブ壊滅戦の時から
彼らを守り戦う道を選んだディアッカ。…本人はミリアリアを守りたかったというだけの話で、そんな大層な言われ方されたら困ると
ぼやいているのだが。そして、ジュール隊隊長として核からプラントを守り続け、土壇場でクライン派と合流したイザークも、やはり
英雄視されているパイロットの一人。
どんどん一人歩きし始めた英雄譚を嫌って、二人共正式にザフトを辞めた。そして一度は戻ったプラント首都ともいうべきアプリリウス
ワンを離れ、ディアッカはミリアリアと共にオーブへ降り、イザークは出身地であるマティウスワンに戻った。パトリック・ザラ政権の
顔として活動していたために非難が集中し、評議員の地位を剥奪され現在その行動を政治裁判にかけられている母親エザリア・ジュールを
世間から守り、彼女と共にひっそりと暮らしている。
クライン派はまた、ジェネシス破壊を好意的に受け取られ、地球連合側からも英雄扱いされている。
巧みな話術と強引な手段、高圧的な姿勢、そして産業理事の地位を振り翳して連合首脳陣を黙らせてきたブルーコスモスの盟主、ムルタ・
アズラエル。彼を討ったことに対しても謝意を示された。
勿論、そこでしっかり「ピースメーカー隊を率いたのも核攻撃の決定もアズラエルが強行したことであり、連合に非はない。あれはブルー
コスモスとムルタ・アズラエルの暴走だ」と責任を全て彼になすりつけ保身を図ることは忘れておらず、あらゆる方面からの失笑をかったの
だが。
カガリはキサカやエリカ・シモンズらとオーブを再建し、地球連合とプラント最高議会の橋渡しの役目を担って、日夜終戦協定締結の
ために走りまわっていた。
艦を降りたマリューに代わって操舵士であるノイマンが艦長を兼任しているアークエンジェルは、正式にオーブの旗艦となり、クサナギ
と共にカガリを補佐している。
そして、キラは。
―――――――――まだ、生まれ変わっている途中。