砂時計
終章
(2)
扉の向こうではノイマンが総攻撃を受けているのか、二人が部屋を出たことに気付いて追って来る者はなかった。
それを確認して、アスランから口を開いたのだが。
「……カガリ、俺は」
「お前、わかってるんだろうな」
暗黙の了解で付き合っているような状態になっていたカガリとの関係にけじめをつけようとしたアスランは、その出端を彼女に挫かれて
しまう。
「キラは、昔のキラに戻ることもできた。でも、女になったってことは、…わかるよな、キラの気持ち」
「……………カガリ」
「元は男なのに気色悪いとか言うんなら、お前とは縁を切る」
厳しい視線で、アスランを貫く。
「……………ああ。…すまな」
「謝らなくていい。…いいから、キラを頼んだぞ。泣かせたら承知しないからな」
「……わかった」
真剣すぎるくらい真剣なアスランに、ニッと笑って見せる。
その後から、プシュンと扉の開く音が響く。
「…あ…、ごめん、あの、そろそろ食事始めようって、ラクスが」
二人の間に流れる微妙な空気に、一瞬戸惑うキラだったが。
「あ、丁度いいや。ほら」
つかつかとキラに歩み寄ると、どんっとその背中を押す。
「えっ?」
「アスランが、お前に話あるんだって。…だよな」
「…ああ」
「で、でも、あの食事が」
「いーから!」
ぐいぐいとキラをアスランの隣へ押しやって、アスランも背中を向かせて、二人を更に外へ。
「お前、そろそろ人のことより自分のこと考えろ! いいな!」
どんっと廊下へ二人を押し出すと、明るく照らす太陽のように微笑んで、扉を閉める。
そう、決めたんだ。
アスランが真っ先にキラを呼んだら、その時は―――――彼をキラに返すんだと。
それに自分達の絆が切れるわけではないから。
キラはアスランを想い、女性体になった。なら、キラに幸せをあげられるのは、アスランしかいないってことだから。
涙を拭って皆の集まる部屋の扉を開けたカガリは、途端にノイマンから思わぬ告白を受ける事になる。
誰かが探しにくるかもしれないから、とキラを連れて別の部屋へ入るアスラン。研究者の仮眠室として使われていた部屋らしく、
リラクゼーションシステムやベッドがいくつか並んでいた。
天井からは、これもリラクゼーションシステムの一つなのだろう。キラが以前部屋に再現したのと同じ、人工的に月の光が再現され、
部屋を適度な明るさに保っていた。
「……………キラ」
名前を呼ばれて、はっと顔を上げる。そこには真っ直ぐなアスランの顔。
「キラ、俺はお前の」
「あっ、ちょ、ちょっと…待って!」
「………」
「…僕も、君に話したいことがあるから…。…ごめん、先に…聞いて?」
真剣な瞳。
アスランは優しく微笑むと、しっかりと頷いた。
「……僕…最後の戦いのあと、目を醒まして、変化を起こした自分の体のことを知って…自分のDNAのことを知って………。ずっと、
マリューさんと二人で暮らしながら、いろんなことを考えてた」
戦争のこと。コーディネイターとナチュラルのこと。今までと、これから。
『最高のコーディネイター』…自分のこと。自分を生み出した父、ユーレン・ヒビキ博士のこと。博士の理想と狂気の板挟みになった
ヴィア・ヒビキのこと。育ててくれた両親のこと。
命がけでアークエンジェルを守って散ったという、ムウのこと。大西洋連合を唆して裏で糸を引いていたブルーコスモスの盟主、
アズラエルと共に散ったナタルのこと。
守りきれず、目の前で殺されていったフレイのこと。
憎しみしか知らず、それ以外のものを知ろうとせず、世界を道連れに死を探していたあの男のこと。
プラント最高議会新議長として新しい時代を平和にしてゆこうとしているラクスのこと。
双子の妹、カガリのこと。
そして、……アスランのことも。
アスランとカガリが惹かれ合っていることは気付いていた。あの頃、カガリと自分とは「双子の兄妹」で。アスランとも、「友達」
だったから。
だから、それは現実として普通に受け入れていたけれど。
自分も本来はカガリと同じように女性として産まれるはずだったと知った時から、そんなふうには考えられなくなっていた。
…もし、自分がちゃんと女性として産まれていれば。
あんなに一緒にいたアスラン。大好きなアスラン。大好きな大切な友達。……これが男と女なら、僕は彼を愛したに違いない。
だから、ひょっとしたらカガリよりも先に、彼と一番大事な絆を結べたんじゃないか……と。
そう意識した瞬間からもう、キラにとってのアスランは、友達ではなくなっていた。
かけがえのない時間を、ずっと二人で過ごしてきた大切な大切なひと。
別れは辛くて、哀しくて、苦しくて。
思わぬ形で再会した時は、何故彼が自分の居場所を脅かすのかわからなくて苦しくて。戦い合わなくてはならないことが辛くて。
そして――――――殺し合った。
…こんなにも心が痛むのは、あなただから。
「……………僕は君のことを…愛してる」
アスランの瞳が見開かれる。
「君がカガリと…心を通じ合わせていたのは知ってる。……僕には君を求める権利なんてないこともわかってる」
「キラ」
「フレイを、守れなかったのに…苦しい思い、悲しい思い、辛い思いをさせるばかりで、何もしてあげられなかったのに……。僕に自分の
幸せを望む資格なんかないことも、わかってる」
「キラ!」
それは違うと、キラの肩を掴むアスラン。
「僕にとって君がずっと友達だったように、君にとっても、多分そうなんだと思う。だからこんなこと突然言っても気色悪がられるだけ
だってこともわかってた」
「キラ!! 俺は」
「待ってアスラン、聞いて。お願いだから、言わせて」
アメジストの瞳が、至近距離からまっすぐにエメラルドの瞳を貫く。
「…キラ………」
そっと肩を掴んでいた手の力を緩めるアスラン。そのまま彼女の腕を伝って、辿り着いた手を握った。
「…ありがとう。………君が来てくれたあの日まで、僕はずっとそう思ってたんだ。君とは、もうこのまま会わないほうがいいのかも
しれないって。だけど君は来てくれた。君のほうから、僕のところに来てくれた…。アスラン、あの時言ってくれたよね。…ううん、口に
出して言ったわけじゃないけど、気持ちが僕の心に流れこんできた」
お前を愛しているんだと。
幸せを望んでも、いいのだと。
心がダイレクトに伝わる、嘘をつけない状態で。
君の心は僕にそう言った。
「……アスラン…、僕は…君が好き。君の傍にいさせてほしいんだ」
他の多くの幸せは、望まないから。だから、ただ君の傍にいたいとだけは望んでもいい?
そう問いかけようとしていたキラの唇は、アスランによって塞がれていた。
長い長い、優しいキス。
「…キラ。結婚、しないか」
「えっ?」
口付けの余韻に浸る間もないアスランの言葉に、思わず目を見開いてしまう。
「お前、カリダさんとハルマさんには、まだ会ってないんだって?」
「………」
微妙に表情が曇り、俯くキラ。
そう。まだ、両親には会っていなかった。どんな顔をして会えばいいのか、何からどう話せばいいのか、分からなくて。
二人から会いたいという連絡は度々来ていたけれど、でもまだ決心がつかずにいた。
「…俺も…一緒に行くから。……その時に、許しが貰えたら、そしたら」
「ちょ、ちょっと待ってよアスラン、あの、……カガリは…?」
複雑な表情で問いかけるキラに、小さく微笑む。
「…別れた。っていうか、ちゃんと決着をつけたよ。さっき」
「……」
お前はそろそろ自分の幸せを考えろ。そう言ったカガリの気持ちを考えて、またキラの胸は痛んだ。
双子の妹の幸せを奪ってまで、アスランの傍にいてもいいのだろうか…と。
その心を読んだかのように、アスランは優しくキラを抱き締める。お前はもっと望んでいいのだと伝えるように。
「……俺の傍にいてほしい。俺が、お前に傍にいてほしい。だから…結婚、しよう」
「……………」
キラは呆然とアスランにされるがままになっていたが、やがてその胸に体を預け、クスクス笑い始めてしまう。
「…キラ…ここは笑うところじゃないんだけど…」
「だ、だって…結婚って…! アスラン、話飛びすぎ…!」
「……お前に言われたくない」
クスクス笑うキラ。優しい振動が、アスランの胸を暖かくさせる。
愛する人の無邪気な表情に、彼も自然と笑顔になって。
手を重ねて、きゅっと指を絡ませ、もう一度口付ける。
それはまだ誰も知らない、二人だけの誓い。
キラの体のこと、世界情勢のこと……不安はまだ、何も消えたわけではない。
でも、あなたと生きていきたいと願うこの愛しさは、不安を覆い隠すほど募るばかり。
そして、あなたに傍にいてほしいと願うこの想いは、多くの障害と困難に立ち向かう強さへと変わる。
過ちと後悔を乗り越えて、産まれる前に定められた運命さえ退けて愛し合う二人を、人の手で造られた月光だけが見守っていた。