++「冷たい海」1−7++

冷たい海
エピソード1・裏切りものの人形
(7)









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「…」
 ティーポットやカップを洗ったところで、ふぅ、と一息。とにかく、このままボーッといしているわけにもいかない。時間の無駄だ。 少しでも仕事を進めたい。
 そう思い二階へ上がって、部屋へ。
 …キラの部屋から、微かに話し声。内容まではわからないが、誰が話しているのかは分かる。それくらいのボリューム。
「……………」
 別に盗み聞きをしようと聞き耳を立てなければ、対して気にならない生活騒音。隣宅の楽器よりもよほど静かだ。気にしなければ、 意識に入ってこない。
 なのに。
 ぼそぼそと聞こえるアセルス達の声。
 キラは、口を開くのだろうか、と。
 声を出すのだろうかと。
 つい意識はそちらへ向かってしまう。
 集中力が欠けている。これでは仕事にならない。
 必要なデータをかき集めたイザークは、ノート型のパソコンを持って階下へ降りた。


 改めてパソコンに向かう。だが、一度気になってしまったものは中々頭から出ていってくれず、イザークを苛つかせる。
 気を紛らわせようとテレビをつけ、適当にチャンネルを回し、嫌いなので普段なら絶対に見ないようなバラエティ系の番組で固定する。
 この気分の悪さを、量産される能天気な笑い声のせいにしてしまおうと。
 だがその対策も、ちっとも効果を現しはしない。添付する資料ファイルを間違え、簡単な計算式を間違え、スペルを間違え、コードを 間違え、保存先指定を間違え、と普段なら絶対にしないようなケアレスミスばかり連発してしまう。
「くそっ」
 悪態をついて、データを打ち直す。打ち直したそばから校正ツールが自動的に警告を出し、また舌打ち。
 その悪態も舌打ちも、上に聞こえないようにと無意識に気遣っていることに気付いて、丁度そこにテレビの笑い声がわっと盛り上がり、 苛々が更に増幅されてくる。
 悪循環もいいところだ。
 一度気分をしっかり入れ替えてしまわなければと思い、作業を保存してテレビを消し、立ち上がる。
「あら、こちらでしたの?」
「っ」
 鈴の鳴るような美しい声に振り向くと、ラクス・クラインが階段を降りてきた。
「お部屋にいらして下さって、よろしかったのに」
「は…はあ…」
 まあ確かに、アセルスから部屋に近づくなとの注意もなかったし、仕事をするなら自分の部屋でしているほうが自然だろう。それに 後見人であり保護者である以上、むしろ診察に立ち会ってもおかしくはない。
「イザーク様、少々お尋ねしてもよろしいですか? キラのことを」
「? 何でしょう」
 冷蔵庫から出した冷たいアップルジュースを注いだグラスを、ダイニングテーブルの椅子に座ったラクスの前に出すイザーク。自分の グラスには、ミネラルウォーターを注いだ。
「ありがとうございます。…キラは、ずっとあのような状態なのですか?」
「あのような、とは」
「口を聞いて下さらないし、目の焦点も、どこか合っていないように見受けられます。…わたくし達の言葉も、どこまで届いているのか…」
 やはり三人に対しても同じなのか、と小さく息をつく。
「ええ。偶に何か言おうとしても、金魚みたいにパクパクと口を動かすだけで、何を言いたいのかさっぱり」
「…そうですか」
 辛そうに目を伏せた歌姫は、一口ジュースを飲んだ。

 そのままラクスが口を噤んでしまったため、沈黙が訪れる。イザークは話題を探してみたが、自分が彼女の歌を好きだという話題はこの 状況に相応しくないように思われ、結局こちらも口を開くことができない。
 キラが普段どんな状態かを詳しく聞かせてやろうにも、彼女とはひとつ屋根の下で暮らしていてもほとんど生活に接点がなかった。 部屋で一人何をして何を思っているかなどイザークにはわからないし、またわかりたくもなかった。

 少しして、今度はエザリアが降りてきた。
「イザーク」
 その気配を察して立ち上がるイザークに、エザリアは少し渋い表情で歩み寄ってくる。
「……。イザーク、今度こそ彼女の支えになってあげて。…いいわね?」
「………」
 意外な母の言葉を、しかしほとんど驚きもなく受け止めている自分が少し不思議だったが。
 驚きが少なかったのは恐らく、母が本当に言いたいことがすぐに読めたからだろう。身元を引き受けた保護者として、彼女の保護監視、 監督を、もっとしっかりしてくれなくては困る、と。ずっと失声症と拒食症を引き摺り、人とのコミュニケーションもまともに取れない ような状態だった彼女を、なぜ今の今まで放置してきたのかと。
 ラクス嬢の前であることから直接そう告げることを憚られ、言葉を選んだのだ、きっと。
「わかりました。…今度こそ必ず」
 しっかりと母の瞳を見返して、頷く。
 エザリアは少しホッとしたように表情を緩め、頷き返した。

 そうだ。戦場で圧倒的な力を発揮してきたストライクのパイロットが弱っている様など見たくないと、そんなふうにいつまでも逃げて いてはいけない。
 このままでは、それこそ一生彼女の世話で振り回されて、出世の道まで閉ざされてしまう。
 かつて自分も口にしたように、これ以上彼女に人生を振り回されるのはまっぴらだ。
 そのためにも、彼女のことはしっかりと面倒を見よう。
 早く自立させて、縁を切ろう。
 ミゲルを、多くの同朋を殺し、この額に傷をくらわせ、ニコルの足を潰した張本人であるキラへの怒りが消えたわけではない。だが、 彼女を、ストライクを落とす格好のチャンスを逃したのは自分だ。

 やがてアセルスが降りて来て、事前にイザークから聞いていた状態とほぼ変わらないことを確認し、水に溶かすタイプの栄養剤を五日分 渡された。しばらく往診を続けるということで、次の診察日を決めて、それから三人の女性達は帰って行った。


 スピットブレイクの時にストライクを落とし損ね、アスランに捕獲されてしまったのは自分の過失だ。
 ならば、コーディネイター主権の新しい時代を迎えた今、もうこれ以上ストライクに振り回されることなく、自分の新しい人生を踏み 出すべきだ。
 ザフトに入ったときに目指していた出世コースに戻ろう。そのために、キラと向き合い、彼女のケアを行おう。保護観察を今まで以上に 徹底しよう。

 そうして、彼女との関わりは、さっさと切ってしまおう。

 戦争は、終わったのだ。




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UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)

イザキラ的にそれはどうなの、っていうイザークの意識の変化。
いや、縁切ろうなんて決意されてもね、っていう。イザキラなんですから切りませんけど?(笑)
それはさておき次章からアスランのキラ奪還計画が始まるような始まらないような。(どっちだ)
…ちゃんと始まります。アスランが動き始めます。キラを巡ってアスランvsイザークという構図大好き。

(ちなみにデータの巻き戻りが一番激しかったのはこの「冷たい海」でした………。)