冷たい海
エピソード2・人形の目覚め
(1)
「一体いつになったら面会許可が降りるんですか!!」
バン、と両手で机を叩く息子を、パトリックは苦々しい表情で見上げた。
「何故ラクスは会えて自分は会えないのか、納得がいきません!!」
「……。なんて顔をしている。お前は」
「父上!」
ダン、と今度はパトリックの拳が机を打つ。
「ぎっ、議長…閣下…!!」
一瞬びくっと萎縮したアスランだったが、そのまま引き下がるつもりはない。ぐっと床を踏み締めて、強い視線でキラの命運を握る男を
見返す。
あれから、キラが議会からイザークに引き渡されてから、もう十日以上も経っているのだ。聞けば体調が優れないのか、ザフト医局から
医者が往診を始めたというではないか。
逢いたい。一体今キラに何が起こっているのか知りたい。顔を見たい。声を聞きたい。自由にしてやりたい。もし泣いているのなら、
幼い時のように抱き締めて、その涙をぬぐってやりたい。ふさぎ込んでいるのなら、隣に座って手を握ってやりたい。
そんな息子の思いを見透かして、パトリックは不機嫌に短いため息をついた。
「…まったく…。いい加減に目を覚まさんか。お前はザラ家の跡取りで婚約者のいる身だぞ。もっと自分の立場というものを正しく理解
せねばならん。二週間後には大々的に結婚披露宴が行われるというのに、いつまであの娘に」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
慌てて父の言葉を遮る。今、突然とんでもなく話が飛躍したような。このまま流してしまうことなど、とてもできないところまで。
「今、結婚披露宴と仰いましたか」
「そうだ。二週間後の日曜日、正式にお前とラクス・クラインの結婚式を執り行う。全プラントへ生中継されるのは勿論、地球圏、
月面都市部にも余すことなく報道される。心しておけ」
あっさり肯定し淡々と告げる父親を前に、アスランは遠慮なく顔を顰めた。
そんなことは寝耳に水だ。
確かに二週間後の日曜日は、父の秘書官によってスケジュールが押さえられている。だが公務だということしか聞いていない。
「じょ…冗談じゃありません!! どういうことですか!! そんな大切な話を、本人には内密に進めるなんて!!」
「いい加減にせんか!!」
思わず興奮して詰め寄るアスランを、ダン、と再び激しく机を打って抑えるパトリック。先程から机はその本来の用途で使われることは
なく、サンドバックのように叩かれてばかり。
「婚約というのは、結婚の約束だぞ。それを前提にして、お前とラクス・クラインの交流があった。なのに今更冗談じゃないだと?
いつまで我侭を言うつもりだ!」
「私が我侭だと仰るなら、そちらは随分身勝手ではありませんか! 大体、まだ戦争に勝っただけで、正式な戦後処理はなにも為されて
いないというのに、そんな時に結婚披露宴だなんて、何を考えているんです!」
「そうだ、戦後処理はこれから行われる。一ヶ月後にエターナル艦上で行われる地球連合との終戦協議、新条約締結! その前に、今まで
我々を虐げてきたナチュラルどもに、見せ付けてやらねばならんのだ! 我々の未来がいかに輝かしいものかを! これからの時代は我々
コーディネイターが担うのだということを! 長くナチュラルが我々に行ってきた差別、弾圧、支配を、その倍、いや倍の倍にもして、
思い知らせてやらねばならん!!」
ダン、ダン、とまた机を叩きながら熱弁を振るうパトリック。
「だからこそ今、本格的な戦後処理が始まるその前に! 次世代の希望であるお前達の姿を、広く知らしめる必要がある! ナチュラルへ
の牽制と、我らコーディネイターの未来のために!」
「な……っ」
もっともらしく未来だと何だのと声高に叫んでいるが、それでは自分とラクスの結婚は完全に飾り物、プロパガンダに他ならないでは
ないか。
スピットブレイクで地球連合軍の本拠地JOSH−Aは壊滅した。続いて発動されたスピットブレイク2によって、パナマのマス
ドライバーも崩壊した。地球にある主要な基地・軍事施設は全て勢いに乗ったザフトが抑え、補給路を絶たれ本部を失い命令系統が完全に
錯綜した月面基地は、ザフトからの総攻撃直前に独自の判断で白旗を挙げ、そのすべてをザフトに明け渡した。そして、満身創痍となった
地球連合は降伏宣言を行った―――。
…これだけの決定的な結果があるというのに、それだけでもナチュラルには絶望的な事実を突き付けられているというのに。駄目押しの
ように更に勝者がその威光を高らかに見せ付ける必要が、本当にあるのだろうか?
とにかく、このままでは本当にラクスと結婚させられてしまう。お互いに恋愛感情のないまま、お飾りの夫婦に祭り上げられてしまう。
キラと、引き離されてしまう。
そんなことは、絶対に嫌だ。
「そ…そんなもの、こじつけ以外の何物でもないではありませんか! 大体、それとキラの面会と何の関係があるんです!」
「あの娘にいくら拘っても無駄だと言っておるのだ!! アスランお前…まさか本当にあの裏切り者に特別な感情を抱いているとでも
言うつもりか」
「キラは裏切ったのではありません!! 何度も申し上げているとおり、足つき、いえアークエンジェルのデータバンクをもっときちんと
調べれば、彼女がやむなく我々と敵対したことを納得していただけるだけの証拠が出るはずです!」
「ナチュラルの友人を守るために自ら地球連合軍に志願したと、取調べ中に彼女自身が証言している。これはつまり、彼女の意思で我々と
敵対したということだ。これも何度も言っている筈だが」
くっ、と言葉を詰まらせてしまう。
ラクスと比べて、キラの立場は圧倒的に不利だ。ラクスはプラント中から愛される歌姫、かたやキラはスピットブレイクで拿捕された敵
モビルスーツのパイロットで、同胞殺しのコーディネイター。
どんなに彼女を庇っても、実際彼女が地球連合軍に籍を置いていたという事実、そしてストライクを駆って幾度もザフトを退けてきた
事実が、父に有利に働いてしまう。
どうにか別のところに反撃の糸口がないかと捜し、黙り込んでしまうアスラン。しかしそれでも衰えぬ彼の眼力に、パトリックは
うんざりしたようなため息をついた。
「…まったく…お前のその様子が連合の耳に入ったらどうなるか。お前もラクス・クライン嬢のことは好意的に思っているだろう。
ラクス嬢にしても同じのはず。結婚に必要なのは恋愛ではない、信頼だ。家庭を持てば愛情は後から自然についてくる」
「…経験者のお言葉は身に染みますね」
愛し合う夫婦らしい交流など、両親の間で見たこともない。皮肉を言ってみるが、パトリックは微塵も揺らがない。
「そういうことだ。今はあの娘に熱を上げていたとしても、そのまま彼女を選べばお前の人生にどれだけ悪影響を及ぼすか。誰を伴侶と
するのが賢明なのか、一度きちんと頭を冷やして、冷静に判断することだ」
どうしてこの人はこうなのか。
何が息子にとって最良なのかを、計算と利害と立場からしか考えない。しかも、本人は息子を思っているつもりかもしれないが、実際は
いかに自分の権威を確立するかという基準でしか判断していない。更にそれを一方的に押し付け、何故正しいことがわからないのかと、
高いところからこちらを見下ろしてものを言う。
この男の遺伝子が半分自分の存在を構成しているなどとは、とても信じられない。
「……いやです」
「何?」
「その結婚、お断りします! 婚約も今この場で破棄」
「まだわからんのか! 馬鹿者!!」
父の罵声が響いたと思ったら、左の頬に、遅れて右の肩や背中に痛みが走った。
拳で殴られ床に叩き付けられたのだと、一拍おいてから気付く。
「…お前とラクス嬢の結婚は予定通り執り行う。これは決定済みの事柄だ」
「…………そんな一方的な命令で…人の心まで支配できるとでも…!!」
「お前がその態度を曲げんのなら、明日にでも先に籍を入れるぞ」
なんてばかばかしい脅迫。
怒りで煮えたぎる胸中に、わずかに呆れが走った。
「どの道、お前があの娘にどれだけいれ込んでも無駄だと言ったはずだぞ」
「……えっ」
まさか、議会はもう彼女の命など必要としないと、ほかのアークエンジェルクルーのように、重要戦犯として処分を決定したとでも
いうのか。
嫌な予感に一瞬凍りつくアスラン。だが、パトリックはそれに勝るとも劣らないほどショッキングな言葉を息子に突き付けた。
UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)
この親子はね〜………。
ほんとに交流が足りない。と思う。
こんな書き方してますが、パトリックも決して自分のエゴばっかりだけでアスランのことを決めてるわけじゃないと思うんですよ。
彼は彼なりにアスランのためを思ってのことだと思うんですよ。
ところがアスランにとってはそんなの見当外れもいいとこだ、と。
お前自分のことしか考えてないじゃんかよ、と。自分の望みは違うところにあるんだ、と。
それをもっとこう、議長室とかじゃなくてさ。自宅のリビングで話し合ってぶつかり合ったらどうなのよ。
とか思います。私もあんまり偉そうなこと言えたクチじゃないけど。