++「冷たい海」2−2++

冷たい海
エピソード2・人形の目覚め
(2)









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 小麦粉を水で溶いてじっくりと鍋にかけ、ゲル状になるまでゆっくり煮てゆく。
 これは本来、遥か昔に木枠に薄く塗り和紙を貼るための糊として使っていたものだが、小麦粉を煮ただけなのだから当然食べても害は ない。ただ、味は保証外だが。
 アセルスから渡された栄養剤も一食分溶かしてしまえば、栄養価不足はフォローできるだろう。…やはり味は保証外だが。
 この小麦粉から作る食べられる糊のことは、考古学が趣味のイザークならではの豆知識。恐らくディアッカあたりに言えば、「木材に小麦粉 なんか塗んのかよ? 塗ったとこからカビてくんじゃねぇの?」と眉を顰めそうな気がするが。…いや、そういえばあいつは古代舞踊を 嗜んでいた。日舞も好んで舞っているし、以前披露された時に通された和室には障子もあったから、ひょっとしたらとっくに知っている かもしれない。
 などと思いながら火を止め、固まらないようにしゃもじをくるくる回しながら風を送り、食べられるくらいの熱さに冷ましていく。
 いつまでも栄養剤というわけにはいかない。液状からゲル状、ゲル状からゼリー状と、段階を踏めば固形物も受け付けるようになるかも しれない。そう思ったイザークは適当に流動食でも入手するかと端末に手を伸ばしたが、ふとこの小麦粉から作る糊のことを思い出し、 試してみたのだ。糊といっても前述したとおり、ただひたすら小麦粉を煮詰めていっただけなのだから、口に入れるのに何の問題もない。
 昨日の朝は一口流し込んで昼前に吐いてしまい、やはりだめかとも思ったが、昼にもまた一口食べ、今度は戻さなかった。夜には スプーン三杯、自分ですくって口に運んだ。
 今朝はもう少し、食べられるかもしれない。

 イザークが満足げな微笑を浮かべたとき、キラが二階から降りてきた。
「起きたのか。そこに座っていろ」
 背中から頷く気配と、ずず、と椅子を引いて座る気配。
 器に半分ほど取って、梅肉のペーストをほんの少し落として混ぜてやる。いつまでも同じ小麦粉味では食欲以前に飽きてしまうと思って の工夫だ。
 味見をしてみる。………なんとも言えない微妙な味だ。もう少し梅肉ペーストを混ぜてみると、栄養剤の薄い味が上手い具合に 誤魔化され、とりあえずマシかなと思える味にはなったので、今回のところはこれでよしとしておく。
 しかしさすがに、次からはもうちょっと違うものを考えてやったほうがいいだろう。栄養価的にも、味的にも。
 先に作ってラップをかけ冷蔵庫に入れておいた自分の分のサンドイッチと一緒にテーブルに出し、ミネラルウォーターをグラスに注いで やる。自分には、やはり先にポットに作っておいた紅茶を注ぐ。
「自分で食べられるだけ食べてみろ。無理はしなくていい」
 そう言いながら椅子について、自分はさっさと朝食を始める。
 キラはこくんとぎこちなく頷いて、自分でスプーンを取った。
 一口。ゆっくりと、少しずつ。
 イザークがタマゴサラダサンドとベーコン・レタス・チーズのサンドをたいらげる間に、器に盛った量の半分ほどを食べ、もうこれ以上 は食べられないといった様子でスプーンから手を離した。
 昨日までのことを考えれば、この量は快挙だ。
「…これだけ食べられれば、上等だ。…よく頑張った」
 ぽん、と頭を撫でてやって、さっさと二人分の食器を下げる。
 そのまま流しに立って食器を洗ってしまおうとしたイザークの腕に、細い指がそっと添えられた。
「?」
 どうやらこちらを向けと言いたいらしい。何だと振り向くと、キラはゆっくりと唇を動かして、『ごちそうさまでした』と伝えた。
「……ああ」
 わかった、と微笑んで、顔の向きを戻す。洗い物を始めると、キラはそのまま二階へ、自室へと去った。

 片付けをすべて済ませてしまったところに、携帯電話が鳴った。発信者はディアッカだ。
「オレだ」
『よお、久しぶり』
「ああ。お前が携帯にかけてくるなんて珍しいな」
『はァ? オレさっきからお前に直通コールかけまくってたんですけど?』
 それで繋がらないからこっちにかけたんだろ、と続けるディアッカに、ああ、と苦笑してしまった。直通コールということは、二階の 部屋にある自分のPCから呼び出し音が鳴り響いていたに違いない。
「下で料理をしていて、部屋にいなかったからな。全然気付かなかった」
『………気色ワルっ』
 途端に失礼な一言。
『お前、なんでそんな楽しそうなワケ? あんなにムカついてたストライクのパイロットの世話なんかすることになって、さぞかし カリカリしてんだろうなァと思って連絡してみればさァ』
 一瞬前までの笑顔はどこへやら。途端に眉尻が釣り上がる。
「…おい…ディアッカっ!! お前今何て言った!?」
『うわっ、なんでいきなり怒るんだよ』
「貴様が妙なことを言うからだ!! さっきの言葉もう一度言ってみろ、ええっ!?」
『いや、だから! …楽しそうじゃん』
「なんだとぉっ!!?」
『いや、なんだとっつったってさ! 今お前誰だよって感じの爽やかさで笑ったじゃん!』
「………はぁ……!?」
 あ、ヤバい、爆発する。
 とディアッカがスピーカー部を耳から離した瞬間。
「朝っぱらからそんなわけのわからんことばかり言いに電話してきたのかお前はッッ!! それだけなら切るぞ!!」
 もはや二階のキラに気を遣うこともなく怒鳴ると、返事も待たずに切ボタンを押し、一人がけの小さなソファに向かって投げつけた。
 軽く上がった息を整えてどかっと椅子に座る。

 …思い返してみれば、楽しそうと言われても仕方がないかもしれない。
 さっきまで自分は機嫌よくキラのための食事を用意し、しかも彼女の頭を撫でるという真似までしていた。
 よくよく思い返してみれば……確かに自分はかなり上機嫌だった。
「くそっ」
 ぐしゃっと前髪を掴んで、苛立ちながら短く息を吐く。
 一体どうしてあんなに浮かれていたのか。

 キラの様子が少しずつ、僅かずつ変化してきたから?
 そうかもしれない。
 彼女も、今のままでいていいと、このままでいたいとは、決して思っていないのだろう。まだ自分から能動的に動くどころか、まともに 喋ることさえ出来ないが、それでも水しか受け付けなかった体に鞭打って自分からスプーンに手を伸ばし、少しずつ日常を取り戻そうと している。
 本当に少しずつではあるけれど、でも確実に。
 それが喜ばしかった?
 …そうだ。そうやって彼女が自立してくれれば、隊長としてザフトに復帰できる。それは自分にとっても喜ばしいことではないか。

 いや。
 あのとき、何も考えず手がキラの頭を撫でたとき、自分はそこまで考えたのか?
 キラの自立イコール自分の利益だと。
 そんなところまで考えたのか?
「………くそっ!」
 イライラする。
 ディアッカから電話がかかってくるまでは、こんな気持ちの悪いイライラは感じなかったのに。

 胸の中が何かもやもやする。もやがかかった部分は、何故だか暖かい。
 それを認めたくない。
 認めたくないのに、そのもやは妙な存在感をもってそこにあるから。
 暖かいと感じることも認めたくないのに、不意に気付けばそのぬくもりを認めている自分を発見してしまうから。

 だから、イライラする。



 そこへ、また携帯の着信音が鳴った。
 今度は何だと拾いに行くと、ディスプレイに現れた文字は、発信者がアスランであることを告げてくる。
「………」
 思わずしかめっつらになってしまう。
 まったくもって嬉しくない相手だ。
 無視してしまおうかとも思ったが、こちらの機嫌が悪いから電話を無視するなんて子供じみていると思い直し、通話ボタンを押す。
「…もしもし」
『イザーク。俺だ。会えないか』
「なんだ薮から棒に。面会許可が降りたんなら家に来ればいいだろう」
『俺はお前に会いたいと言ってるんだ。話がある。できれば、今日中に。少しでも早く』
「……」
 眉間に皺が寄った。
 いつもよりトーンの低い声、何かを賢明に堪えているような口調。…どうやらイザーク以上に、アスランの機嫌は最悪らしい。
「…電話ではできない話か」
『…ああ。直接会って話したい』
「無理だな」
 アスランの機嫌の良し悪しなど知ったことか。イザークは現実に基づいて、すっぱりと申し出を断る。
「キラ・ヤマトに面会許可のない者を家に上げることはできない。加えて、彼女は厳重監視のままで、彼女を一人置いてオレが家を出る わけにもいかない」
『なら家に誰かいればいいんだろう。面会許可のある人間が、他にいれば』
 ところがアスランは食い下がってくる。
「理屈ではな。そう簡単にいくか。それだけのために今から面会申請をしても、今日中は」
『キラの主治医になったお前の部下が、今日そっちに往診に行くんだろう。その間なら出られる筈だ』
「……………」
 まったくよく調べてあることで。
 確かにそのとおりだ。キラの主治医のアセルスはザフト医局の人間で、しかもジュール隊の隊員でもある。議会に報告さえすれば、 彼女にしばらく保護監視を代行してもらうことは問題ないだろう。今日その往診があることも、アスランの言うとおり。
 呆れたため息をついて、イザークは諦めをつけた。
「……いいだろう。今日の午後一時半に、こっちのプラントで待ち合わせってのはどうだ」
『ああ、それで構わない。場所を指定してくれ』
 家から車で五分ほどのところにある緑地帯、そのなかにある公園を指定して行き方を説明し、切ボタンを押す。

「……なんなんだ今日は、どいつもこいつも……」
 ボソッとこぼしながらもう一度携帯を操作し、さっさとアセルスを始め関係各所へ連絡を回して、保護監視一時代行の許可を 取り付けた。




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UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)

小さい頃、障子の張り替えの時にこの糊をぺろぺろ食べて怒られた覚えがあります(笑)
私のつまみ食いのせいで量が足りなくなっちゃったみたいで。(そりゃ怒られるわ)
しかし今は専用の糊が売っているんだそうですね。……全然知らへんかった…。
そうなるともうこんなふうに糊作って張り替えているご家庭も激減してしまったのかしら…。
…ちょっと寂しいかも。

次回はイザークvsアスラン衝突です。うふふふふ。