冷たい海
エピソード2・人形の目覚め
(6)
アセルスから連絡を受けたエザリアは、あるデータディスクを急ぎ取り出して、すぐにキラとイザークの元へ向かった。
二人の婚約を解消させるべくエザリアの元を訪れようとしていたアスランとは、見事にすれ違うタイミングで。
「………………………」
「…、気が付いたか」
視線を感じて本を降ろし、キラを振り返るイザーク。
そこには確かな意志の光が宿った、アメジストの瞳があった。
「………」
「…オレのことがわかるか」
「あ……、はい……。…ジュールさん、ですよね」
「イザークでいい」
「……はい」
病院の中の小さな図書室から借りてきた本を、部屋に備え付けられている引き出しつきのテーブルへ置いて、パイプ椅子をベッドへと
向ける。
「…あの…さっきは、すみませんでした…。突然、取り乱して」
「気にするな。…少しは落ち着いたか」
「はい。もう大丈夫です」
もう、大丈夫。
ただ興奮状態が収まっただけではない。言葉も、自分の意志も、取り戻した。
「…そうか」
微笑して、手を伸ばそうとした瞬間。
コンコン、と早いリズムで扉がノックされ、そのまま開かれる。
「失礼します」
ストレッチャーを押して入ってきたのはアセルス。後ろにはエザリアの姿もあった。
「隊長、検査の準備が………あ」
イザークから眠ったと聞いていたキラが起きてることに気付き、言葉が止まった。エザリアは少しぎくっとしたように見える。
「気が付かれたんですね。私のこと、わかりますか?」
「えと…アセルス・ヴィンヤードさん…ですよね。確か、さっきもお会いした…」
「ええ。良かった」
にこ、と目を細めて笑うアセルス。
「早速ですみませんが、検査を行いますので、こちらへ移って下さい」
「あ、はい」
ごそごそと起き出すキラ。だが。
「っ!」
横からイザークが掛け布団をさっさとめくり上げて、キラの肩と膝の下へそれぞれ両手を潜り込ませ、ひょいっと抱え上げた。
そのまま事も無げにストレッチャーのほうへ寝かせてやる。
「…あ…、の」
「頼むぞ、アセルス」
「あ、は…はい」
俗に言う、お姫様抱っこ。
移動させるためとはいえ、さらりと自然にそれをやってのけたイザークに一瞬驚いたのは、持ち上げられた当のキラ本人と、アセルスと、
そしてエザリアも。
「……………」
アセルスの押すストレッチャーが、エザリアの前を通りすぎるその一瞬。
エザリアが、ふとキラから目を逸らした。
その逸らし方が不自然で、イザークはふと違和感を覚えた。母上らしくないと。
どこかキラの瞳を恐れているような、一瞬泳いだ視線。
「…母上? どうかされたのですか」
キラとアセルスが出て行ってからもそのまま硬直しているエザリアに声をかけると、彼女は弾かれたように顔を上げた。
「あ、…いいえ。……イザーク、少しいいかしら。あなたに話しておきたいことがあるのよ」
来たか、と唇を引き結ぶ。
間違いなく例の婚約のことだろう。
実際にエザリアが議会に提案したのかといった経緯はともかく、少なくとも議員である彼女がその事を知らないわけはない。何か狙いが
あっての婚約ならその狙いの説明を、誰かの…例えばザラ議長の思惑による強制であったのなら、そのことについても説明があって
しかるべきだ。
「私も、母上にお聞きしたいと思っていました」
「…、そう。丁度よかったというわけね」
厳しい視線でそう答えると、どこからか息子の耳に入ったのかと、少し驚いた様子だった。
「行きましょう」
そのままドアに向き直り、二人は病室を出る。
どうやらアセルスが部屋を用意してあったらしく、エザリアは迷うことなくすいすいと院内を進み、「カウンセリング準備室
(STAFF ONLY)」と表示の出された部屋にカードキーを差し込み、中へイザークを促した。
自動的に照明の入った部屋へ足を踏み入れる。背後ではエザリアが操作盤に向かい、モニターを含む室内への全ての干渉をカット。
二人は向かい合う席を選び、座った。
「母上」
エザリアが手荷物を机の上に置いた瞬間、彼女が口を開く前にと先手を取る。
「私とキラ・ヤマトの婚約が議会で決定されたというのは、どういうことですか」
「言葉のとおりよ。それより貴方、それをどこから?」
「アスラン・ザラです」
「………」
ああ、と額を押さえるエザリア。
「……そう……。ザラ議長も頭の痛いことね」
「母上が議会で提案されたと聞きました。一体どういうことですか」
「どういう…って」
重ねて尋ねると、今度は当惑したような表情を返された。
「あなた言ったでしょう、今度こそキラ・ヤマトの支えになると」
「勿論後見人として保護観察を徹底するとは言いましたが、婚約なんて話をした覚えはありません!」
「………」
あっけにとられるエザリア。その表情に、イザークも思わず眉を寄せてしまう。
「…あの、母上………」
「………そう……。そうね、確かに私はあの時、彼女の支えになってあげてと言って、あなたはそれに頷いたのよね。それ以上の言葉は
なかった………。どうやら、私の思い込みだったようだわ」
「………」
行き違いが、思い違いがあった。確かに。
あの時のやりとりを、そんなふうに受け取られていたとは。
「それじゃあ貴方は、キラ・ヤマトの人生に深く関わりたいとは…彼女の人生を支えようとは、思っていないのね。彼女との婚姻を望んで
いるわけではなかったのね」
「はい」
即答する。勿論だ。言葉も自分の意思も取り戻した以上、一人立ちしてもらわなくては困る。
「そう………。悪いことをしたわね、イザーク」
「いえ。誤解が解けたのでしたらそれで」
後は婚約さえ解消すればいい。
ところがエザリアは、誤解が解ける前よりも更に難しい表情で、ため息を零した。
「………婚約のことはアスラン・ザラから聞いた、と言ったわね。…なら聞いたと思うけれど、彼はキラ・ヤマトの幼馴染だそうなの。
それだけではなく、…ここだけの話、どうやら彼女に恋をしているようだと」
「…そのようですね」
少し前に会ってきたアスランとのやりとりを思い出し、顔を顰めてしまう。咄嗟に横へ振って、そのままエザリアを直視するような
失礼なことだけは避けたが。
…ああ、しかしあの時のやりとりは思い出す度にムカついてくる。
『俺が一生傍にいたいのはキラだけだ』
『俺が愛しているのはキラだけだ。今までも、これからも、ずっと』
頭に来る。気分が悪い。
大体、戦時中にこちらへ来るよう説得することもできなかったようなヤツが、なぜまだキラの傍にいるのが当然のような顔をして
いられるんだか。図々しいにも程がある。
そこまで考えて、今度は自分の思考回路に嫌気がさした。
これではまるで、キラと戦場で戦い合ってきても尚、それでもまだ深い絆を信じているアスランに、嫉妬でもしているようではないか。
そんなわけがない、と小さく息をつく。
「………迂闊だったわ…。パトリックからの圧力がかかっているから、この婚約を破棄するのは難しいのよ」
「っ、そんな」
「それが嫌なら、アスラン・ザラを説得なさい。自分の立場というものを理解して、大人しくラクス・クラインと結婚するようにと」
「…あいつ、まさか」
「パトリックに直訴したそうよ。婚約を破棄してでもキラ・ヤマトの傍にいたいと」
「……………」
まただ。不愉快な感情がこれでもかと湧き上がってくる。
「婚約解消の為に一人でシーゲルのところへ頭を下げに行ったというのだから、こちらのほうが頭が下がるわ。………そのせいでパトリック
が彼女を追い詰めたことも、知らずにいるなんてね」
「え?」
思わず傷跡が歪むほど眉間にしわを寄せてしまった。そしてその顔を、無遠慮に母に向けてしまった。
だが、エザリアのぎくりとした表情が、無作法に対する罪悪感を吹き飛ばす。
「どういうことですか。議長が彼女を追い詰めたとは」
「………」
「まさか母上は、キラ・ヤマトが長く言葉を失い、放心状態だった原因をご存知」
「イザーク」
しかし次の瞬間、エザリアは厳しい表情で息子の言葉を切る。
「………あなたに、キラ・ヤマトの人生を背負う覚悟がないのなら、それ以上詮索しないことよ」
「……………」
意味深な言葉。問い詰めたいが、それにも先手を打たれている。
キラ・ヤマトの人生を背負う覚悟など、勿論ない。そんなもの、願い下げだ。
だが。
けれど、それなら、この妙な感覚は何だ。
思考の奥底から、ちりちりと焼けてくるような、この感覚は。
…そうだ。自分は彼女の後見人なのだから、彼女に関する重要な事柄なら知っておかなくてはならないではないか。
義務と責任で感情を誤魔化して、キッとエザリアに向き直る。しかし。
「ただの後見人が踏み込んで良い領域ではないわ」
「…っ」
またもや先手を打たれる。
普段は自分に甘い母も、今度ばかりは頑固だった。
………ザラ議長は、それほどに酷い仕打ちをしたというのだろうか。
息子の縁談と、そして恐らくは己の体面を保つために。裏切り者とはいえまだ二十歳にも満たない少女に対して、それほどまでに酷い
仕打ちを。
UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)
ごめんなさい。
前回のツブヤキで、キラが壊れてた原因について「次回以降エザリアママからご説明して頂きます」
とか言いましたが、まだもうしばらく引っ張ることになりそうです。
…引っ張りながら年末年始休業へ突入………
…………………申し訳ありません…!!!!!