冷たい海
エピソード3・キラとアスラン
(4)
イザークの登場にぎくっと固まった二人。我に返ったのはキラのほうが先で、掴まれていた腕を振り払い、さっと身を引いた。
それを追って無理矢理抱き寄せることをしなかったのは、アスランにも一応自分は不法侵入者だという自覚があるからだろう。
「貴様…なめた真似をしてくれたな」
「方法が乱暴だったことは謝る。だが、キラは俺が連れて帰る」
「行かない! 僕は行かないから!」
「キラ!」
「もしイザークさんに追い出されたとしても、きみのところにだけはいかない!!」
「…キラ…」
頑ななキラの態度を、自分とラクスの婚約のためだと受け取ったアスランは、宥めるように言葉を続ける。
「ラクスと話はついてる。俺達の婚約が正式に破棄されるまでは、クライン家にいてくれ。あの家は俺の家と違って、穏やかだから」
「…ラクスが…そんなこと…!?」
実際には「キラが本当にそれを望むのなら」という前置きがあっての約束だが、アスランはキラの望みもそこにあるのだと信じて
疑わないので、そんな言葉を伝える必要はないと、カットしたのだ。とにかくキラを安心させて、いずれ自分が堂々と迎えに行ける
ときまで、何の心配もなくクライン家で過ごせるようにと。
だが、キラの表情は歪んだ。
「…行かないって、僕は言ってるだろ」
その歪みは、アスランとラクスのことを慮ってのものではない。少なくともイザークにはそう見えた。
「頼むから、帰って。今君の顔見ていたくない」
「キラ! 話を」
「触るな!!」
伸ばされた手に、キラは体を縮めて逃げながら叫ぶ。
「……。イザーク、ちょっと席を外してくれないか」
「なに寝言言ってやがる。貴様、自分の立場を分かってるのか?」
「無茶苦茶なことをした上に勝手を言っているのはわかってる。だが、こうでもしないとキラと話ができない」
まあ、こいつもこいつなりに必死だったってことか、とイザークはつい溜息をついた。 なにしろタイムリミットまであと三日しか
ないのだから、それはアスランの言い分というか、こいつ側の事情として、ディアッカのアドレスと声を利用して小細工なんぞしやがった
ことについてはチャラにしてやってもいい。
だがそれはあくまで、アスランの都合。
キラ自身はどうだ。
彼女に視線を送るイザーク。ばちっと音がしそうな勢いで目が合った。一瞬何かを訴えるような光が見えたが、唇を軽く引き結んで迷い、
視線を落とした。
「………」
まったく。
迷惑かけるのなんのと気にするのなら、とっくにかけられた迷惑だと言い返してやりたい。
イザークは今度そういう類の言葉を言ってきたら必ずそう突き付けてやると心に決め、するりとアスランとキラの間に割って入り、
キラを庇うようにアスランに対して向き直った。
「イザーク!?」
「貴様も大概見通しが甘いな。オレがはいそうですかと、あっさり折れると思ってたのか」
「っ………」
「…イザークさん…」
背後でキラも驚いている。まさか自分がキラ側につくとは思っていなかったのだろうか。振り返って顔を見てみたかったが、隙を
見せたら殴りかかってきそうな男が目の前にいる間は気を抜けない。
そう。穏やかだったアスランの表情は、みるみる険しくなっていたのだ。
「どういうつもりだ。イザーク」
「こいつの保護監督はオレの責任だ」
「お前言ってただろう! 婚約なんて冗談じゃない、早く解放されたいと!!」
「だから今議会に働きかけている!」
「イザーク…!!」
「オレはこんなことで出世街道を止まるつもりはない。まだまだ上に昇ってやる。キラ・ヤマトを、よりによってアスラン・ザラに連れて
行かれたなんて間抜けな報告、議会に提出できるか。こいつにはここで大人しくしていてもらう」
なんだか上っ面めいた言い分だと自分で思いながら、しかしはっきりと言い放つ。
ギリッとイザークを睨みつけたアスランは、今度は矛先をキラに向けた。
「キラ、聞いただろう。こいつは、お前のことなんかこれっぽっちも考えていない! お前を利用して権力を得ようとしているだけだ!!
こんな奴のところにいちゃいけない」
「随分な言われようだな。三日後にはラクス嬢との結婚披露宴を控えているお前に言われる筋合いはないぞ」
「黙れ!! あんなもの、親が勝手に決めたことだ!! 俺の意志じゃない!!」
「でも、それがプラント国民の義務なんでしょう」
静かにキラが口を開く。
静かではあるが、相手に口を挟ませない怒りのような強さを込めた声。
「僕とイザークさんの場合は特殊なケースだけど、普通はDNA検査で定められるって」
「違う!! 俺とラクスはただの政略結婚だ!! キラ、俺は…俺は」
「やめろよ!!」
はっ、とイザークがキラを振り返る。
心を吐き出すような声。
…違う。この感情は、違う。アスランを気遣ったり、ラクスを思いやったり、そういう優しい感情とは対極にあるもの。
唐突にイザークの背から離れたキラは、ダイニングテーブルの上に出してあったコップを手に取り、おもむろにテーブルに叩きつけて
割った。
「キラ!?」
「それ以上言ったら…僕、何するかわからないよ」
手の中に残った一番大きな破片を刃物のように握って、ぎろりとアスランを睨むキラ。
「………」
信じられないと目を見開いているアスランの前で、イザークもまた戸惑っていた。
こんなキラは初めて見る。まるで怨念に取り付かれた夜叉のよう。
…本気だ。
今のキラなら、アスランを引き返させるためのはったりではなく、本当にアスランを刺しかねない。自分の体を傷付けることさえ
躊躇わないだろう。
そんな危ういオーラが、彼女の全身から立ち上っていた。
「…早く帰って。僕は君と話すことなんか何もない」
「…キラ…」
「頼むから!! もう、帰ってよ!!」
「……キラ………!? どうして…違う、何か誤解が」
「帰れ!!!」
ビリビリと肌を震わせる怒号。
圧倒されてしまって、誰も動けない。
「…引き際じゃないのか、アスラン」
硬直してしまった場をかすかに動かしたのは、イザーク。
「お前の不法侵入は伏せておいてやる。それでいいだろう」
「…………………」
それでもまだ納得できないという顔のアスランに、はっきりと言ってやる。
「こいつの意志も分かった筈だな」
「っ………」
辛そうに歪むアスランの顔。
「……………何か…誤解があるんだ。…誤解してるんだ、キラは、何かを!」
「だとしても今は話し合える状態じゃない」
「だが!!」
「お前の言い分をまとめて、メールで送って来い。俺が中継してやる」
「え?」
まさかイザークがそんな譲歩案を提示してくるとは思わなかったのだろう。大変間の抜けた顔をイザークに向かって上げるアスラン。
だがイザークは、イラッとして語調を荒げた。
「バカかお前は!! キラの手当てが先だろうが!! だからさっさと帰れ!! お前にいつまでも居座られてたら、こいつがずっと
こんな調子でどうにもならん!!」
「!」
ハッとしてキラを見るアスラン。破片を握った手は赤く染まり、割ったときに飛んだ欠片を受けて切れたのか、頬には赤い筋が薄く
浮いていた。
それでも自分がと手を伸ばしかけたアスランだが、しかし。
「………すまない………頼む、イザーク」
力なくそう一言告げると、悔しそうに歪めた顔を見られまいとするように視線を落とし、そのまま家を出ていった。
UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)
アスランvsイザーク、今回はイザークの勝ちです。
厳密には、うちのサイトでは珍しいやさぐれキラの勝ち、かな? という気もしますが。
…えーと、コップ叩き割って破片が頬にまで飛ぶってことは、タンブラーみたいな長いグラスだったのかな…(滝汗)