冷たい海
エピソード3・キラとアスラン
(5)
「………まったく…!!」
苛立たしく乱暴な溜息をついたイザークに、びくっとキラの肩が震える。
我に返ったのだろう。割れたガラスの飛び散った床やテーブルに、とんでもないことをしてしまったと慌てて、顔を青ざめさせてしまう。
「……す、すみませ…………すぐ片付けます」
「手当てが先だと言っただろうがこのバカ!!」
しゃがんで大きめの破片を拾おうとしたキラの手首を掴み、手に持っていた破片を奪って無造作に床へ転がす。イザークはキラに有無を
言わせず、自分の部屋へ放り込んだ。
「あ、あの、部屋が…」
「煩い! ちょっと黙ってろ」
救急箱を取り出すと、手の傷にガラスの欠片が食い込んでいないことを確かめて、消毒と傷口を塞ぐ役目をしてくれる薬品を取り出し、
吹き付ける。
「っ!!」
かなりしみるのだろう。キラは目をきつく閉じ、ぎゅっと歯を食いしばった。
吹き付けられた薬品はムース状に白く盛り上がって、シュワシュワと小さな音を響かせる。イザークはてきぱきとその薬品を箱に
しまうと、次はコットンに液状の消毒薬を取って、キラの頬に走った傷をそっと拭う。
「…何をしてるんだ一体! …女が顔に傷なんか作りやがって…」
乱暴な言葉とは裏腹な優しい声に、ぎく、とキラの肩が震えた。
そのまま硬直してしまう。
甦る声。
『殴られたの? …可哀相に、女の子が顔を腫らすなんて…』
優しい瞳。
『…バカね。…私達を助けてくれたんでしょ。ホントなら私達だってただじゃ済まないってことくらい、私にもわかるわよ。それを、
キラが必死で助けてくれたんでしょ』
微笑んでくれる、美しい彼女。
だが。
『これがお前のしてきた、同胞殺しということだ』
重々しく、断罪の声が響く。
『その罪深さ、我々の無念さ、思い知ったか』
その声には、その瞳には、憎しみがありありと込められている。
『本来ならこの後でお前自身も処刑される筈だった。………よくも愚息を誑かしてくれたな』
「…おい、どうした?」
キラの様子の変化に気付いたイザークが、包帯を巻く手を止めた。
肩を震わせ、ぎゅっと手を握る。
「っ、バカ、動かすな!」
巻きかけの包帯が緩むのにも構わず、とにかく一度キラの手を開かせようとする。そのイザークの手の甲に、ぱたりと水滴が落ちた。
「……………」
泣いている。
声を殺して、キラが泣いている。
何故だか胸が締め付けられて堪らなくなって、イザークはキラの頭を胸へ押し当てるようにして抱き締めた。
やがて嗚咽が漏れ始め、それでも泣き声は上げずに、キラは泣き続ける。
「…ぼ、僕…僕は」
「喋るな。…何も言わなくていい」
引き攣る喉から出てきた声を、イザークが遮る。だがキラは頭を左右に振ると、更に続けた。
「ほ、本当は…! 本当は、アスランは何も悪くなくて…! 全部、全部僕がしてきた事で…!! だからあんな、あんなこと…しちゃ
いけないんだって、本当はわかってる…! だけど…! どうしても…!!」
「いいと言ってるだろう!」
「今更…今頃………………んなきもち………ったか……わかる…なん………」
ぎゅっとイザークの服が握り締められる。薬が剥がれて閉じかけた傷口がまた開きやしないかと気になったが、怯えた子供が必死に
しがみついてくるようなキラの様子に、無理に解くことも躊躇われ、キラを抱き締める腕に力を込めた。
「…本当は…アスランはなんにも悪くなくて…!! アスランはただ、ずっと、僕を助けようとしてくれただけで…!!」
「キラ」
「だからあんなこと、…あんな…傷付けるなんて…しちゃいけないのに…!! わかってるのに…!! …アスランは、大切な友達で…
子供の頃からずっと一緒で…! トリィだって、アスランがくれて…! …僕は…僕は、アスランのこと…ずっと」
「っ」
言うな。
その先はどうしても聞きたくなくて、強引に唇を重ねた。
―――――ピピッ
『音声メール一件着信しました 自動再生します』
びくうっっ!!!!!
驚いて飛び上がった拍子に歯がガチッと当たって、そのことにまたぎくっとして、ばたばたと体を離す二人。
『差出人 アセルス・ヴィンヤード』
『隊長、その後キラさんの様子は如何でしょうか。確認検査を行いたいので、明日、病院のほうへキラさんを連れてきて下さい。私のほう
から特別外出許可は申請しておきました。宜しくお願いします。では』
『再生終了 未読状態に戻して保存します』
……………自動的に処理が終わり、また室内に静寂が戻った。
「あ、あの、僕、部屋片付けてきます!!」
「あ、あ、ああ、頼む。……………って違う! ちょっと待てお前、手!! 怪我…っ」
はたと気付いた時にはもうキラはいなかった。
代わりに、バタバタと階下へ向かう足音。
いきなりしーんとした部屋に、やけに響き渡る自分の鼓動。
鮮明に甦る、健康的に潤ったやわらかな唇の感触。
顔が熱い。
「…オレは………」
どんなに否定しても、もう言い訳できない。
――――オレは、キラのことを………………………。
婚約を解消する理由は、もうない。
たとえキラが自分を利用しようとしているのだとしても、それでもいいと思ってしまうあたり、とっくに手遅れだ。
彼女の傍にいて、支えたい。泣き崩れる時には抱き留めてやりたい。心からの笑顔を誰よりも近くで見てみたい。…自分の気持ちを
認めてしまえば、どんどんと欲が湧いてきてしまう。
まだ早鐘のように鳴り続ける心臓に落ち着けと言い聞かせ、すぐにパソコンに向かった。母に婚約解消手続の中止を申し入れるためだ。
自分の性格上、冷静な状態に戻ってしまってからでは照れたり意地を張ったりで言い出しにくくなってしまうに違いない。こういうことは
勢いに乗って済ませてしまうに限る。
だが、母のアドレスを呼び出す前に、電子音が鳴ってまたメールが届いた。
「? …本部から?」
急を要する用件ではいけない。イザークは先にそちらに目を通そうと、それを選択して表示させ、内容を読む。
…その途端、恋の熱はいっぺんに引いてしまった。
「いたっ!」
大きな破片を拾おうとするが、その前に薬が剥がれて傷口が開いてしまった。
そう深い傷でもないのだが、やはりかさぶたを無理に剥がしたような痛みが走るのは仕方がない。
後でもう一度薬をつけ直さなきゃ、と思って、連鎖的にさっきのことを思い出し、かっと顔に熱が集まった。
力強く抱き締められた腕のぬくもりと、熱い唇。
冷たい印象を抱かせる、まっすぐな美しい銀の髪。アイスブルーの瞳ときつい目つきは、冷たさを更に強調させてしまいがちだ。
そんなクールな容姿でありながら、イザークの内面はとても熱い。いつも安心するような暖かさだったアスランとは違う。半端な
気持ちで受ければ火傷してしまいそうな、なにもかも奪われてしまいそうな。喩えるならきっと、静かに、けれど烈しく燃える、青い炎。
こちらの心にまで、その炎が燃え移ったよう。
体が熱い。心が熱い。まるで血の代わりに熱湯が体中を駆け巡っているかのように、熱が引かない。
アスランに対する『好き』とは違う、もっと狂おしくて、それでいて酔ってしまいそうな、不思議な感覚が止まらない。
―――――ピ
控えめな電子音が小さく鳴った。ハッとリビングの端末を振り返る。
自分が組んでおいた隠しプログラムが反応して、自動的に電源が入ったのだ。
さっぱり進んでいない片付けを一時中止して歩み寄り、操作を始める。手にまだ痛みは走るが、タイピングの途中で手が止まってしまう
ほどの強い痛みはもうない。
「……えっ……………………」
手に入れた情報に、一気に心が冷えてしまう。
アスランの行動に戸惑っている場合ではない。
イザークの優しさに甘えることも、もうできない。
キラは一人、覚悟を決めた。
UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)
イザークのところにきたメールとキラの手に入れた情報は同じものです。
…ってことになると、大体なんだかバレちゃった気もしますが。
次回からは戦闘編…というかアクション編? みたいな感じになる………筈。多分。おそらく。はい(汗)