冷たい海
エピソード4・たった一人の戦い
(2)
…これが同じ人間の、いや、同胞たる誇り高きコーディネイターの所業だというのか。
エザリアがなぜこれを自分に見せているのか、そしてどうして今まで言えずにいたのか、イザークは理解し始めていた。
これは、報復の記録だ。
ザフトに甚大な被害をもたらした裏切り者のコーディネイターに対して、議会は報復を行ったのだ。
彼女が最も傷付く、最も凶悪な方法で。
アークエンジェル艦長を含む将校三名の処刑を見せつけることから始まったその報復は、少しずつエスカレートしながら続いた。
操舵士、通信士といったブリッジの要職に就いていた者達は電気椅子に拘束され、その処刑を執行するスイッチを無理矢理キラに押させた。
工員達を閉じ込めた部屋へガスを噴射するスイッチもまた、同じようにキラに押させた。
いやだと叫び、何とか彼らを助けようともがき暴れるキラを数人がかりで押さえ付け、暴力で体の自由を奪い、それでも抵抗する手を
掴んでスイッチへ押しつける。そんな方法で。
執行室の様子は常にモニターされ、キラの目に、耳に、彼らの最後の声から無残な姿まで見せつける。絶え切れず目を逸らす彼女の顔を
掴み、目を閉じれば叩いて開かせ、耳を塞げないように両手を掴んでいる同胞達の姿は、捕えた獲物を弄ぶ残忍な獣にしか見えなかった。
彼らのほうこそ、もはや人ではない。
『………フレイ、あの…みんなに食事、持って行けって…それで………』
『…キラ…。あんた、やっぱり無事だったのね。…艦長達…みんな、処刑されたって聞いたけど…』
『…………………』
あれほど残忍な仕打ちをしても尚、このディスクの映像記録にはまだ続きが残っていた。
唯一処刑を免れた野戦民兵…キラの友人達が入れられている独房の様子が映し出されている。当然、監視カメラからの映像だろう。
ぎこちなくベッドへ座る二人。キラの持ってきたトレイは、まだ彼女の膝の上にある。
ふ、と隣の少女が手を上げ、キラの頬に添えた。
『…殴られたの? …可哀相に、女の子が顔を腫らすなんて…』
『…フレイ…………っ、僕…、僕、は………っ!!』
俯き込むキラの顔を、彼女は両手で包み込んで上げさせる。
『…どうしてあんたが泣くのよ、バカね。…私達を助けてくれたんでしょ。ホントなら私達だってただじゃ済まないってことくらい、
私にもわかるわよ。それを、キラが必死で助けてくれたんでしょ』
『でもっ…!!』
『いいから、もう泣かないで。ね。………艦長達の分まで、私達が生きましょ。…ほら、顔がもっと腫れちゃうじゃないの』
穏やかな友人の様子に、キラはどこか驚いたような顔を上げ、少女は頷いてキラの髪を撫でた。
お腹空いちゃったわ、と笑ってキラの持ってきたトレイに手を伸ばす赤髪の少女。キラはまだ涙ぐんでいたが、やっと少しホッとした
様子を見せた。
だが。
『………っ…!?』
『!? フレイ!? どうしたの!』
少女がトレイの食事を半分ほど摂った頃、突然フォークを落とした。膝の上に乗せられていたトレイは床に落ち、胸元と喉を掻き毟る
ように苦しみ出す。
『ぐぅっ…、あ、あああ…っ!!』
『フレイ!! フレイ!!!』
どん、と不意に隣の独房から壁を叩く音が響いた。
『く、苦し…!! 助けて、誰か助けてよぉぉっ』
『カ、カズイ…!?』
『苦しいっ、痛いっ!! 誰か…!!』
『トール!? どうしたのトール、カズイ!!』
キラは必死で少女の体を抱き締め、何とか楽にしてやろうとその背をさすりながら、しかし同時に周囲で起こっていることを知る。
彼女の友人達が皆、目の前の少女と同じようにもがき、苦しんでいる。呻き声と、もがいて床や壁にぶつかる物音が、彼らのいる四方
から聞こえてくる。
『みんな…!? どうしてこんな…っ、誰か!! どこかでモニターしてるんでしょう!! 誰か来て下さい!!』
張り上げたキラの声に答えるように、ザフトの軍人が一人、入って来る。カメラの角度のせいか顔は見えない。ホッとするキラだが、
兵士は少女の様子をチラリと見ると、ぽんとキラの肩を叩いた。
『ご苦労だったな、キラ・ヤマト。これで処刑はすべて終了だ』
周囲にも聞こえるように意識しているとしか思えない、不必要に大きな声で、兵士はそう告げた。
キラは一瞬、彼が何を言ったのか理解できない様子だったが、すぐにその残酷な仕打ちに気付き、わなわなと手を震わせた。
『何を…!! 何を言ってるんですか!! 早くみんなを助けて下さい!!』
『もうそんな芝居しなくていいんだぞ、ヤマト。これでお前は晴れて自由の身だ』
『馬鹿なこと言ってないで、早くみんなを助けて!!!』
『キラ……、キラ…あんた、まさか……………ぐっ』
『フレイ!!』
収監服の胸元をぐしゃぐしゃに握り締め、少女は床に這いつくばるように倒れてしまう。慌てて抱き起こそうとするキラの肩を、兵士が
乱暴に引いた。
『痛っ! 何を!!』
『あ…んた、………私達を、売っ…た…の?』
がくり。
美しい赤毛が床に広がり、少女はそれきり動かなくなってしまう。
『………………フ…フレイ………?』
時が止まったかのように、ただ呆然とその場で硬直してしまうキラ。
周囲から聞こえていた呻き声や物音も、気付けば止んでいた。
世界を壊すように、無遠慮に兵士が少女の首を掴み、腕時計を見る。
『プラント標準時、1921。A級戦犯フレイ・アルスター死刑囚の死亡確認』
『……………』
ずるずると少女の体を無造作に廊下へ引きずり出す。カメラが切り換わり、兵士は次々と他の部屋から死体を引きずり出しては死亡確認
報告を繰り返していた。
恐る恐る廊下へ出てきたキラ。友人達の変わり果てた姿を目の当たりにした彼女は、がくりと膝が崩れ、尻餅をつくように倒れ込んでしまう。
『終ったか』
『! は、はっ。終了致しました!』
意外な人物の登場に、兵士が慌てて敬礼を取る。その人物はそのまま、まるで汚い物を退かすような仕草で、廊下を塞ぐ彼女の友人達の
遺体から投げ出された腕や足を靴先で押し退かし、キラの前に進み出た。
『………これで、お前を除くすべてのアークエンジェルクルーの処刑は終了だ』
呆然としていたキラの顔が、歪む。
『…みんなだけは…助けて、くれるって………約束………』
『何を言う。お前が運んだ毒入りの食事で彼らは死んだ。彼らを殺したのはお前なのだぞ』
論点をすり変えた、残酷な言葉。男は威圧的にキラを見下ろしたまま続ける。
『これがお前のしてきた、同胞殺しということだ。その罪深さ、我々の無念さ、思い知ったか』
『………………………………………』
『本来ならこの後でお前自身も処刑される筈だった。………よくも愚息を誑かしてくれたな』
冷たく答える男の言葉に、眼球が零れ落ちそうなほどキラの目が見開かれる。
彼女の表情を冷たく一瞥して去る男。
すべての遺体が運び出されてもまだ動こうとしないキラを、兵士が二人で無理矢理連れ出す。ブツンと映像が途切れ、やっとディスクは
すべての情報の再生を終えた。
爪が食い込むほど握り締めた両拳を、机に叩きつけるイザーク。
何も言えず、エザリアも目を伏せた。
「……………こんな…っ、こんなことを、母上は認められたのですか!!」
「…最後まで断固としてパトリックに異を唱えたのは、アイリーンだけだったわ」
信じられない、と母親に鋭い視線を向ける。どう言い訳をしても無意味なことを悟っているからだろうか。エザリアはただ苦い表情で
更に俯く。
実際エザリアも、ここまでやるとは思っていなかったのだ。
彼女が同意したのは、艦長以下将校クラスの乗員の処刑をキラ・ヤマトの目前で行うということまで。若きザフトの精鋭達を、前途ある
少年達を、どんな理由であれ同じコーディネイターが倒し続けてきたというのだ。自分のしてきたことがどういうことだったのか思い知る
べきだと、怒りを含んだ思いでエザリアはそれを了承した。
何より、彼女に屠られた子供達の両親の悲しみを、エザリアは知っていたから。ストライクは幾度となく、息子の乗るMSデュエルと
死闘を繰り広げてきた。つまりまかり間違えば明日は我が身だったかもしれないのだ。辛うじて命はあったものの、下半身の自由を
奪われたニコル。彼の両親も、どれだけ悲しみ、怒り、苦しんだことか。
裏切り者はそれを身をもって知らなければならない。己の所業が、どれだけ人々に深い悲しみを与えたのかを。
だから非人道的だと訴えるアイリーンを制し、パトリックに賛同した。
…そして後悔する。その時パトリックを諌め議会を冷静な状態に戻せなかったことを。エスカレートしていく報復を止めることができなかった、
いや、止めようともしなかったことを。処刑が始まる前に、キラ・ヤマトの取り調べを自ら行ってしまったことを。
彼女はただ友達を見捨てることができなかっただけの、心優しい少女だったのに。
そのことが悲劇を生んだとしても、それは彼女の責任ではない。戦争という時代が彼女にその運命を架しただけ。
だが今更それを知ったところで、失われた命を取り戻すことなど不可能だ。そして時間を巻き戻し、すべてをなかったことにすることも。
エザリアはただただ、苦い思いを噛み締めることしかできない。
重い沈黙が部屋に充満して、息が詰まる。
「…………………オレがキラの傍にいます」
はっとエザリアが顔を上げると、そこには強い決意の表情があった。
「これからはオレがキラの傍にいます。彼女を支え、そして守ります。…たとえ母上と対立することになろうとも」
エザリアはやっと少し、ほの暗い後悔から解放されたような思いで、小さく微笑んだ。
ニコルといえばピアノ、というのがすっかり定着しているせいなのか、それとも見舞いに花は意外と気を使うせいなのか。
「…皆さんのお気持ちは嬉しいんですけど…、簡易キーボードのコレクターになれそうですよ、僕」
病室の隅にどっさり積まれたダンボールをちらりと見て、はぁとため息。テーブルの上には、たった今開けたばかりの真新しい見舞い
品が広げられていた。巻物のようにくるくると巻いて収納する、布タイプのマイクロ電子オルガンである。
「何だよ、気にいらねェ?」
「いえ、そういう意味じゃ…。でも…。ふふっ、ディアッカがこんなによくしてくれるなんて、なんだか後が怖いですね」
「ひでェ言い草だなァ。オレどっかのいじめっ子みたいじゃん」
クスクス笑いながら簡単な曲をさらりと奏でるニコルに、ディアッカは穏やかに微笑む。
「あ、こっちはクッキーとバウムクーヘンと、チョコレートな。ゼリーは冷蔵庫入れとくぜ」
「ありがとうございます。そんなに気を使ってくれなくていいのに」
「いーっていーって。最近イザークが構ってくんなくてヒマなのオレ」
ひらひらと手を振りながら、備えつけの冷蔵庫を開けるディアッカ。だが、中は先客である果物の缶詰やらジュースやらヨーグルトやら
がズラリと並んでおり、ゼリーを入れる隙間を作るために挌闘するハメになってしまった。
やたら所帯じみたその光景に、思わず笑ってしまうニコル。
「何がおかしいんだよ、オイ」
「す、すみません。こんなに常備してくれなくていいって言ってるんですけどね。両親もみんなも、よっぽど僕を太らせたいみたいだ」
「毎日ハードなリハビリ頑張ってんだから、こんなに食ったら太るってくらいで丁度いいんじゃねェ?」
「太るほど間食したら、僕がお医者様に怒られちゃいますよ。………それにしても、あんな事言ってたのに。フフフ」
「?」
愉快そうにクスクス笑うニコルに、ヨーグルトを無理に重ねようとして失敗したディアッカがムッとして顔を上げる。
「笑うなって」
「ああ、いえ、ディアッカのことじゃありませんよ。とうとうイザークもかぁ、と思って」
「はァ?」
「アスランが夢中になってるかと思えば、イザークまで。よっぽど魅力的な方なんですね、ヤマトさんって」
「あ〜」
はいはい、と頷きながら、無理矢理ゼリーをねじ込む。少々パックの底が歪んだが、まあ味に支障はあるまい。
「オレも引き渡しン時に議場で見たけどな。ガリガリに痩せててボケーッとしてるし、…っていうか、目が死んだ魚みたいでゾッとしたっ
てのが正直なとこなんだけど。少なくともオレのタイプじゃねェな〜」
「そういえば、ディアッカはグラマーな年上女性が好みでしたっけ」
「ぐっっ、なんでお前がンな事知ってんだよ」
「何言ってるんですか。アカデミーの頃、ディアッカがあちこちにグラビア雑誌隠すから、僕が全部処分してたんですよ。教官に
見つかったら全員大目玉」
「あーっ!! オレの本捨ててたのお前だったのかよ!!」
「…今まで気がつかなかったんですか?」
「ああもう、お前のおかげでオレのお気に入りの秘蔵コレクションが…」
「そんなに大事なら、ちゃんと自分の部屋に隠して下さいよ」
本気で嘆くディアッカがおかしくて、あはは、と声を上げて笑ってしまうニコル。ディアッカも恨めしそうな視線を送るが、本当に
ムカついているわけではない。
写真の中のグラマーなんかより、ニコルがこうして生きて笑っていることのほうが大切だから。
ブリッツにストライクの剣が深々とめり込んだあの時、ニコルの『死』が見えた。
重ねられた訓練の中で、仲間を失う覚悟も叩き込まれた。ミゲルの時もオロールの時も取り乱すことなく受けとめ、必ず仇を討つのだと、
悲しみを怒りに摩り替えて敵にぶつけてきた。
けれど、ずっとからかって構ってきた友が………と思った瞬間、何も考えられなくなった。脱出しろとニコルに叫ぶアスランの声が
なければ、呆然としたまま、迫りくるアークエンジェルの攻撃をまともに受けていたかもしれない。
ニコルはとどめを刺さなかったキラ・ヤマトに感謝していると言う。イザークは憮然としていたが、ディアッカにはニコルの気持ちが
少し分かるような気がした。
だからだろうか。議場でやつれ切った少女を見た時、彼女の様子に同情もしなかったが、かといって怒りや怨みを感じることもなかった。
ふぅんこいつが、と思った程度で、むしろ無感動だったと言っても差し支えないかもしれない。
「あーあ。僕も会ってみたいなぁ、ヤマトさんに」
ぽすっと布団に両手を落とすニコル。
「……会おうと思えば会えるんじゃねェの? 今ここに来てるはずだぜ」
「えっ!? ほ、ほんとですか!?」
身を乗り出すニコルに、ディアッカはのんびりと天井を見上げて記憶をたぐる。
「なんか、失語症が治ったときに暴れて、その検査だか治療だかでここに来てるって…イザークも同伴してるはずだし、オレ話通して
来てやろうか?」
「うわぁ、本当ですか!? 嬉しいな、ありがとうございます! ディアッカって本当は意外といい人だったんですね!」
「…そーやって引っかかる言い方すんの、計算? それとも天然?」
「どっちだっていいじゃないですか、それより早くお願いします。そうじゃないと僕が車椅子で病院の中を暴走しますからね」
「はいはい、行くって行くって」
こりゃ計算に決まりだな、こいつは。
ぷっと吹き出しながら立ち上がるディアッカ。えーっとどこの検査室だっつってたっけ、とブツブツ言いながら、ドアの取っ手に手を
伸ばした瞬間。
警報が鳴り響いた。
「!」
「何!?」
二人とも一瞬で軍人の顔に変わる。ディアッカが即座にロックされた窓から外を見渡すが、特に異常は見当たらないし不審な車もない。
反対側で何か起きたのだろうか。
『緊急事態発生。安全確保のため、病室のドアは強制ロックされました。指示があるまで動かないで下さい。尚、火災や爆発の危険は
ありません』
枕元のスピーカーからのアナウンスに、ニコルが眉を顰めた。
「緊急事態なのに、火災も爆発の危険もなくて、病室のドアをロック…? これじゃまるで………、まさか」
そのまさか、である。
病室のドアや窓のロックは、現在まだ特A級戦犯扱いの患者であるキラ・ヤマトの逃亡を阻止するための処置だったのだ。
当然出入り口にもシャッターが降り、すぐにザフト兵が展開して厳戒態勢をとる。
もっとも、実際のところキラはとっくにこの病院から抜け出していたのだが。
UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)
「SHADE〜」でキラが壊れてしまうシーンを書いてた時も思いましたが、
こういう状況が起こり得る「戦争」って本当に異常だと思います。
二度と起こってほしくないですし、勿論、現在進行形で戦争状態である地域は、
早期に平和的な解決へ至ってほしいと思います。
この重さに私自身耐えられず、予定外だったニコルとディアッカに登場して頂きました。
彼らのほのぼのとしたやりとりでワンクッション置くことによって、ストーリーの切り替えがうまくいったかな?
…な〜んて自画自賛してみる。
でもほんと、清涼剤になってくれて助かったよ、ニコル。ディアッカ。