冷たい海
エピソード4・たった一人の戦い
(4)
電話を切ったイザークはイヤホンマイクを外し、アクセルを踏み込んだ。
病院のみならず解体工場のセキュリティまでも手玉に取るとは、全く恐ろしい手腕としか言い様がない。
勿論、感心している場合じゃないことは分かっている。一刻も早く連れ戻さなくては。ただでさえ議会からキラへの風当たりは冷たい。
これ以上騒ぎを大きくしたら、彼女を庇いきれなくなってしまう。
それに。
もし、アークエンジェルクルー達の汚名を見事返上することができれば、キラはもう生きる目的はすべて達したと、自分で自分の命を
閉じてしまうだろう。これでもう自分が生きてすべきことはない、もうこの命に価値はない。そう言って仲間達の元へ旅立ってしまうだろう。
…冗談じゃない。
それでは、オレの気持ちはどうなる。
やっと自覚したばかりの恋は。護ると誓った想いはどうなる。
今までキラは、できるだけ他人に迷惑がかからないように行動してきた。監視される生活も大人しく受け入れてきたし、結婚を頼んで
きた時も、イザークに掛かる負担は最低限に抑えて考えていたはずだ。
それなのに、ここにきて突然脱走という思い切った行動に出たのは、アークエンジェルの解体破棄の予定が早められたからだろう。
情けない。昨夜その連絡をメールで受けた時に、何故キラが行動を起こす可能性を考えなかった? ニコルに指摘されるまで気付かないとは。
「―――――…いや、違う………」
あれはザフト内部にしか知らされていない情報だ。敵艦の破棄など、一般人にはわざわざ周知されない。キラがこの情報を得ていること
自体が既にイレギュラーだ。
一体どうやって。一体どこで。もしくは、誰から。
「……くそっ」
今は情報の入手経路が問題なのではない。
既に工場のシステムは総てキラに掌握されてしまった。どうやって彼女を捉まえるか―――それが問題だ。
システムが使えないとなれば、頼りになるのはもう人力しかないだろうか………と考えを巡らせていたその時、イザークの視界の隅に
一台のエレカが現れた。
ハイウェイからこちらの走る下道へ降りてこようとしている。ただそれだけならなんと言うこともないのだが、そのエレカのスピード
たるや常軌を逸していたのである。
「!!」
合流注意と示された標識など目にも入らないという様子。イザークは気付いた瞬間クラクションを鳴らしたが、エレカはスピードを緩める
気配がない。
嫌な予感。ブレーキを踏むが、こちらも相当なスピードを出していた。突然ぴたりと止まれるものではない。
これは、と思った次の瞬間。
「―――――っ」
クラッシュを免れたのは、相手の運転手が我に返ったからだろう。だが少し遅かった。
二台のエレカは接触し、ギギギィと耳障りな音を立てながら火花を散らす。そのまま少しずつブレーキを効かせて止まるこちらとは対照的に、
相手は更に歩行者用の側道と道路とを隔たる壁にも派手にドアを擦らせていた。イザークのエレカから離れようとして、反動がつきすぎて
しまったのだろう。
結局相手は、七十メートルほど後ろで止まった。
「…くそっ、どこのバカだ!?」
バックミラー越しにエレカを睨み付け、ハンドルを殴って毒づくイザーク。こんなところで事故の処理などに時間を食われている場合
ではないというのに。
少々擦っただけならこの際無視して走り去ってやるところだが、これだけ派手に接触してしまってはそういうわけにもいかない。しかも、
相手の車だけでなく、公共物である壁も破損させてしまっている。これを放置してこの場を離れれば、極めて事件性の高い事故として
司法当局が出て来ることは目に見えている。そうなれば面倒事は増えるばかりだ。最低限の処理だけは済ませておかなければ。
「おい貴様!! どういう運転だ一体!!」
思いきりドアを開けて降り立ち、怒鳴りつけてやる。負けず劣らず苛々した様子でエレカから降りて来た人物は、バンと音を立ててドアを
閉める。
「どういう運転だと!? それはこっちのセリフだ!!」
売り言葉に買い言葉としか思えない。スピード違反、合流注意の標識無視、こちらの警笛無視。確かにこちらもスピードはそこそこ出して
いたが、それを差し引いても向こうの過失割合のほうが高いと思う。それを、頭ごなしにこっちのセリフだとはどういう了見だ。…と怒鳴り
返すよりも先に、驚いて目を見開いてしまう。
「…なっ、アスラン!?」
地響きが起こりそうな勢いでこちらに駆け寄ってくるのは、アスラン・ザラだったのだ。
「イザーク!!」
どういうつもりだ、とイザークが怒鳴りつける前に、アスランが言葉を続けた。
「お前も工場に向かってたのか!?」
「お前も、だと!? 貴様もか!?」
「そうか…。やっぱりキラは工場…足付きに向かったのか…!」
一人で納得して一人で悔しがっているアスラン。ぶん殴ってやりたいのは山々だが、今はそんなことをしている時間はない。
「おい、乗れ! 話は工場に向かいながら聞く!!」
相手がアスランなら話は早い。怒鳴りつけてさっさと運転席に戻ったイザークは、アスランが勝手に乗り込めるようにドアロックを外して
から、携帯電話を取り出した。まだ病院で警戒に当たっているアセルスに繋ぎ、キラを追跡中事故が発生したこと、双方に怪我がないことを
ごくごく簡単に説明して、場所を伝えて後始末を任せる。
アスランはさっと自分の車に戻って手早く処置を施すと、不機嫌な顔ではあったが大人しく助手席へ乗り込んできた。丁度、イザークが
電話を切ったタイミングで。
無言で車を出す。アスランは隣で不機嫌を隠さず、むっつりと進行方向を睨んでいる。
「…おい。今回のこと、議会はどう反応している。もう議長にも連絡が行ったのか」
キラの脱走は、当然病院から軍上層部、議会へと連絡が伝わっている筈だ。議会からアスランに捜索命令が下りたのだろうか。
「父なら今頃、ポートの閉鎖命令や方々に出す捜索命令でてんてこまいなんじゃないか」
苛立ちを隠せない顔でそう言い捨てるアスラン。
ということは、これは彼の単独行動か。
「父が俺につけた監視はこちら側に買収してある。他の追っ手は、工場へは来ないだろう。…キラは、必ず俺が助け出す」
お前にはもう連れ戻させない、とでも言いたげな、棘のある言い方。アスランらしくないとも思ったが、それだけ彼に余裕がないという
ことなのだろう。
「足付きへの拘りも、ナチュラルの連中への拘りも、全部俺が忘れさせてやる。そうすればキラだって目が醒めるはずだ」
「……………」
違う。
それは違う。今のイザークになは何の迷いも無く断言できる。エザリアにあの映像を見せられた今なら。
アスランはキラがナチュラル達に騙されていた、友情を装って利用されていたと、今でもそう信じているのだろう。そうでなければ出て
こないセリフだ。
………真実を教えてやろうか。ふとイザークの胸にそんな悪戯心が生まれた。
実父たるザラ議長がキラにした仕打ちを知れば、いくらアスランでも今まで通りキラと接することなどできないだろうし、どれだけ策を
労しようともザラ家へ迎えることなど不可能なのだと悟るのではないか。
キラ自身に、彼女の大切な人たちを殺させたのが、そう仕向けたのが自分の父親だと知れば。
――――いや、と小さく眉を寄せる。
そうしたらアスランは迷わずザラ家を捨てるだろう。キラ以外の総てを捨てて、その代わりに彼女を自分だけのものにして隠してしまう
だろう。アスランにキラへの執着を捨てさせるには、それだけでは足りない。
キラが本当にキラの意志で、アスランの元へ行くことを拒んでいるのだと、思い知ってもらわなくては。
それに、そのタイミングは今では駄目だ。
なんとしてもキラを連れ戻さなくてはならない。正確には、彼女に命を絶たせてはならない。この際アスランと協力してでも、彼女を
無事に保護しなくては。己の命を絶つことを思い留まらせなくては。
そして、この想いを伝えなくては。きちんと、言葉にして。
工場へ到着すると、ライトを持った一人の工員が手を振ってこちらに合図していた。その工員の前に車を滑り込ませ、そのまま停めて
キーを抜いた。
「ジュール隊長ですね。お待ちしてました」
どうやら通話が切れる直前に今すぐ向かうと怒鳴ったところは通じていたようだ。イザークに続いてアスランも車を降りる。
「どうなっている」
「もう無茶苦茶ですよ。とりあえずの応急処置で通常ラインを手動で切断して、無理矢理非常回線に切り換えて、それでやっとこっちで
コントロールできるようになったんですから」
うんざりしたようなげっそりしたような工員の言葉。三人は車ごと進入できる入り口でも、関係兵員が出入りする入り口でもなく、
緊急避難用の手動ドアへ小走りに向かった。
「一時は非常灯まで全部消えちゃって、もう何が何だか……… あれっ?」
「…」
「…」
手動のはずのドアがロックされて、開かない。
「えっ、な、何で!? ここは手動のはず…って非常ロックぅ!?」
よくよく見れば、ドアの取っ手の上に小さく「緊急事態:緊急閉鎖中」との表示が点灯している。
慌てる工員の後ろで、イザークとアスランが溜息をついた。キラは非常回線をも掌中に収めているということだ。
彼女の本気を思い知らされる。だが、感心している場合ではない。
「他に手動の出入り口はないのか。電子ロックのない避難通路も複数設置されているはずだろう」
「いや、移動の時間が惜しい」
はっと顔を上げる工員を押し退け、アスランはモバイルと接続コードを手にドアに近づいた。
「キラの使うコードくらい、お見通しだ」
胸元の小さな光が、侵入者を教える。
「…」
いよいよきた。予想よりも僅かに遅いが、ついに。
キラは移動しながらモバイルを開いた。勿論キラの私物でなどあろうはずもなく、この工場の倉庫に置いてあった備品の中から失敬
してきたものだ。
モニターを確認しながら、歩む足は止めない。僅かな非常灯しか作動させていないが、それだけあれば充分だ。すっかり歩きなれた艦内は、
目を瞑っていたって大抵のところへ移動できる。
おそらく、来るとしたらここ。そう予測していたまさにその非常口のロックが破られた。
だが、破られたのはそこだけで、続けてこちらを攻撃してくることはない。相変わらずコントロールを取り返そうと攻撃され続けてはいるが、
それはこの工場の総監視司令室から。
赤外線カメラの映像を呼び出すと、予想していた通りの人物が避難通路を走っている。
ロックを破ったアスラン。そして、工員を一人伴わせたイザーク。
――――ごめんね、イザーク…。
保護監視対象にまんまと逃げられ、ザフトの重要施設への侵入を許してしまった。これは彼の経歴に大きな汚点を残すことになるだろう。
昇進にも影響するだろうし、責任を問われることは間違い無い。
そのことを考えると、申し訳無くて胸が潰れそうになる。
イザークだけではない、アセルスだってそうだ。脱走を図る直前まで手が届くほど側にいたのに、不穏な気配に気付かず、そのまま逃げ
られた。恐らく彼女にも何らかの処罰が下るだろう。
この工場の工員達にも多大な迷惑をかけている。彼らは上層部からの命令に従って、自分たちの仕事をしようとしていただけなのに。
――――それでも、みんなをこのままにはしておけない。
命を取り戻すことはできない。それはわかっている。だからこそせめて、みんなにかけられた汚名だけは晴らしたい。彼らの名誉だけは
守りたい。
自分が特A級戦犯とされたのは、コーディネイターであり中立国家に住む身でありながら地球軍に与した裏切り者であり、戦場で多くの
同胞を手にかけてきたからだ。
だが、他のクルーは…少なくともマリュー達は、正規の地球軍であり地球出身のナチュラルだ。確かに多くのザフト艦を落とし、ザフトの
部隊を倒してきたが、それは正規地球軍に属する者にとっては、ある意味当然の仕事と言い換えることもできるだろう。彼らはただ、自分が
属する組織の敵対勢力と戦ってきただけ。普通なら捕虜として扱われるはずだ。
それなのにA級戦犯として処刑されるに至ったのは、裁判に提出された捏造証拠のためだ。捏造された艦長日誌、捏造された交信記録と
その内容。そのせいで、フレイやトール達まで同じように戦犯とされてしまった。
マリュー達はキラをコーディネイターと知っていながら脅してストライクを操らせ、ラクスを人質として不当に拘束したと、捏造証拠には
そう記されていた。それは以前イザークにも言った。最初は脅されてストライクに乗っていたキラだが、やがてMS操縦の才能に目覚め、
己の腕を過信し、驕り、進んで同胞を屠りに戦場へ出るようになったとされている。それがキラへの特A級の烙印に繋がった。
更に、人道的見地から保護した筈のラクスがプラント要人の娘だと判明した途端、人質として利用し、不当に手足を拘束し、食事も満足に
与えず、暴行を加えたとまでされている。
裁判の証人席に立ったラクスは尽く否定したが、平和を愛し命の尊さを唄う歌姫は極刑を避けさせるために庇ったのだと、裁判官はそう
判断を下し、結局ラクスの証人喚問は形だけのものに終わった。最初からそう仕組まれていたのだろう。
つまり、皆の名誉を取り戻すには、裁判に提出された証拠が捏造されたものであると、そう証明できればいいのだ。それですべてが覆る。
だから。
「だから…ごめん」
今、誰にも邪魔させるわけにはいかない。
キラは恐るべき早さでモバイルのキーを叩き、やっと避難通路を抜けようとしていたイザーク達の鼻先へ非常シャッターを降ろした。
UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)
というわけで、キラがアークエンジェルに拘っていたのは、捏造証拠を『偽物』と証明できる、
『本物』がまだ残っている可能性があるからです。
本物が処分されているなら、解体処分を急ぐ必要などないはず。
ということは、まだ艦体にデータが残っているのでは…という推理です。
ところで、この作品では戦犯というのが一種キーワードになっているわけですが…。
複雑な問題を内包した言葉なので、少し迂闊に使いすぎているかなと思うこともあったのですが、
今回のストーリーに限っての使い方として見れば、単純に言葉の意味としては間違いではないようなので
(特A級とかそういうカテゴリがあるかどうかは別として)、とりあえずこのままこの言葉を使うことにしました。
…密かにイザークとアスランの車が派手に衝突したらこの話ここで終わりにできるなーとか思ったのは、ただのひとりごとwww