++「冷たい海」4−5++

冷たい海
エピソード4・たった一人の戦い
(5)









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「…ここだ…」
 艦長室。
 足を踏み入れるのは初めてではないが、居慣れた空間と言えるほど馴染みのある場所ではない。
 扉を開き、ルームライトのスイッチを入れようとして、その指がぎくりと止まった。シュン、と背後で扉が閉まる。
 切なさに胸が締め付けられる。ここは事実上、マリューの部屋だった空間だ。多くのザフト兵が調査のために立ち入ったはずなのに、 その蹂躙に侵されることなく、優しい彼女の香りが未だに部屋を満たしている。まるで部屋そのものに意志があり、己の主はマリュー・ ラミアス唯一人であると、そう主張しているかのように。
 胸が詰まる。込み上げてくる涙をぎゅっと唇を噛み締めて堪えると、喉の奥がつんと熱くなった。
 潤んだ目を強く瞑って、目じりから溢れた余計な涙を袖で拭う。視界を揺らがせるわけにはいかない。思い出に浸る時間なら、後から 作れば―――いや、そんな必要もない。
 全てが終われば、本人のもとへゆくのだから。本人に逢えるのだから。
 マリューのもとへ。ムゥやナタル、ノイマン達、そしてフレイ達のところへ。
 さあ、ここからが正念場だ。
 キラはルームライトを付けると、執務用のデスクに歩み寄り、作業を始めた。


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 警告音と共にエラーの表示。
「くそっ!!」
 十数回目のエラーに、アスランは苛立ちを隠さず壁を叩いた。
 キラの使うコードくらいお見通しだと豪語したその言葉どおり、非常口を見事一発で開いてみせたアスランだが、もう少しで総監視司令室 へ続く通路へ出られるというところで、今度は非常シャッターに行く手を阻まれてしまった。そしてその非常シャッターに対して、対キラ 専用コードは全く通用しなかったのである。
 彼女の癖を熟知しているアスランがお手上げだというのだ。自分が代わったところで芳しい結果は得られないだろう。冷静にそう判断し、 イザークは腕時計を見た。
「…おい、もういい。時間が惜しい」
「ええっ、戻って別の通路から入るんですか!?」
 それこそタイムロスですよ、と誘導してきた工員はぎょっとする。だがイザークは違うと短く否定した。
「アスラン、ライフセキュリティコンディションがどうなっているか調べろ」
「何?」
 命令口調、しかもこの非常時に何故そんなことを、と遠慮なくイザークを睨みつけるアスラン。大体キラがライフセキュリティを切る ような真似をするわけがないだろう。そんなことをすれば…と、そこまで一瞬で考えを巡らせて、はっとひらめいてしまった。イザークが 何を企んでいるのか。
「…イザーク、まさか…、本気か?」
「この状況で、他に確実な道はないだろう。いちいちシャッターやドアに道を塞がれることも、その度にキラと小競り合いをすることもない、 最もロスの少ない道だ。違うか」
 まさかイザークがそんな道を通りたがるとは思ってもみなかった。アスランはしばしあっけにとられてしまうが、すぐにまだ繋いだまま だったモバイルに意識を戻す。
「…ノーマルモードのままロックされている」
「よし。おいお前、工場の内部構造は把握しているな」
「えっ? あ、はい、一応は…」
「エアダクトを伝って司令室へ行く。案内しろ」
「は…え、ええっ!?」
 さらりと命じたその内容に、仰け反るほど仰天する工員。イザークはビキッと音がしそうな勢いで青筋を立てた。
「いちいち驚くな!! いいから言われたとおりにしろ!!!」
「は、は、はいっ!!」
 敬礼を返した工員は、ええとええと、と必死で記憶を揺り起こし、目的地まで最短かつ確実なルートを頭の中に描く。それから顔を上げ、 腰に装備していた携帯用ライトを点灯させて、骨組をコの字にして壁に打ち付けただけのシンプルなタラップを見つけ出し、駆け寄った。
「こちらです!」
 よし、と続くイザーク。
 本当に本気のようだ。そう悟ったアスランも、黙ってイザークの後ろに続いた。実際、非常に原始的ではあるが、この状況下では最も 確実な道といっていいであろうことは確かである。非常シャッターのコントロールを取り戻せなかった手前、反論できるような要素も、 別のアイディアもない。
 もっとも道というには狭過ぎるし、そんなところを率先して通りたくはないのだが。
 だが、この先にキラがいるのなら。今度こそ連れ戻せるのなら。
 ただその一心で、アスランは狭苦しいダクトへと体を滑り込ませ、まさか平和な世ですることになるとは思わなかった匍匐全身を始めた。


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「こっちの電源が盗まれてンだろう。そのへん足がかりにして取り返せねェのか」
「駄目です、強力なロックと、防壁が展開されていて…下手に突付けば反撃されます」
「反撃が怖くてザフト兵がやってられるか! いいからやってみろ、責任は俺が取る」
「は、はい」
 工長の指示に従い、アークエンジェルへ侵入したと思われるハッカーからコントロールを取り戻そうと、再びオペレーターが奮闘する。
 だが、その勝負は一瞬で決着がついた。総監視司令室の電源が全て落ちるという、決定的な形で。
「!!」
 すぐに非常灯が点灯する。だが、モニターは全てブラックアウトしており、コンピューターの電源も落とされたままだ。
「だ…駄目です、こちらからの干渉を全てシャットアウト…電源供給も絶たれた模様」
「………」
 工長のこめかみを、一筋の冷や汗が伝う。
 そこへ、ガゴン、と場違いな音が響いた。
 皆、何事かと音の出所を探す。………天井?
 全員の視線がそこへ集まったと思ったら、バコンといい音を響かせてダクトのフタがべろんと垂れ下がって来た。にょきっとはえたのは、 見慣れた制服の足と靴。
「なんだァ??」
 ぼやく工長。足はふらふらと足場を探し、タラップを見つけてホッとしたように降りてきた。
「こ、工長ォ〜〜〜」
「お前! なんちゅうところから出てきやがる!!」
 こちらに向かっているというジュール隊長の迎えにやった工員だった。よろりらと降り立つと、その後ろ、いやその上から、そのイザーク・ ジュールが続いて降りてくる。こちらは危なげなくタラップを降りてさっと部屋を見渡し、それから工長に視線を固定。
「イザーク・ジュールだ。ここの責任者か?」
「ああ、俺がそうだが…」
 降り立った銀髪の青年に、工長はぎょっとする。噂通りの若造だが、隊長格が私服で駆け付けて来たばかりか、埃やら排気と煙草のヤニ やらで煤だらけになっている。せっかくの美形が台無しだ。
 そして美形を台無しにしているのがもう一人。パトリック・ザラ議長のプロモーションによって今やプラント国民の間にその顔を知らぬ 者はいなくなった、アスラン・ザラ。ザフトを勝利に導いた英雄であり、そして歌姫ラクスの婚約者でもある人物。
「状況はどうなっている」
「…、まァ、見ての通りで。まるっきりお手上げでさァ」
 がりがりと頭を掻きながら答える工長。イザークはそうかと頷いてざっと室内を見回した。オペレーターがコンピューターを再び立ち上げ ようとしているが、機械はうんともすんとも答えない様子。
「使えるのは非常灯だけか」
「はァ」
 非常灯は点灯していても、それ以外の電源は復帰しない。つまり非常電源も部分的にしか供給されていないということだ。これもキラが コントロールしているのだろう。
「だがライフセキュリティはまだノーマルモード…ロックされていなければ扉は開く。…おいお前達、もうそこはいい。それより充電済みの バッテリーを持てるだけ持ってこい」
「えっ?」
 オペレーター達にいきなり指示を出し、ぎょっとされる。だがそんなことに構っている暇はない。
「作業場に降りる。ロックされていないルートは」
「え…いえ、アークエンジェルへ至るルートは全ての扉がハッカーによって強力にロックされ」
「扉を経由しないルートは!」
「そんな! それこそエアダクトか壁を破らなければ」
「それでもいい! 所要時間が最短のルートを出せ!」
 出せ、と言われてもコンピューターは全てダウンしている。困惑して顔を見合わせるオペレーター達。
「…、あっちの廊下の強化ガラス破って、キャットウォークに降りたらどうかな」
 ふと後ろから声が。イザークを案内してきた工員だ。
「そこからならアークエンジェルの上に降りられる…いえ、降りられます、けど」
「…でも直上に降りても、そこから降りられないわ」
「あ、じゃD−4fの右側の壁外すのは? 左舷側に出られるんじゃないか?」
「バカ言え、そっちは強化隔壁と繋がってンだから、生半可な火力じゃ穴も空かねェぞ。それよりちィと遠回りになるが、ダクトから 資材置き場に出るってのはどうだ? それなら途中でバッテリーも回収できるぜ」
「あっ、工長それナイスです!!」
「でも搬入路がロックされてなきゃいいけど…」
「あ…そうか…」
「でもそれA23倉庫の事ですよね? 電子ロックのない非常避難路なかった?」
 たった一言。
 たった一言をきっかけに、次々とアイディアが出て来る。

 ―――いける。イザークは確信した。
 必ずキラの元まで辿り着いてみせる。そして、彼女をここへ留めてみせる。自ら命を絶つなど、させやしない。
 必ずこの手の中に取り戻してやる。

 無意識に拳を握り締めたイザーク。その真意を探るように、アスランはじっと彼を見遣った。
 それから、うっすらと非常灯に照らされるアークエンジェルへと視線を移す。
 キラを取り戻す、必ず。その強い想いはアスランも同じだった。
 ただイザークが何を考えているのかだけは理解できなかった。
 あれほどキラを疎んじていた筈のイザークが、何故突然ここまでしてキラを取り戻そうとするのだろう。あのプライドの高い男が、 埃だらけのダクトの中を這いずり回るような真似までして、必死にキラの元へ駆け付けようとしている…。
 例え責任問題に関わる話だとしても、ここにキラがいることがはっきりしているのなら、軍に出動要請を出して囲み込むこともできたはずだ。
 それなのに、何故。
 …まさか。
 その先に気付いてしまえば、恐らくこの場でイザークを殴り倒してしまう。やっとキラの元へ辿り着けるチャンスなのだ。癪ではあるが、 今イザークとの和を乱すのは得策ではない。
 小さく頭を振って顔を上げる。そこには、手帳のメモ欄を使って地図を作りながらああでもないこうでもないと知恵を出し合う オペレーターや工長達の姿。
 今は彼らの話が纏まるのを待つしかない。




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UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)

おかしい。
当初の予定では篭城キラvs部下を連れてきたイザーク&アスランによる銃撃戦が始まる章だったはず。
ところが蓋を開けてみれば、情報戦キラvs物理的突破戦イザークに。
二人の戦闘スタイルが噛み合ってねえぇぇぇ!!(滝汗)
ま、まあでもなんとか先が見えてきたからよしとするか。
よしとしておこう。そうさせて下さい。