++「かげろう」8++

かげろう
(8)








「キラ! M1のOSのことで、エリカ・シモンズが話したいって」
「あ、うん。わかった。今行くよ」


 数日後。
 キラはいつも通りのキラに戻っていた。いや、そうしようと務めて明るく振る舞っている、のほうが正しい。
 ラクスやカガリ達はそんなキラの様子を痛々しく思ったが、まさかアスランが突然暴挙に及んできたため苦しんでいる、とは知らない 彼女達は、メンデルで何があったのかはキラの心の整理が本当につくまでは、と敢えて踏み込んでいない。
 ただ、アスランの言葉に傷付き、失恋したと知っているミリアリアとディアッカの二人だけは、やはりアスランとのわだかまりが 無くなったわけではないのだろうと推測し、このまま放っておいていいものだろうかと考えていたのだが。

 キラ自身は、もう考えることは放棄してしまった。というか、考えても考えても、どう考えても、わけがわからない。
 自分のことは過去形だとカガリに言っていたアスラン。
 強引に何度も犯し、お前は俺の物だと繰り返すアスラン。
 今も部屋に戻れば身体を開かされる。部屋に戻らなければ探され、強引に連れ戻されて、やはり乱暴に行為を強要される。毎夜毎夜心の 伴わないセックスを強いられ疲弊しきって深い眠りに沈んでしまうため、悪夢はあれっきり見ていない。…だがそれを幸いというには、 むしろ目が覚めている間の現実が悪夢になってしまったようで、的確ではないと思う。
 考えても考えてもわけがわからない状態で、なんとかキラが絞り出した結論。
 ……………多分、そのうち満足したら、飽きるだろう。
 だった、過去形、と彼ははっきり言っていたのだ。なら今の関係も、あっさり過去形にされてしまう時が来る。彼がそんな酷い男だ なんて信じられないし、本当は納得できてもいないのだが、そういう事だと無理に思い込んででもいなければ、こちらの精神が参って しまう。ただでさえ毎夜の事に疲弊しているのに。
 遠からず飽きられる。だから、いつか体だけではなく心も求められるかもしれない…なんていう期待は、してはいけない。
 きっとまた、切り棄てられてしまうだけなんだから。





「アスラン」
「ああ」
 よ、と手を上げてエターナルのドッグへやってくるディアッカ。アスランは穏やかに彼を迎えた。
 キラが彼に泣きついていたことは記憶に新しい。そのことは今でも苛つかされるが、しかし、もはやキラは自分のもの。それにディアッカ がミリアリアに気があるというのは、アークエンジェルでは有名な話だった。
 隣ではフリーダムの整備が行われている。キラはカガリに連れられ、クサナギへ向かうためにドッグを出て行った。
「お前、今ヒマ?」
「暇…といえば暇かな」
 現在ジャスティスの作業終了待ち、という状態。確かに手持ち無沙汰ではある。
「OK」
 にやっ、と笑うやいなや。
「あのさー、ちょっとパイロット貸してくんない?」
「ああ、はい! どうぞ! まだあと一時間くらいは取られますから、ゆっくりしてきて下さい、アスランさん」
「あ、え?」
「ほら、行くぜ」
 さっさとジャスティス担当工員に話をつけたディアッカは、アスランの腕をむんずと掴み、ドッグを出た。

「話があるなら一言そう言ってくれないか」
 ドリンクを一口飲んで、やれやれとアスランは溜息をついてしまう。
「…お前、随分スッキリしてんなぁ」
「答えになってない」
「細かいことイチイチ気にすんなっつーの」
 まったく、とまた溜息。目の前に広がる大宇宙へと視線を移す。
 強引にドッグから引っ張って来られたのは、展望室。前にキラとディアッカが夜中語り合った、あの場所だ。他に人はおらず、サシで 話したかったから丁度いいと呟いたディアッカに、思ったままに口にした苦情だったのだが、いつもの飄々とした調子でさらりと流されて しまった。
「で、話っていうのは?」
「だから。お前随分スッキリしてるじゃない、って話」
「は?」
「あいつも何とかカラ元気は出せるようになったみたいだけど。あいつがカラ元気なわりに、お前はかなりスッキリした顔してるから、 気になってたんだよ。…結局どうなってんだよ、お前ら」
「……………」
 思わず眉間にしわが寄る。
「キラのこと心配してんのがオレだけだと思うなよ」
 ミリアリアも、ラクスも、カガリも、マリューも、ムウも。他にも、沢山の人達が。
 フリーダムとキラが圧倒的な強さを持っているからじゃない。彼女自身のことを気にかけ、心配しているのだ。
「だから、プライヴェートだから干渉すんなって反論は無視」
「随分だな」
「本人に聞けっていうのも、だからお前に聞いてんだろってことで無視」
「俺はまだ何も言ってない」
「お前、言いたくなさそうな顔してるからな。先手」
「………いい性格してるな」
「お前に言われたくないね」
 お互いに声が冷えて来る。ディアッカは一口、ドリンクを飲んだ。
「で。どうなってんの。お前ら。キラがカラ元気で、お前がスッキリしてるカラクリは」
「すっきり、ね。…そう見えるのか」
「なんか吹っ切れたっつーか………。あーやっと解放されたー、…みたいなオーラ出してるぜ」
 オーラって何だ。思わず小さく吹いてしまう。

 しかし、解放か。
 …逆に囚われたような気がするのだが。
 前に危惧していたことがそのまま当たってしまった。一度手に入れてしまったものは、雁字搦めに捕えていなければ気が済まない。 叶うなら、ずっとずっとキラをこの腕の中に抱いていたい。傍にいられればそれでいいなんて、そんなことは心が繋がっているから言える 台詞だ。体だけしか繋ぎとめるものがない自分には、キラの傍にいるだけでは安心などできない。
 縛り付けて、自分だけのものに。
 離れてゆかないように羽根をもいで、手足を繋いで、自分のもとに。
 それは逆に、自分がキラに囚われていることでもあるのだろうと思う。
 キラ以外のものが見えない。キラだけしか欲しくない。…この状態を囚われていると言わずして、なんと言おう。

「………。すっきり、か。…まあ、そうなるかな」
 体だけは俺の物。そんなふうに割り切ってしまった今の状態を、吹っ切れたと表現することは、間違ってはいないだろう。
 心も欲しいと願ったって、キラの心は他にある。少なくとも自分に向けられていないことだけは確かだ。
『やだ…アスランだけは、絶対嫌だ…!!』
 泣きながら、そう拒絶するくらいなのだから。
 だから、…どうしてもどうしても欲しければ、体だけで我慢するしかないではないか。 そう割り切らなくては、心ばかりはどうしようも ない。マインドコントロールの真似事みたいなことをするのも、何か違う。
 少なくとも体を手に入れたことで満たされた何かがあることも確かだ。それはとても暗澹とした充足感だけれど。けれどその充足感が、 彼にはすっきりしたように見えているのかもしれない。
「…。ふゥん。あっそ」
 鼻白んで、不愉快げに言うディアッカ。彼はアスランを責めるような態度で足を組み替えた。
「スッキリはっきりフッちゃって、サッパリしましたって? お前って案外薄情なんだな。知らなかったぜ。そりゃ、イザークと合わない わけだよなァ。あいつ熱血の塊みたいなヤツだからな」
「………は?」
 ぽかん、としてディアッカを振り返る。
「ま、上に行きたいっていう情熱もあったから、お前やニコルにはイジメっぽく見えるような言動してたし、見えにくいとは思うけど。 あいつ結構人情」
「ちょ、ちょ、ちょっと待て」
 刺々しく言い募る彼を、強引に止めるアスラン。あァん!? と喧嘩を売らんばかりの態度で振り返ってきた。
「…ディアッカ、お前今何て言った?」
「は? ………あいつ結構人情に厚い」
「いや、その前」
「はぁ? ……イザークと合わないわけだよな」
「その前!」
「…。ふーん、あっそ」
「行き過ぎだ!! ふざけてるのか!」
 まったく、という代わりに短い溜息をつくディアッカ。溜息をつきたいのはこっちのほうだ、とムッとするアスランに。
「キラのことはっきりフッて、スッキリしたんだろ、ってとこかよ」
 険を露にした表情で、ディアッカはリピートして聞かせる。
 それこそが、聞き捨てならない部分だった。
「なんでいきなり俺がキラを振ったことになってるんだ」
 むしろ自分の知らないところで一方的に振られたのはこっちの方だ。言葉で嫌いだとか他に好きな人がいるとか言われたわけではないが、 あの言葉は自分の存在を切り捨てるもの以外のなにものでもない。
 しかしディアッカは怪訝に眉を寄せる。
「なんで、って」
「誰が言った、そんな事」
「お前」
「は?」
「だから。お前が自分で言ったんだろ」
「はぁ!?」
 わけがわからんにも程がある。
 間抜けな顔でフリーズしてしまったアスランに、ディアッカはやれやれと椅子の背もたれに背中を預けた。
「キラのことはもうとっくに終わってるって、お前が言ったんだぜ。アスラン」
「なっ、ちょっと待て! 俺はそんな事を言った覚えはないぞ!!」
「ここまで来て誤魔化すなよ。過去形なんだろ? キラのことは」
「だから!! ああもう、俺がそんなこと言ったなんて、誰が言ったんだそんなこと!!」
「キラだよ」
「はあっ!!?」
 わけがわからんにも程があるというのに。
 だがディアッカは言葉から棘を取り去ろうとしないまま続ける。
「いくら偶然にしたって、あんな状態ん時のキラに聞かせていい言葉じゃねェよな」
「…キラに聞かせて、って…俺は」
「立ち聞きなんかする気なくたって、通りかかったところで自分のこと話されてたら、出て行きにくいだろ」
「え?」
「だからお前には悪気なかったのかもしれないけど、…それがあいつにはとんでもないダメージだったんだよ」
「…ちょ…、だから…」
 どういうことなのかもっとちゃんと説明しろ、と言い募ろうとして、弾かれたように気付く。


 通りかかったところで、自分の話題。
 悪気のない言葉。
 あんな状態のキラ。
 キラのことは過去形。

『…なんでそこでお前が怒るんだ』
『当たり前だ! お前、好きだったってはっきり』
『だった。過去形だ。ちゃんと聞け』


「…………………あれを、聞いたのか…」
 やっと合点がいった、という顔でゆっくりと背もたれに体重を預けるアスランに、もう何度目かの溜息をつくディアッカ。
「…それじゃ………キラは、そこしか聞いてないんだな」
「しか、って。まだ何か言ってたのかよ、お前」
「だから、振られたなんてことになるわけか」
「え?」
 どうせ立ち聞きするなら、もっと先まで聞いていてくれれば良かったのに。

『…もう好きなんて簡単な言葉じゃ済まない』
『……自分の気持ちを抑えてるだけで精一杯なんだ。もし今キラに、………』
『…っ、双子っていう絶対的な絆があるお前にも!! いつの間にかキラと信頼関係を築いてたラクスにまで、嫉妬してるんだ俺は!!』
『わかってる!! わかっていても仕方ないんだ! そのくらい異常なんだ、今の俺のキラへの想いはっ』

 本人に聞かれるのはかなり恥ずかしいが、しかしここまで聞いていてくれれば、振られたなんていう誤解を招かなくて済んだのに。
「…振られた?」
 疑問が浮かぶと同時に、思わず口をついて出た。
 ディアッカはさっきから挙動不審に陥っているアスランを、こいつ大丈夫か、という視線で見守っている。

 キラが振られる、ということは。
 キラが好きな相手に想いを受け入れられなかった、ということ。
 ディアッカは最初、『アスランがキラを振った』という言い方で自分を責めた。
 ということはつまり、その文章を詳しく展開させると、『キラはアスランのことが好きだったけれど、アスランがその想いを受け入れ なかった』となる。

 …それは、つまり。

 つまり、ひょっとして。

 ひょっとして、それを額面通りに受け取ったとしたなら。



「……………ディアッカ」
「…何だよ」
「…まさか………、…キラは………………俺の…ことを………」

 呆然とこちらを見ずに尋ねるアスランに、本日最大の深いため息をつくディアッカ。
 そして、ばんっ、とアスランの背中を叩く。
「いっつ………」
「わかった。わかった、やっとわかりました。………あのな、お前らお互いにとんでもない誤解してるわ。誤解したまま話を進めるなって。 意味なく話ややこしくなるだけだから。…あ〜あ、なんっか、お前見てたらアホらしくなってきたぜ」
「なっ」
「とりあえず、オレから見てお前よりキラのダメージのほうが深いのは確実だと思うから、お前ちゃんとケアしてやれよ? っつーか、 それお前の責任ね」
 ばんばん、と今度は肩を叩いて、立ち上がる。
「おいディアッカ」
「オレがしゃしゃり出られんのはここまで。戦いはまだこれからって時に、馬に蹴られて死にたくないからな」
「は?」
 意味不明な言葉と、悪戯成功直前の様子を見守る悪ガキのような顔を残して、ディアッカはさっさと去って行ってしまった。
 アスランはといえば、呆然とするより他にどうしようもない。

 まさか。
 まさか、そんなことがあるのだろうか。
 ひょっとしたら、キラが自分のことを好きなのかもしれない…なんて。
 だがそうだとしたら、泣きじゃくりながら自分を否定したあの言葉は一体何だったのだ。どう受け取ればいい。
「………、違う」
 キラがディアッカに泣きついているのを見たのは、カガリと例の話をしていた後のことだ。キラが自分の言葉を誤解して傷付き、それで あの言葉が出たのだとしたら、説明がつく。
 …説明は、つくけれど。
 今更そんな都合のいいことが有り得るのだろうか。

 信じてもいいのだろうか。
 キラの心は、知らずの内に自分に向けられていたのだと。

 不意に、その後キラにしてきた行為が、ぶつけた言葉が、一気に甦って来る。
 もしそれが本当だとしたら、誤解とはいえ、キラの気持ちを無視して無理矢理体を奪い続けて来た自分のことを、今のキラはどう思って いるのだろう。
 気持ちのないセックスばかり強要されてきたのだと、そう誤解しているに違いない。…いや、誤解と言えかどうかは怪しい。実際自分は 今まで、キラの体しか求めていなかったのだから。
 傷付けた。
 打ちのめされていたキラを、更に酷い方法で傷付けてしまった。


 今からでも、取り戻せるだろうか。
 アスランはドリンクの容器を握る指にきゅっと力を入れると、その場を立ち去った。



「…あのさ、キラ。………あいつ、大丈夫か?」
「え?」
 M1のOS改良作業を終わらせ、エターナルへ戻ろうとするキラと一緒に通路を進んでいたカガリが、ふとそんな風に話題を切り出して来た。
「あいつ、って?」
「アスランだよ」
 ぎく、と反射的に身が強張った。カガリは一体何を言い出すのだろうと、無意識のうちに緊張してしまう。
「あいつ、エターナル行ってから、犯罪行為に走ったりしてないか?」
「…へ?」
 一気に緊張が緩み、肩の力が抜けた。逆に、カガリの方が急に慌て出した。
「い、いやっ、何て言うか、あいつが犯罪者顔だとか言うつもりじゃなくて、その、えと、…何かしそうでヤバい、みたいな空気とか…」
「???」
 確かに日々されている事はこちらが合意していないのだから強姦であって、ある意味犯罪行為ではあるのだが、しかしカガリの慌てようは なんだか微妙にズレているような気がする。
「…アスランって、艦の中で窃盗でもするつもりだったの?」
「……………いや…えっと………」
 しまった、とカガリは内心冷や汗を滝のように流していた。
 キラと親しくしているだけで銃の照準を合わせそうになる、なんて不穏極まりない台詞を言っていたアスランが、キラと同室で日々 過ごしている。そんなシチュエーションでは、彼の独占欲が暴走したりしていないだろうか、と一瞬心配になってしまったのだが、 どうにも自分はこの手の話をするのが下手すぎる。
「窃盗とかじゃなくてだな………むしろ、殺人?」
「えっ!?」
「い、いや、あの、そうじゃないっ」
 銃の照準合わせられるってことはやっぱブチ殺してやりたいくらい腹が立つってことだよなぁ、とか思いながら口を開いたら、また うっかりな事を口走ってしまった。あー、と頭をガシガシ掻いてしまうカガリ。
「………カガリ…アスランのこと…好きなの?」
「はっ!!?」
 弾かれたように顔を上げると、メンデルを離れて以来ずっとやつれているキラの顔が、優しく微笑んでいた。
「…だから気になる、とか」
「いや、違うぞ。それは本当に違うから」
「あ。なんか焦るあたりあやしい」
「キ、キラ、ほんっとにそういうんじゃないから」
「僕に協力できることならするよ、何でも言って? 二人でMSシミュレーションの練習できるように話つけるとかさ。僕はちゃんと 遠慮するから」
「ややややめてくれ!!! そんなことされたらあたしっ………」
 ………間違いなくアスランにくびり殺される。
 さーっと真っ青になるカガリに、キラはきょとんと首を傾げた。
「?」
「…とにかく、そういうのはほんとにやめてくれ。絶対違うから」
「…? う、うん…?」
 なんだかよくわからないが、カガリが困っているようなのでこれ以上は口を噤むことにするキラであった。

 きっとアスランは、自分をカガリの身代わりにしているのだろう。彼女はオーブの皇族であり、故国再建の旗印なのだ。そういった 立場の違いが弊害となって、アスランを歪ませてしまったのだろう、と。
 ならばカガリもまた彼を想っているのなら、それを彼が知れば、…きっともう終わる。心を伴わない、ただただ身体だけを奪われる夜は。 そして二人は幸せになれる。
 そう考えたキラだったのだが。

「………なんでそういう発想になるんだ…勘弁してくれ………」
 本気で青ざめてそう呟くカガリの様子を見ると、どうやらかなり大きな考え違いがあるらしい。





BACK(under entrance)NEXT
RETURNRETURN TO SEED TOP


UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)
 和解編開始です。さ、ここまできたら両想いになってくれないと!
 とか言いつつ、ここらへんは慌てるカガリが可愛いなぁとか思いながら書いてました。
 最終的には、アスランにとってはディアッカが、キラにとってはカガリがキューピットになってくれそうです。できればミリィにもう 一回出てきてほしいんですが…う〜ん、微妙かも…。