++短編小説「かすみ」後篇++




かすみ

後篇







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 紙風船を買って、祭りの会場になっている桜並木を横へ外れる。
 森林地域に一番近いこの公園には遊具はなく、どちらかというと緑地に近い小さな広場だ。
 一足先に手を洗って、かき氷やラムネのべたべたから解放されるキラ。もたもたしているキラに、すっとアスランがハンカチを差し 出した。
「あ、ありがと」
「ほんっとにキラは不精なんだから…なんでも僕が持ってると思ったら大間違いだぞ? 自分の分は自分で持ってこないと」
 お説教モードに入りながら持っていた林檎飴をキラに渡し、自分も手をゆすぐ。
「わぁかってるよ〜。今日はだって、ポケットなかったから」
「だったらサイドバッグでも持てばいいだろ?」
「やだー。手が塞がってるのキライ。いいじゃんアスランが持ってるんだから」
「だからそこを改めろって言ってるの! まったくもう…」
 と言いながらも、結局またキラの世話を焼いてしまうのだ。
 べたついている指を丁寧にゆすぎながら、惚れた弱みかと小さく溜息をついて、はっと気付く。

 惚れた弱みって、…惚れた!? いやそれは言葉のあやで、そういう意味じゃなくて。

 ぶんぶんと頭を振るアスランに、半分になってきた林檎飴をかじりながら、キラがハンカチを差し出した。
 はっと気付いて蛇口を閉め、自分も返してもらったそれで水気を拭く。
 それをポケットに戻して顔を上げると、キラは飴の中の林檎を器用にくわえたまま紙風船の外袋を破り、早速取り出していた。
 嬉しそうに息を吹き込んでふくらまし、そっと放り投げて遊び出す。
「アスラン、ほらほら」
「え? ああ」
 ふぅわりとこちらへ送られてくる紙風船を、とんっと叩いて戻してやる。
「あーっ、だめだよアスラン、そんな叩いちゃ」
「叩いてないよ」
「叩いてるよー。ほら、空気抜けてるじゃんか」
「そりゃ多少は仕方ないだろ?」
「もーっ」
 右手に半分になった林檎飴を持ったまま、左手だけで紙風船をキャッチ。少しいびつになったそれにもう一度空気を送り込み、そして ふと気付いて下駄を脱いで素足になってしまう。
「キラ?」
「芝生の上は、やっぱ裸足の方が気持ちいいや」
 まったく、と微笑んで、また紙風船を送り合う。

 不意に、ごうっと風が吹いた。
「!」
 驚いて、咄嗟に腕で目をかばうキラ。
「キラ!」
 すぐに傍へかけ寄り、気遣うように肩に手を添えるアスラン。
「大丈夫? 目に何か入った?」
「ううん、びっくりしただけ…ドームの中で突風なんて珍しいね」
「祭りの出店で火を使って、たくさん熱気が出てるから、それでかな」
「あっ、紙風船は!?」
 いきなり顔を上げて、辺りを見まわす。見つけて、駆け出した。
「キラ! そっちは森林区だぞ!」
「知ってるよ!」
 だったら森林区は立入禁止だって事も知ってるだろ、と内心で答えながら、アスランも後を追う。

 突風で飛ばされた紙風船は、そう深くない森の入口で小枝にひっかかっていた。緑の中に渋い昔色の赤が混じれば、すぐに見つけられる。
 よっ、と小さくジャンプして、紙風船を取り戻すキラ。
「あー…破れちゃってる…」
「…戻ってもう一つ買ったらいいよ」
「うん」
 素直に頷いて、公園から祭りの会場へ戻ろうとした時。
「うわっ!!」
「キラ!?」


 木の根に躓いて前のめりになりそうになったキラを受けとめるアスラン。
 咄嗟に手をついて衝撃をやわらげようとしたので、破れた紙風船と半分になった林檎飴は、そのまま地面に落ちてしまった。

 大丈夫? といつものように声をかけようとして、一瞬息が詰まる。
 間近なキラの顔と体温に。

「…び…っくりした…」
 ほぅ、と息をついて、ぎゅっとアスランの服を掴んでしまうキラ。
 そして、はっと顔を上げる。

 二人の視線が交わった。
 ―――――そして生まれる引力。


 言葉が、出せない。
 呼吸をしているのかどうかさえ意識できない。
 ただ、きみの瞳が、僕の心の中心を射抜く。


 見つめ合っていたのは、多分ほんの数秒なんだと思う。でもこのときは、永遠みたいに永い時間に思えた。


 やがて、どちらからともなく、唇に触れた。

 躊躇いがちな、幼い、触れるだけのキス。


「……………甘いね」
「……………うん…」

 キラの唇に残った林檎飴の味が、やけにリアルで。
 アスランは、ぎゅっとキラの体を抱きしめる。
 初めての抱擁に、キラの唇から熱い息がこぼれた。
 耳元に、それを感じて、何かが加速するような感覚を覚える。
 更に強く、折れんばかりにキラを抱き締めた。
「ん…っ」
 鼻から抜ける甘い息。

 再び唇を掬った。
 ぎこちなく、舌を割り入れてみる。
 びくん、とキラの体が震えた。
 思い切ってその中へ一気に入りこむと、…キラの舌と、突然深く触れ合った。
「!!」
 がくん、とキラの膝から力が抜けた。
「あっ」
 急に唇が離れた次の瞬間、キラの体が沈んでしまう。巻き込まれて、アスランもその上に倒れこんだ。

「…」
 上気した顔と、荒い息。
 …どうして、こんなに。
 惹きつけられるのだろう。

「っ! アスランっ…」
 首筋へおとされた唇に、またびくっとキラが震えた。
 鋭敏な感性を持つキラは、その身体の感覚もまた、敏感すぎて。
「…アス…ラ……っ、ちょっと待… ああっ!!」
 するりと胸元の合わせから侵入してきた手が、その素肌の上を滑っただけで、跳ね上がるくらいに反応してしまう。
「…キラ…」
 名を呼ぶアスランの声も、どこか熱を帯びて。
「だっ…、だめ…」
「…いや?」
「……ていうかっ…浴衣、元に戻せない…」
「………いやじゃ、ないんだね?」

 潤んだアメジストの瞳と、熱に揺らぐエメラルドグリーンの瞳が、ふたたび交わる。

 どちらからともなく引き寄せ合い、唇を重ねた。

「…は……ぁっ、んん…! あ…あ…っ…」
 初めて受ける刺激に翻弄されて、声が勝手に上がる。
「…キラ……」
 帯をゆるめて、その胸元を大きく開く。




 突然、ぐいっとその手首を掴まれ、押しどけられてしまう。
「っ、…え?」
 あまりに突拍子もない出来事に、アスランは止まってしまった。


「―――――――離して。アスラン」
 冷たい声。
 聞いた事のない声。
 キラの声と同じだけれど、今のキラより少し低い。
 状況がよくわからず、自分の手首を掴んだ手をまじまじと見てしまう。
 それは見覚えのない、――――――――いや、見覚えは、ある。

 地球軍のパイロットスーツの色。

 はっ、と自分の下で見上げているキラを見る。
 違う。
 キラと同じひとだけれど、違う。
 紫陽花柄の浴衣だったはずの衣服はパイロットスーツにすり代わり、その前が裂けて胸元が現れていた。そして彼の頭の横には、ひび 入って所々砕けたヘルメット。
 確かにキラだけれど。でも今のキラじゃない。

 
「……どいてよ」
 剣呑とした声。
 びく、とつい身を引くと、自分の服も変わっていた。
 ダークレッドの。ザフトの軍服。

「…キラ……」
 所在無く名前を呼ぶと、伏せられていた顔がゆらりとこちらを向いた。
「―――君なんか友達じゃない」

 肺を握り潰されたような気がした。

「友達じゃない。君なんか。ヘリオポリスを壊して、僕の住む場所を奪ったんだから」
「ちっ、違う!! あれは、地球軍のモビルスーツが…」
「そんなの一般市民の僕達が知ってると思うの?」
 いつのまにかアスランとキラは向かい合って立っていた。真っ直ぐに自分を見据え、ほの暗い怒りを静かに伝えるキラが恐ろしかった。
 初めて、キラを恐ろしいと思った。
「っ、…だ、だけどヘリオポリスの人達は脱出できたじゃないか!!」
 別人のような声で責めらるのが辛くて、アスランは必死に食い下がる。
「俺の母にはそんな余裕もなかった!! ユニウスセブンの人達は、避難することもできなかった!! だから俺は…!!」
 ふ、とキラの顔が俯き、視線が落ちる。
「ヘリオポリスの人達に犠牲者が出なかったなんて、君にどうしてわかるの」
「それはっ…」
「脱出できたから、犠牲者が少なかったから、血のバレンタインよりはマシ。だから文句言うなって、そんな勝手なこというつもり じゃないよね」
「…………そ…れは」
「君は、君達はいつも僕の生活を脅かしに来る。…友達だと思ってたのに。ずっと好きだったのに」
「キラ!!」
 いたたまれずにその肩を引くと、ついさっきまで潤んでいたアメジストの瞳は、憎悪を宿した紫紺に変わっていた。
 思わず、身が竦む。
「お前も来い? どうして地球軍にいる? ハッ…よく言うよ。そもそも君がヘリオポリスを攻撃したりしなければ、僕は平和に生活して いられたのに。よくそれでそんな事が言えるよね」
「……………キ……キラ……………」
「お前がニコルを殺した? …そうだね。君の仲間を殺したよ。他にも、沢山。同じコーディネイターを…殺した。………だけど君だって 人殺しじゃないか」
「………っ」
「それとも君にとってナチュラルなんて、殺しても特になんてこともない別の生き物なの? 僕の母さんや父さんもナチュラルなのに?  君のお祖父さんとお祖母さんだってナチュラルなんでしょ? それでも、うっかり踏んで殺しちゃった虫と同じってわけ?」
「………キラ…頼む、もう………」
「僕は好きで人殺しになったんじゃない…。君は自分から軍に志願して、進んで人殺しになったのかもしれない。でも僕は、戦争なんか したくなかった。ただ友達を守りたかっただけなのに、みんなを死なせたくないだけなのに、君達はいつも一方的に攻めて来て、僕を 人殺しにするんだ」
「…めてくれ…」
 耐えきれず、耳を塞ぎ、がくりと膝をつく。
「もう…やめろっ、キラ……!!!」

 くす、と歪んだ笑い声が小さく響いた。
「…何? 辛いの? …やめてよ今更」
 心を抉る、冷たくて鋭い声。だけど。
「僕が血を吐く思いで守ってきたものを、あっさり壊したくせに」
「……」
 キラの語調が変わって、声が震えている。
 …恐る恐る顔を上げた。

 そこに憎しみはなかった。
 ただ深い、深い哀しみだけが瞳から溢れ、流れ落ちる。

「…トールを殺したくせに…」
「……キ…………」
「……僕を、殺したくせに!!」

 はっ、と気付いた時には、もうスキュラを発射する操作を体が勝手に行っていた。

 息を飲む。
 ターゲットカーソルには、キラが固定されている。
 ストライクという鎧もなく、ただ前が破られたパイロットスーツだけをまとった、生身のキラが。



 なめらかなスローモーションのようだった。

 モニターの下のほうから、スキュラのエネルギーの塊が押し出されてきて。

 キラの涙を一瞬で吹き飛ばす。
 パイロットスーツがかき消され、皮膚や筋があっという間に爛れ落ちて、苦しげな顔が熔けて、そして骨が。


「うわあああああああああああ!!!!!」






















 びくん、と。
 体が弾かれて、唐突に天井が飛び込んでくる。

 …紙風船が、天井にひっかかってる?
 ………違う。


 違う。…そうだ。
 ここはアークエンジェル強襲のための潜水母艦。
 あれは紙風船じゃなくて、暗いオレンジ色の電灯だ。

 オーブの捜索隊からザフトへ引き渡されて、戻ってきた。


 無意識に押し詰めていた息を小さく解放し、震える指を見る。

 覚えている。
 自爆コードを迷いなく入力した感触も。
 即座に脱出したことも。
 カガリと、叫び合ったことも。

 そして、あの時のキラの肌の感触も。

 幼い衝動と確かな愛情で求め合った。言葉で確かめたりはしなかったけど、でも確かにあの一瞬、心が重なった。
 触れ合って。
 ぬくもりを伝え合って。



 それなのに、殺した。

 殺した。
 俺が殺した。
 キラを、俺が殺した。



「…………」
 ぽつり、と仮眠用の薄い掛け布団に涙のしみが落ちた。

「……っ…………っく………っ……………」
 嗚咽だけが、小さく響く。





 もう、キラの名は呼ばない。


 『なに? アスラン!』


 どんなに名を呼んでも。
 そう答えてくれる明るい声は、もう聴こえる事はないから。
 もう二度と、永遠に。




ENDLESS END




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