第四十二話 血染烏龍嶺
烏龍嶺の戦では、また血の雨が降った。秦明、顧大嫂、孫立、孫新、張青、阮小二、阮小五と泊軍の犠牲者は跡を絶たない。命を張った孫二娘に助けられ、危うい所を助けられた武松は大乱戦の末に隻手を失うが、遂に方臘を虜にした。阮小七はふざけて方臘の蠎袍を着るが、これを童貫に見咎められる。かくて傷つきながらも功を成した泊軍は帰朝することとなったが、武松は恩賞を願わずに六和寺に残り出家し、李俊らも病気を口実に離れ、また燕青も去っていく。

宋江の本陣と合流し、泊軍は烏龍嶺を搦め手からふたたび攻める。
秦明は一群れの軍馬を率い、先鋒となって突撃をかけたが、敵の縄網に捕まり、矢ぶすまにされた。
網で捕まって
矢をうたれた秦明
顧大嫂は夫の孫新と義兄の孫立と共に次鋒にたったが、南軍の仕掛けた罠に嵌り三人は次々と絶命していく。
かくて両軍乱戦となった中、張青も命を落とす。
この二人は義理とはいえ、本当に息の合った姉弟だった。
孫二娘は渾名のとおり夜叉となって敵兵を切り伏せていく。乱戦の中、武松の頭上に敵の罠が仕掛けてあるのを見つけた孫二娘は、武松を突き飛ばして助けたものの、自らその下敷きとなって息絶えた。武松は敵陣の中を喚きながら斬り進んで行った。

この最後の41、2、3話を泣かずに見られたら水滸ファンじゃないよ・・・

←ここんちの兄弟なんてさ、自分達は竹槍でざくざくになりながら、兄ちゃん二人は腕や足を上げて七ちゃんを支えてたんだよ、ああもううえぇ〜〜
しかし、烏龍嶺には南軍が仕掛けた罠がまだ残っていた。阮家三雄は歩兵を励まし、突撃していったが、一軍もろとも竹槍の仕掛けてあった落とし穴に落ちる。阮小七も皆とともに落とし穴に落ちたが、小二と小五が身を呈して末弟を守ったため、一命を救われた。かくして義兄弟達の屍を重ねながら、烏龍嶺は泊軍の手に落ちた。
泊軍は烏龍嶺から青渓城へ一気に打って出る。方臘は息子の方天定と共に自らこれを迎え撃つ。最後の決戦である。方天定は武松に止めを刺され殺されたが、息子を救おうとして方臘が投げた刀は、武松の片腕を奪った。片手を失った武松は戒刀を捨て、徒手でなお敵に立ち向かっていく。李逵と阮小七は方臘を何合か刀を交えるものの、勝負はつかない。そこに武松が飛び込んで方臘の首を絞め、ついに敵の首魁を捕えることができた。戦い終わった青渓城にぽたぽたと雨が落ちはじめ、敵味方の区別なく流れた血を洗い流していった。 どんな物語の中でも死は悲しいが、水滸の死の悲しさもまた極まる。国や人々の為に戦っているわけではない彼らにとって、死は死でしかなく、何の精神的痛み止めも用意されていない。「彼は国の礎になった」などという都合のいいごまかしはきかないのだ。大切なのはそれ、そこにいる仲間たち。それは友達であり、兄弟であり、身体が別なだけの自分自身である。それが消える。残されたもののおもいは純粋な絶望。泣くかわりに叫び、突っ伏すかわりに剣を取って走る。
童貫は満悦の呈で戦場を見て回った。そんなところに兵士らの笑いさざめく声が聞こえてきた。童貫と宋江がそちらを振り返ると、方臘の蠎袍を着た阮小七が平定冠を刀の先にかけ、ふざけていたのだった。童貫はそれを見て「帰順したとはいえ、まだ蛮性は消えていないと見えるな。」と泊軍を蔑視する。宋江は朱武に命じて直ちに止めさせようとしたが、阮小七は唾を吐き捨て童貫を嘲り、このおふざけを止めようとしなかった。 泊軍にとっては苦戦の末の勝利だが、後から加わった童貫には何の痛みもない、ただの勝利だった。降伏した三千余りの南軍の兵士をすべて斬殺せよと命ずる童貫。処刑の場面に居合わせた宋江はいたたまれなくなって童貫の前に平伏し、敵兵の為に命乞いするが、その願いは聞き入れられなかった。童貫は方臘の檻車を牽いて先に京師へ凱旋していった。
檻車に入れられた方臘と宋江の目が合った。
蔑むように不敵に笑う方臘。
勝ったはずの宋江の方がよほど哀れだった。

残された軍馬は六和寺に陣を張っていた。武松は恩賜を願わず、ここで出家すると言い出す。宋江は武松と一緒に京師へ帰るんだと言って聞かない。それに片腕を失った武松をこんな所に一人置いていけないといって説得するものの、富貴にも栄誉にも興味はない、ここで静かに余生を送りたいという武松の決心は堅かった。
そんな折、外から人馬の喚声が聞こえた。「敵襲だ!!」と叫ぶ声もする。宋江はもとより全員、負傷している武松も刀を取って飛び出したが、これは銭塘江の逆流する音だった。あまりにも大きい自然の力を目の前にして、茫然とする泊軍の将兵。各人の胸に何が去来していたのかはわからない。彼らはただ黙ってそれを見ていた。
翌日泊軍は京師へ進発。
武松はそのさまをずっと見送っていた。
凱旋の途中、李俊は体調がすぐれないからと言って、残留を希望する。
「もし、私を可哀想と思うのなら、童威と童猛を残して下さい。」
と宋江に願い出る李俊。
宋江は李俊の希望を容れ、三人を残し残りの人馬は東京を目指す。
兵馬の群れが小さくなると、李俊はやおら立ち上がった。
恩師を願わない李俊らは仮病を使い、軍列から離れたのだった。
童威と童猛は武器を捨て、三人はどこへともなく立ち去っていった。
朝廷では徽宗の前で宋江らに論功行賞が行なわれていた。
しかし、阮小七は方臘の蠎袍を着たことから恩賞に浴せないばかりか罰せられそうになる。宿元景のとりなしにより阮小七は罪を逃れたものの、恩賞にありつけなかった。
そうして六和寺に本当に
一人で残った武松・・・
そこには魯智深も林冲も、本当に誰も居ないのに・・・
方臘を捕えた時、死んだのかと思ってたのに。
(気絶しただけだったらしい)
でも、ごめんね武松。死んだと思って悲しかった。
生きていると知ってうれしかった。
あんたあのまま死んだ方がよっぽど幸せだって
知りすぎるほど知っているけど・・・
でも死ななくて良かった・・・・・・・うえぇ〜〜・・・・・・・
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