農業情報研究所

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ジンバブエ:迫る飢餓と土地改革

農業情報研究所(WAPIC)

02.8.19

 食糧危機が迫るなか、白人農場の土地を取り上げ、土地無しの黒人に再配分するジンバブエの土地改革が最終段階を迎えている。白人農民が農場を明渡すまでの90日間の猶予期間が8月8日に切れた。しかし、補償なしの立ち退きを命じられた白人農民2900人の3分の2近くが命令を無視している。18日までに147人が逮捕された。政府は今月末までにはこれら全農民を掃討、新たに土地を配分された黒人農家による作付開始を目指している。追い立てられた農民は裁判に望みをかけるしかなくなった。

 しかし、差し迫った食糧危機は回避できるのか。遺伝子組み換え品が含まれるために受け入れを拒否してきた緊急食糧援助については、国連世界食糧計画(WFP)がジンバブエ政府に米国援助コーンを引き渡し、その代わりにジンバブエ政府が同量の国内備蓄コーンを国連機関に引渡すことで問題が決着した。しかし、ジンバブエがそのような備蓄をもっているかどうかも危ぶまれている(ジンバブエ:遺伝子操作コーン紛争終結)。

 食糧不足の原因は、もちろん干ばつにある。ジンバブエは南部アフリカの穀倉地帯をなしてきた。21世紀への入り口、その農業は国民総生産の20%を占め、外貨の40%を稼ぎ出していた。しかし、2001年末の破滅的洪水の後、この1世紀で最悪の干ばつに見舞われている。その上に、ジンバブエの労働年齢成人の3分の1はエイズ・ウィルスに感染しているという。干ばつとエイズはかつての強力な農業を破滅状態に追い込んだ二大要因ということができる。農業生産は、いまや穀物需要の3分の1を満たすにすぎない。年末には深刻な飢餓の発生が予想されている。

 だが、西側世界は、かねて、食糧不足にはこれらの要因だけではなく、人為的要因もあると批判してきた。政府が穀物備蓄を独占しており、白人農地取得計画が農業の崩壊を招いているというのである(アフリカ南部:世界食糧計画、危機的な食糧不足に警告,02.4.27)。西側世界も、土地改革の必要性そのものは否定してこなかった。現在の白人農場は植民地時代に土地を占有した白人の遺産であり、人口の1%を占めるにすぎない白人が広大な肥沃地の70%を占有する一方、人口の半分近くが不毛な土地に追いやられ、生存水準ぎりぎりの小規模経営で生活している。この不公正は、誰が見ても正すべきものであろう。現在の危機の一因が、1980年以来権力の座にあるムガベ大統領が推進する土地改革にあるのは確かである。しかし、この事態を生み出したそもそも原因が、植民地体制下で創り出された不公正な土地配分にあることも確かなことである。現在の「暴力的」改革を批判することは易しい。しかし、それで問題が解決すると考えるのは容易にすぎる。土地改革の歴史を振り返ってみよう。

 ジンバブエにおける土着黒人社会内部での、特に白人植民者と黒人農村住民の間での政治的紛争の源泉は、この国がローデシアと呼ばれていた殖民地化のとき以来、土地をめぐる争いであった。イギリスの植民地支配の下で、また1965年にイギリスからの独立を一方的に宣言した少数派白人政権の下で、白人ローデシア人は広大な肥沃農地を占有、黒人農民は限界的な「部族保留地」に押し込められてきた。

 少数派白人支配は、開放戦争を通して、1980年、イギリス政府仲介の「ランカスター・ハウス協定」とムガベ大統領を勝利に導いた選挙によってで終わりを告げる。しかし、新政府は、独立後10年間は白人ジンバブエ人に特別の保護を与えるというランカスター・ハウス協定の「サンセット条項」に縛られていた。これらの条項により、新政府は強制土地取得を阻まれ、土地取得の際には適切な財産補償を要求された。1990年に協定が期限切れとなると、政府は財産権に関する憲法諸条項を改正、再分配のための強制土地取得が可能になった。土地改革の第一段階とされた1997年末までに、350万haの土地に7万1千の家族が再入植した(目標は16万2千)。

 しかし、このうち優良地に分類される土地は5分の1に満たなかった。残りは限界地あるいは放牧・耕作不適地であった。入植コミュニティはインフラストラクチャーも欠いていた。しかも、元「部族保留地」である「コミュナル・エリア」の人口は急速に増加、百万以上の家族が600万haの痩せた土地でぎりぎりの生活を強いられていた。1999年になっても、700万haの肥沃地は白人が大部分を占める4,500の「コマーシャル・ファーム」の手に握られていた。再分配のために購入された若干の農場は土地無し農民にではなく、政府閣僚や高級官僚に与えられていた。大部分の黒人ジンバブエ人は貧困のどん底に置かれていた。

 この状況下、既に1980年代に始まっていた「草の根」土地占拠が勢いを増す。政府は、時に暴力をもってこれを排除した。この占拠を主導したのが、開放戦争の「戦士」たちであった。彼らが戦争で払った犠牲は、報われること、余りに少なかった。1989年、ジンバブエ開放戦争旧戦士協会(WVA)を結成、援助を迫った。大統領は、1997年、1回払いの援助と生涯にわたる年金支給でこれにに応える。旧戦士と政府が急接近することになった。

 他方、新政府の80年代における世銀からの巨額の借り入れ、1991年の経済構造調整プログラムの受け入れ、1992年と95年の深刻な干ばつは国の経済を危機的状況に追い込んだ。国民の経済・政治改革の要求が高まる。1997年には新憲法を求める全国憲法会議が形成された。1999年には、独立後初めての野党となる「民主的変革運動」(MDC)も結成された。これが権力基盤の強化を求める大統領の現在の土地改革路線につながるのである。補償なしの強制土地取得を定める新憲法が起草され、2000年2月の国民投票で採択された。政府は根本的土地再配分を叫び、WVAが主導する農場占拠を鼓舞することになる。2000年7月には、3000以上の農場を再配分のために取得する「ファスト・トラック」再入植計画が公式に告げられた。

 この間、西側諸国や国際機関も、土地改革の必要性を認め、財政援助を行なってきた。しかし、援助の使途、土地配分について様々な条件が付けられた。1979年から1996年まで、保守政権下にあった旧宗主国・イギリスは販売を望む者からの市場価格での買取に基づく再配分を一貫して支持していた。1997年に労働党政権になると貧困軽減のための開発援助が土地改革支援の基準となるが、土地購入費用の補填はイギリスの責任ではないと拒否する。ムガベ大統領は、カネの支払いは開発援助の問題ではなく「歴史的義務」だと反発してきた。1998年9月に開かれた援助国会議では、法的プロセス・透明性・貧困削減・国の経済的利益との整合性など、土地改革第二段階を律する原則が採択された。しかし、ジンバブエ政府は約束は実施されていないし、白人所有アグリビジネスの新植民地主義的利益を保護するものと非難ている。援助国は相変わらず透明性が欠けているし、会議の原則が守られていないとジンバブエ政府を非難する。2001年10月、EUは、アフリカ・カリブ・太平洋(ACP)諸国との新協定(コトヌー協定)第96条(EU−ACP協力における人権尊重と「良い統治」の基準を定める)に基づく協議をジンバブエ政府と開始、政治的暴力・メディアの自由・司法の独立性・土地不法占拠・2002年大統領選挙の方法を名指しで問題にした。今年2月、ジンバブエ政府がEU選挙監視団を拒否すると、投資凍結・ビザ制限などの制裁を課した。米国も同様の制裁に動いている。5月、選挙を控えて人気回復を狙った大統領は、大部分は白人が経営する5千の大農場の補償なしの収容という手段に訴えた。6月24日以来、2千900の農場が耕作を禁じられた。そして、8月8日には立ち退けという最後通牒が突きつけられた。このようにして現在の事態に至ったわけである。

 このような事態をどう受け止めたらよいのだろうか。法も捻じ曲げる暴力的改革・人権や財産権の侵害を許すことはできないというEUや米国の主張は、我々には非常に受け入れやすいものであろう。独立によりかつて白人を追い出した多くのアフリカ諸国も、いまや経済開発を求めてヨーロッパ人・米国人、かれらの投資を歓迎し、引きつけようとしている。モザンビーク外相は、ジンバブエを追われる白人農民を歓迎すると発言している(Zimbabwean police arrest 147 farmers,FT com,8.19)。まして食糧危機が迫るなか、ジンバブエ政府の行動はアフリカ諸国にさえ「狂気」と映るのかもしれない。しかし、西側諸国には、少なくとも「暴力的」であるが故にこれを非難する資格はないはずである。20年前、ジンバブエの白人農場主を母にもち、ジンバブエ独立後にザンビアに移住した当時11歳のアレクサンドラ・フラーは、母がその土地を争う黒人に加えた「凶暴な攻撃」は、「私が目撃した最も恐ろしいこと」であり、現在見られる小屋の襲撃や闇討ちよりもはるかに「恐ろしく、個人的」なものであったと書いている(The Bitter harvest,Guardian Unlimited,8.17)。古い不公正の記憶は深く流れ、幾世代にもわたり受け継がれる。「現在のジンバブエの反動は、100年以上続いた不公正で横柄なシステムの苦いあと味である」。追い立てられた白人農民が再びこの地で歓迎される日がくるかどうか、時間のみが知っている、というのである。

 深い反省は、むしろ西側に迫られているように思われる。飢餓に瀕しながら受け入れを拒む国々に「遺伝子組み換え(GM)コーン」食糧援助を押し付ける国には、「横柄なシステム」への反省は微塵も見られない。ジンバブエ、モザンビーク、ザンビアは、米国が飢餓を自国バイオテクノロジー産業売り込みのチャンスとして利用しようとしているのではないかと疑っている(Zambia declines GM food aid for its starving,FT com,8.18)。だが、西側世界が「深い反省」に沈むことは永遠にー自然と生態系を破壊し尽くして自らが滅びるときまでーありそうもない。

 (追記:8.218月21日付けの「ニューヨーク・タイムズ」紙によると、ジンバブエ国内の人権活動家・労組・民主化推進団体や他の南部アフリカ諸国政府と共にムガベ政府の孤立化させようと動いてきた米国ブッシュ政府は、白人農民の追い立てが始まったことを受け、この動きを一層強めるという。ヨハネスブルグで開かれる持続可能な発展に関する世界サミットで米国を率いるパウエル国務長官が(ブッシュ大統領の不参加は確定)、ヨーロッパやアフリカのリーダーとジンバブエ問題を討議する。しかし、選挙以来、反対派グループは弱体化している反面、ムガベ大統領は軍と土地無し貧困層の人気を保っており、成果は不確実と言っている。ブルックリン研究所の上級研究者は、米国の批判は、反植民地綱領を掲げるムガベを助けることになるかもしれず、彼を傷つけることはないだろうとも言う(Bush Team Campaigning for Opposition to Mugabe's Rule,The New York Times,8.21)。なお、この世界サミットには米国のバイオテクノロジー産業を代表する圧力グループが乗り込み、遺伝子組み換え食品の安全性を売り込む準備を整えたという(US Ready to Defend Modified Foods,Business Day (Johannesburg),8.20)

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