日本農業新聞「農業者意識調査」―「経営所得安定政策」への期待が高いというが・・・

農業情報研究所(WAPIC)

03.10.31

 1031日付の日本農業新聞に同紙が行なった「全国農業者意識調査」の結果が報告されている。調査は専業農家が6割を占める農業者500人を対象とするものという。

農業者が困っていることでは、「農産物価格の低下」が67.7%、「後継者、担い手不足」が65.8%と最高の比率を示し、次いで「WTO・FTAによる市場開放」、「気象異変による災害」も、それぞれ41.9%、38.5%も高い比率となっている。

 期待する政策では、「担い手への経営所得安定政策」が最高で55.3%、次いで「WTO、FTA協議を通じた輸入増大の抑制」が46.7%と高い。ただし、後者については世代間で大きな差があり、2039歳代では24%にしかならない。この世代では、「安全・安心対策」に期待するものが最も多く(40%超)、次いで「地産地消・食育教育」(40%)、「ほ場整備・機械助成」の順となっている。

 農産物価格低下、後継者・担い手不足、市場開放には一定の関連があるだろうが、これらがもたらす困難を克服する手段として、中高年層は所得安定政策と輸入抑制を最重要視しているのに対し、若い農業者は輸入増大をさして気にせず、所得安定政策を伴う安全・安心の確保や地産地消による消費者との連携の強化や一層の生産コスト削減に活路を見出そうとしているようだ。このような世代間の違いはあるものの、「所得安定政策」への期待が非常に高いことだけは確かである。

 だが、この調査は「所得安定政策」の中味は聞いていないようだ。ただ、日本農業新聞は、「主要政党はマニフェストで、直接支払いなど本格的な所得政策の確立を公約している。農業者の意識調査からも、早期の導入を求めていることは明らかで、選挙後の政権の最重要課題になる」と言う。また、この調査をコメントする某助教授も、「所得政策」の早期確立が必要と述べている。このことからすれば、「所得安定政策」の柱は「直接支払い」と考えられていることがはっきりする。だが、「所得安定」の手段は「直接支払い」に限られない。調査対象の農業者にどう説明されたかわからないので断定はできないが、「所得安定」の手段として価格低下の阻止や労働に見合った報酬を確保できるような価格の安定的確保を考えた農業者はいないのであろうか。若い農業者が消費者との連携に期待する理由の少なくとも一部は、それによる価格安定の確保にあると考えるのは不自然ではない。調査には、そもそも「価格安定」といった質問項目がない。

 同じ日の同紙の「論説」は「直接支払いだけでは困る」と題し、衆院選で各党が直接支払制度の導入を公約しているが、「農業者は厳しい改革の中で自ら工夫して経営を改善し、地域を守ろうとしている。自ら努力するからこそ誇りを持って農業を守ることができるのであり、その支援こそ重要である。直接支払いがすべてではない」、「直接支払いで一定の所得が確保できても、過疎が進むといった皮肉な現象を起こしてはならない」と論じている。まさしく「正論」と思われる。だが、農業が存続するためには、まさに「自ら努力する」ことへの報償がなければならない。その報償が「直接支払い」でないとすれば、それは、まさにその努力に見合った報酬を確保できる「価格」にほかならない。

 もちろん、直接支払いを全面否定するわけにはいかない。一物一価の市場経済においては、自然・地理・経済的条件により生産・経営コストの一定レベルへの低減が不可能であるか、非常に難しい地域や経営にも同一の価格しか保証できない。しかし、こうした経営の存続が他の理由で必要とされる場合がある。この場合には、条件の不利を補償するための直接支払いが正当化されることになる。戦後のフランス左翼は、地域や経営の生産コストに応じて価格を保証する「差別価格」政策を追求した。だが、市場経済がそれを許すはずがない。「差別価格」の代替手段の一つとして導入されたのが、「山岳地域特別補償金」(後にEUレベルで「条件不利地域」補償援助に組み込まれた)である。それは、「山地区域の土壌維持・保全に寄与する農業者のための特別手当」であった。

しかし、この場合にさえ、農業者に納得させるのは簡単なことではなかった。それは自らの努力で道を切り開こうとする農業者の精神を否定するものと受け止められた。基本的には1962年農業基本法補完法で定められたこの援助が実現したのは10年後の1972年であった。このとき、共同市場の設立、グローバリゼーションに伴う乳価の低迷に怒った畜産農民の反乱は、農業経営者連盟(FNSEA)と青年農業者センター(CNJA)の主導権を覆しかねない農業界の混乱を生んでいた。その沈静のために、当時のシラク農相が持ち出したのがこの特別手当であった。彼は、農業者の努力では克服し難い「自然」条件の不利を補うものなのだからと説得、これを「押し付けた」のである。こうして実現した「補償」も、現実には「過疎化」を止められなかった。山地農業者は減り続けた。効果は、せいぜい、その速度を緩めた程度と考えられている。

このような直接支払いを一般化しようとすれば、問題は一層大きくなる。EUが直接支払いを導入しようとしたときに多くの農業者が激しく抵抗したのは、直接支払いの導入は、自らの労働で農業を維持する農業者を否定し、農業者を国に食い扶持を支給される「公務員」、生産行為に無関係な「自然の番人」の地位に貶めるものと考えたからである。CAP改革がもたらした結果と「経営契約(CTE)」によってこのCAP改革を「改革」しようとするフランスの努力については、前に述べたとおりである(日本:農家所得直接補償自由化に耐えられる仕組み?)。CTEは、山地酪農民が毎日目を輝かせて牛を飼い、乳を加工し、販売し、都会人を迎え入れることを可能にした。直接支払いを導入するとしても、それは単なる「所得政策」であってはならない。それは、農業者が農産品と非商品(食品安全、景観等)の生産者として認められ、尊重される希望をもたらすものでなければならない。 

 しかし、現在模索されている直接支払いは「所得政策」でしかない。直接支払いの導入の主張者は、一様にFTAを締結しなければ日本の国益が損なわれる、しかるに厳しい競争から保護され、甘やかされて構造改革、生産性改善を怠ってきた農業者の抵抗によってFTA締結が邪魔されていると言う。この袋小路から脱出するために、農業が低価格でも潰れないように直接支払いを導入すると言うのである。日本農業の労働生産性は外国に負けない成長をしてきた。生産性改善を怠ってきたなどというのは言いがかりにすぎない。それでも多くの農産物輸出国の生産コストにはとても太刀打ちできない構造的制約(特に土地)がある。「低価格」とは、こうした国と対等に競争できる価格なのだから、生産コストを償える価格であるはずがない。だが、直接支払いは、正常な市場価格、直接の生産コストを償う価格では支払われない農業者の特別の働きへの補完的支払いか、経営の経済機能増強のためにこそ支払われるべきものである。そうでなければ、農業者が社会的無益の屈辱的感情を抱くのは避けられないないだろう。

 同時に、単なる「所得政策」としての直接支払いは納税者の側からみても納得がいかないだろう。グローバリゼーションに伴う競争激化で困難をかかえているのは農業者だけではない。破産の危機に瀕する中小企業、賃金が上がらないどころか賃下げの憂き目にあっている労働者・サラリーマンヘの国費による「所得補償」を誰が認めるであろうか。EUの所得補償支払い導入を正当化する論拠として、経済学者はEUによる保証価格引き下げは、この価格を前提に投資をしてきた農業者に対する「契約違反」にあたるという理屈を持ち出した。この場合、補償が認められるのは農業者が投資費用を回収し終えるまでの期間(せいぜい5年間)としていた。このような激変緩和措置としての「所得補償」には理屈があるが、それが永続することになれば、納税者の支持はなくなるであろう。それこそ、フランスがCTEの導入によって、直接支払いを受ける農業者に経済・社会・環境面での積極的貢献を義務付けた理由の一つである。CTEを制定した99年農業基本法の提案理由説明で、当時のルパンセック農相が、「農業のための大きな公的支出は、それが雇用の維持・自然資源の保全・食料の品質の改善に貢献するかぎりでのみ、納税者に持続的に受け入れられる」と述べたことは上掲の記事でも書いておいた。

今必要なのは、なによりも価格政策の復権である。この政策には十分な根拠がある。生産が気象条件に大きく左右され、供給制御が難しく、需要の弾力性も小さい、しかも食料の安定供給は不可欠である、農業がもつこのような本来的特徴は、公的介入による需給調整・価格安定政策を正当化し、有用なものとしてきた。それをなぜ放棄するのか。いまや、世界は輸入コントロールも含めた需給調整メカニズムの復活による価格安定を求め始めている(米国大学研究者、世界のための米国新農業法の青写真)。にもかかわらず、わが国ではそんな言葉は完全に忘れ去られている。今年の異常気象(と中国の穀物輸入の急増)は低迷が続いた穀物価格を急騰させている。このような「異常事態」しか、価値ある政策の見直し・復活の契機とならないのだろうか。そうだとすれば、余りに情けない話である。

農業情報研究所(WAPIC)

グローバリゼーション 食品安全 遺伝子組み換え 狂牛病 農業・農村・食料 環境