魚食への戸惑い

農業情報研究所(WAPIC)

02.12.4

 アフリカ諸国など、世界の多くの地域の夥しい数の人々が飢餓に瀕している。このようなときに、安全性を考えたら何をどう食べたらよいのかなどと悩むのは贅沢なことかもしれない。しかし、飢餓に瀕するアフリカ諸国でさえ、遺伝子組み換え食品の安全性を疑い、米国からの食糧援助を拒んでいる。まして、余りに高価なために、絶滅に瀕するチョウザメからのキャビアを食べようかどうかという話ではない。決して許されない悩みではないし、放置しておいてよい悩みでもないと思う。

 魚食は、心臓病のリスクを減らし・神経組織の発達・認知機能の確立に不可欠な脂肪酸を多量に含むことから、また蛋白質、ビタミン、微量元素の重要な供給源として、とりわけ日本や欧米諸国で推奨されてきた。しかし、魚(や貝類)が棲む水域には、ダイオキシン、水銀などの有害・有毒物質が蓄積しており、特に海中の食物連鎖の頂点に立つ肉食大型魚の体内に高濃度で取り込まれている。何をどう食べたらよいのか、ここにも戸惑いがある。最近、水産物中のダイオキシンや水銀に関するいくつかの新たな知見が現れた。それをみても、戸惑いは増すばかりである。ただ、最近のフランス食品衛生安全機関(AFSSA)の意見は、明確な解答に向けてのひとつのアプローチを示している。

 日本の魚類のダイオキシン濃度

 12月2日付の『朝日新聞』(1面)は、水産庁の調査結果として「脂の乗った魚介類 ダイオキシン高め」と報じている。しかし、中には国が定めた安全基準を上回る魚種もあったが、全体の濃度はそれほど高くなく、水産庁魚場資源課は”「バランスよく食事を取れば健康面の心配はない」と説明している”という。日本では1日当りの耐用摂取量(TDI、一生涯、毎日食べ続けても健康に影響しないと考えられる1日当りの最大摂取量)を体重1s当り4ピコグラム(1兆分の4グラム)と設定しているが、厚生労働省調査(ちょっと古いがー筆者)によれば、日本人が1日に平均して食品や空気から取り込んでいるダイオキシン量は体重1s当り1.5ピコグラム(大部分は魚介からー筆者)だとも解説している。ただ、TDIがこれでよいのかについては疑問がある。EUではこれを2ピコグラムとする動きがある。そうなれば、日本の現状は、この限界ぎりぎりに近づく。よほど「バランスの取れた食事」を取らなければ、この限界は簡単に越えるであろう。ちょっと誤れば、現行基準を越える恐れもある。

 しかし、「バランスの取れた食事」とは、具体的にはどういうことなのか。普通の消費者は悩んでしまうだろう。水産庁の発言をそのまま伝えるだけのマスコミ報道も無責任だが、具体的にどうすればよいのか何も説明しない水産庁の責任は大きい。私事になるが、狂牛病が怖いから牛肉はよほどのことがなければ食べないし(役人や一定の専門家は安心して食べてよいというが、狂牛病の最高権威のノーベル賞学者は一切口にしないという。参照:イギリス:ノーベル賞学者、イギリス人すべてのCJD検査を望む,02.12.3)、豚肉・鶏肉も飼料に混ぜられた抗生剤・抗菌剤が怖いからなるべく食べない。どうしても魚が多くなる。それも、養殖魚は、やはり抗生剤・抗菌剤が怖いから、なるべく天然物を選ぶ。ところが、水産庁調査では、養殖ブリよりもダイオキシン濃度が高い魚はすべて天然魚か輸入魚である。今の食事は、ダイオキシンの観点だけからすれば、完全に「バランス」が崩れているかもしれない。だからといって、どうすればよいのか。今後、しばらくは、毎日食べる魚の魚種と重量を記帳し、今回の水産庁資料を使って、自分がどれほどのダイオキシンを摂取しているのかを計算してみようと思う。答えがみつかるかもしれない。

 関連情報
 英国:ダイオキシン耐容摂取量引き下げを求める動き,01.11.19

 魚に含まれる水銀の心臓への影響

 AFSSAの意見書によれば、水銀は土壌・岩石・湖・河川・海に自然に存在する元素であり、年に2,700トンから6,000トンが地殻から大気中に放出される。これが環境中の水銀の主要供給源であるが、さらに製紙、鉱山採掘、廃棄物や化石燃料の焼却なの人間活動からの生じるものが追加される。非有機物の形では非常に揮発性が高いが、メチル水銀となると非常に有毒で、生体に容易に蓄積される。人間は、主に魚介類からこのメチル水銀を取り込むことになる。

 ところで、25年ほど前、エスキモーの冠状動脈疾患による死亡率がデンマーク人より非常に少ないのは、エスキモーの魚消費が非常に多いからではないかという研究が現れた。以来、心臓の健康と魚食の関係に関する多くの研究が行われ、魚食が既に病気になったものの死亡率を下げる効果は限定されているものの、一定の予防にはなると認められている。欧米では、週に2回程度の魚食が勧告されている。ところが、並行して、体内のメチル水銀のレベルと動脈病のリスクの相関関係を明かにする研究も現れる。つまり、魚食は、魚がメチル水銀を含んでいる以上、動脈病に関して、プラス・マイナスの両方向に働き得るということになった。しかし、これについては、因果関係は確認されていないし、なお確定的結論が出ていないようである。

 最近、メチル水銀を含む魚を食べることによる心臓への健康影響に関する二つの矛盾する研究が発表された。いずれも「ニュー・イングランド医学雑誌」の同一号に発表されたものである(Eliseo Guallar et al,Mercury, Fish Oils, and the Risk of Myocardial Infarction,The New England Journal of Medicine,Volume 347:1747-1754, November 28, 2002, Number 22Kazuko Yoshizawa et al,Mercury and the Risk of Coronary Heart Disease in Men,The New England Journal of Medicine,Volume347:1755-1760,November 28, 2002, Number 22)。片方は、心臓疾患をもつ者の体内水銀レベルが高いことを発見し、片方は体内の水銀レベルと心臓病リスクの明確な関係が認められないという。これではどう対処すべきか、相変わらず分からない。戸惑いは増すばかりだ。

 水銀の妊婦・授乳中婦人・子供への健康影響に関するAFSSAの意見

 この意見は11月22日に公表された(avis relatif à l'évaluation des risques sanitaires liés à l'exposition au mercure des femmes allaitantes et des jeunes enfants)。これは、日本の水俣病・新潟の例、イラクの農薬事件にかかわる諸研究やメチル水銀摂取と心臓病との関連に関する諸研究を参照しつつ、フランス独自の水産物汚染と消費に関するデータを詳細に検討、特に妊婦や子供(胎児)の健康リスクを評価したものである。評価の基準としては、WHOにより定められた週当り暫定耐用許容量=DHTP(メチル水銀=1s当り3.3マイクログラム、総水銀=1s当り5マイクログラム)を用いている。海産物の汚染状況については、1994-2000年の間に収集された野生魚629、養殖魚326のサンプルのデータ、1994ー1998年に収集された貝類1,233のデータが分析された。消費量は年齢別の平均消費量が推定された。これらのデータに基づいて、各年齢層の週当り水銀摂取量が算出された。

 その結果、総水銀、メチル水銀の総摂取量については、すべての年齢層でDHTPを上回り、その率は特に3ー8歳で高かいこと、貝類からの摂取は少なく、それ自体ではDHTPを超えないことが分かった。また、魚種別では、メチル水銀摂取量がDHTPを超えることが多いのは遠洋の肉食魚(ヨーロッパダイ、メカジキ、クロカジキ、サメ、マグロ)で、成人(15歳以上)では4から8%、3ー8歳では30%もDHTPを上回った。

 AFSSAは、こうした結果と魚食のメリット(それ自体についても議論があることを踏まえ)を比較考量、週に2回魚を食べるべきという国家栄養保健プログラムを問題にする正当な科学的根拠はないと結論している。

 ただし、実験または事故のデータで明かにされた胎児の成育中におけるメチル水銀の毒性に対する神経組織の感受性の強さを考慮し、妊婦、授乳中の婦人、子供に対しては、予防的に、ヨーロッパダイ、メカジキ、クロカジキ、サメ、マグロのようなメチル水銀レベルの魚に偏ることなく、多種の魚を食べるように勧めるとしている。