農業情報研究所

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意見:自由貿易協定の根本的見直しを

農業情報研究所(WAPIC)

03.8.25

 メキシコとの自由貿易協定(FTA)交渉が大詰めを迎えている。10月のフォックス・メキシコ大統領訪日までの大筋合意を目指し、農水省も今月末までに関税撤廃品目のリストを示すことを約束したという。農業者団体は、メキシコ側が強い関心をもつ豚肉・小麦・蜂蜜・砂糖などの関税撤廃を拒否するように要求しているが、FTA締結を目指す以上は、その実現は極めて困難だ。農水省もFTA締結自体を阻止するのでないかぎり、農業問題がネックとなってFTA交渉が躓くのは避けねばならないだろう。

 WTOのFTAに関する基準は、原則としては貿易額の「実質的にすべて」を自由化の対象とすることを求めている。FTAは「無差別」を基本原則とするガット/WTOが「貿易促進」に寄与するかぎりで認めた例外的協定なのだから、これは当然のことだ。実際には、「実質的にすべて」というのは「90%以上」という暗黙の了解があると言われ、EUはこの了解に従って関税撤廃例外品目を設ける協定を結んでいる。しかし、この基準を適用しても、農業者団体の要求するすべての品目を例外とすることは不可能である。欧州自由貿易連合(FTA)のように、初期の協定では農産物すべてを例外とし、ガットの異論にもかかわらずこれを追認させた例はある。だが、その後このような協定は生まれていないし、強化されたWTOのFTA審査制度の下でこれが認められる保証はない。この審査制度もWTO加盟国の対立により機能不全に陥っているから、これに乗ずる可能性がまったくないわけではない。しかし、そうなれば日本に対する国際的信用は完全に失われる。とても採用できない外交的選択だ。それでも敢えてこれを選択するとしても、今度は、協定から何の利益も引き出せず、日本企業のみが利益を得る協定にメキシコが同意するはずもない。WTOの基準を歪め、審査を無視し、国際的信用を失墜することも覚悟で交渉を進めるとしても、交渉の成否は相手次第である。

 筆者は農業者団体の要求を批判するつもりはない。だからといって、あくまでFTA締結を目指すのが国の政策として確認されている状況の下では、農水省の動きを批難することもできない。問題は、貿易自由化の手段としてFTAや二国間交渉・協定が世界の主流となってしまっていることにある。そのために、財界、政府関係者、マスコミ界に、世界の潮流に乗り遅れれば企業が多大の損失をこうむり、日本経済の将来にも大きな影響が及ぶという焦燥感が高まっている。それが、日本が堅持してきた多角的交渉・協定(WTO)重視から二国間・地域交渉・協定重視への戦略転換を生んだのだが、農業がネックとなってこの戦略の実現が遅々として進まない。これに対する不満が頂点に達しつつあるのが現状である。8月25日付の”「FTA大競争」に遅れをとるな」と題する日経新聞社説は、WTO自由化交渉では時間がかかり、合意内容も薄いから、二国間で貿易・投資自由化などに関する「内容の濃い」協定を結べば、「グローバル化した企業の活動を促して互いの経済活性化に役立つ」、「ひと握りの人々を手厚く守るために国益を犠牲にしてはならない」と言い、「農産物の市場開放などの難題を乗り越えて協定締結を急ぐ必要がある」と主張する。

 極めて説得力ある主張に見えるかもしれない。しかし、ここに主張されているようなFTAの経済的利益は本当に確認できるのか。FTA締結交渉に先立つ影響評価では、協定により貿易量やGDPが何%増加するとされるのが常である。また、協定がないために大きな損失が生じているといった言い方もよく聞く。しかし、協定締結後にこのような利益があったとは、世界のいかなる研究も確認していないのだ。

 先頃発表されたWTOの2003年貿易報告は、利用可能なデータによれば、多くの地域貿易協定(RTA、FTAはその一形態)について、加盟国間の貿易が拡大したとか、域外よりも急速に拡大したという経験的証拠はないとしている(参照:WTO世界貿易報告、地域貿易協定に懸念,03.8.22)。その大きな理由として、RTAにつきものの「原産地規則」がある。これは、当該商品が協定を適用される協定国で生産されたものであることを確認するための規則であり、域外国の商品が関税撤廃の恩恵に便乗することを防ぐために不可欠な規則である。しかし、製品、原材料、部品、あらゆるものが大量に、頻繁に行き交う時代、域内産でるあることの立証はますます難しくなる。そのために、原産地規則は非常に複雑なものになってきた。取引業者が域内産であることを立証するためのコストは大変なものになり、関税撤廃から得る利益を超えてしまうことが多い。利益を享受するためには、メーカーも立地を変える必要に迫られる。FTAの数が増えれば、この選択もますます難しいものになる。結局、大部分の企業はFTAの利益に与ることを断念してしまう。その利益を享受できるのは、極めて「有能な」ごく一部の企業に限られる。今年、シンガポールと米国がFTAを締結したが、大部分のシンガポール企業は、どうしたらその恩恵に与ることができるのかと戸惑うばかりだ。

 米州開発銀行(IDB)は、主としてラテン・アメリカの最近のRTAを包括的に研究した2002年の研究報告で、過去10年、こうした協定の貿易パターン・世界の福祉・多角的貿易制度に対する影響の大量の研究が現われたが、経験的証拠は限られており、「特恵に基づく貿易障壁の変化の程度とその結果としての二国間貿易量のの変化についてはほとんど何もわからない」と結論している。これも、複雑化し・制限的になる原産地規則が大きな非関税障壁となる可能性が高いと述べている。WTO報告も指摘するように、FTAによって異なる多数の原産地規則や様々な技術・安全・環境・労働基準、様々な規制(知的所有権保護、投資・資本移動規制、サービス規制などを含め)が適用されるようになり、国際貿易は一層複雑で、コストのかかるものになる。企業は相手国ごとに異なる基準・規制に対応せねばならず、ビジネス・コストは増大するばかりだ。

 その上に、多くのRTAの経験は、その締結によって地域格差の拡大や貧富の差の拡大が起き得ることも示している。これについては、「反グローバリゼーション」運動が強調してきたが、先のIDBの研究報告も、それを否定も肯定もせず、その可能性を認め、これを防止するための様々な方策を考究している。少なくとも米国と北米自由貿易協定(NAFTA)を結んだメキシコでは、このような悪影響が甚大で、食うに困った多くのメキシコ人が職を求めて米国への「不法移民」を試み、国境を超えた砂漠地帯で息絶えるという悲劇が頻々と起きている。豚肉自由化でわが国農民がこうむる被害などはるかに越える悲劇を生んでいるのである。RTAの元祖であるEUは、もともとの格差がNAFTAほどには大きくない国々の集まりであるが、それでも統合の深化と拡大に応じて、地域格差を是正し、貧富の差の拡大を防ぐための措置を拡充してきた。そのための予算は、いまやEU予算の半分近くを占める共通農業政策(CAP)予算に匹敵するまでに拡大している。FTA推進論者は、このようなコストは無視するのだろうか。それとも、ついて来れない地域や人々は切り捨てるのみなのか。「ひと握りの人々」のために「国益」を損ねてはならないと。しかし、その「国益」さえ、だれも確認していないのだ。

 今となっては何を言っても無駄であろうが、FTAは、世界の潮流に乗り遅れるのを恐れて急ぐのではなく、このような視点から根本的に見直される必要がある。農業者団体も、自由化例外を求めるだけでなく、このような視点からFTA戦略の根本的見直しを迫るのが本筋と思われる。幸い、WTO事務局がFTA増殖に警報を出したばかりである。事務局のこの警告に従うようにWTO加盟国政府に対して圧力をかけること、そこに市民・農民の役割がある。