農業情報研究所意見・論評2011年12月13日

放射能と食の安全に関する書籍が氾濫 生産者の痛みには気づきもしないのか

 福島原発の事故を境に「放射能と食の安全」に関わる書籍が売れている。1970年創刊の月刊誌「食べもの通信」やNPO法人「食品と暮らしの安全基金」の月刊誌「食品と暮らしの安全」も毎号特集を組み、以前からの固定読者に限られない人からの注文が増えている。一般書籍でも、チェルノブイリ事故後の被災者を支援した医師で長野県松本市長の菅谷(すげのや)昭さんの著書「子どもたちを放射能から守るために」(亜紀書房)は、五月末の発売以来増刷を重ね、発行部数も一万六千部まで増えた。チェルノブイリ事故の被災者に対応したベルラド放射能安全研究所(ベラルーシ)のウラジーミル・バベンコ副所長が原著の「自分と子どもを放射能から守るには」(世界文化社)は九月の発売以来、発行部数は八万部を超えたということだ。

 食の安全 今こそ 関連書籍に脚光:暮らし 東京新聞 11月10日

 私は、読者にも、雑誌編集者にも、出版業者にも文句をつけるつもりはない。「食の安全」への関心が高まるのは決して悪いことではない。ただ、こういう関心の高まりのなかで、この食を作る人々が負った深い傷、恐らくはどんな名医でも癒せない傷に一向に関心が向かないことに日々心を痛めている。新聞も、雑誌も、本も、この問題に目を瞑り続けていることに、怒りさえ覚えるこの頃である。

 「危険性を訴え続けて40年 ”不屈の研究者”」は、「今となっては、食物の汚染は避けようがないのです。しかし、もし私たち日本人が福島や北関東の野菜を食べなければ地域の農業が崩壊してしまいます。同じように漁業も崩壊してしまいます」、「私たちはエネルギーを膨大に使える社会があたかも”豊か”であるかのように思い、地域の農業や漁業を崩壊させてきました。その象徴が原子力だと私は思います。その原子力が事故を起こした現在、さらに農業と漁業を崩壊に追いやってしまえば、事故から何の教訓も汲み取らないことになります」、「子どもと妊婦にはできるだけ安全と分かっているものを食べさせよう。汚染されたものは、放射線に対して鈍感になっている大人や高齢者がたべよう」などと呼び掛けます((小出裕章 『原発のウソ』 扶桑社新書 93-94頁)。[以下、この著者につられ、「です、ます」調に変調します]

 けれども、農家、農民は、彼らが生産する食べものが売れないことだけで苦しんでいるのではありません。仮に米など食べものが売れたとしても、稲わらなどのの汚染作物残滓(これは、さすがの小出氏も食べられないはずです)は、土に戻すことも、家畜の餌にすることも、焼き捨てることもできず、自家の敷地内に山積みにするしかない状況に陥っています。家畜農家の堆肥舎も、行き場を失った汚染堆肥が山積み、今にも溢れんばかりです。汚染農地で作物を作りつづけるかぎり、農家の庭も、野良も、いずれこうした“放射性廃棄物”で埋め尽くされることになるでしょう。

 有機物投入がストップした農地の土壌(これは、気が遠くなるような年月をかけて人びとが作り出した有機物と微生物が織りなす生態系―生命と物質の循環―にほかなりません)は、いずれ死に耐えます。東北、関東だけではない。はるか離れた信州や越後でさえ、この循環が断たれようとしているのです。

  汚染牧草焼却計画示す 一関・大東清掃センター 岩手日日 11.12.11
  
「風評でコメ売れぬ」 汚染稲わら一時保管 栗原の候補地 河北新報 11.12.11
  汚染堆肥 年明けから受け入れ〜一関地方 岩手日日 11.12.8
 
落ち葉の堆肥、安全処分へ 東信などで県が費用負担 信濃毎日新聞 11.12.6
 
中野の汚泥堆肥、基準超セシウム 販売せず処分検討 信濃毎日新聞 11.11.30
 
放射性物質で地元堆肥使えず 土づくりコスト増 福島・JAみちのく安達 「耕畜連携崩壊招く」 除染技術確立急げ 日本農業新聞 11.11.29
 
堆肥の山行き場なし 許容値超の放射性物質 循環型農業に危機 福島民報 11.11.24
  最終処分示されず 汚染稲わら「限界」 日本農業新聞 11.11.24
 堆肥や腐葉土になる落ち葉 放射能汚染で今年は使えず 下野新聞 11.11.21
  基準値内のえさ与えても堆肥は基準値超える可能性
 福島民友 11.11.17
  汚染稲わら保管が暗礁 一関で候補地説明会
 岩手日報 11.11.6
 
汚泥肥料からセシウム検出 新潟日報 11.11.2
 
「堆肥」88点から基準値超えるセシウム検出 福島民友 11.10.28
 
県、堆肥の利用自粛要請解除 秋田さきがけ 11.10.24
 
基準値以下の堆肥埋却処分へ 胎内市、来月にも市有地に 新潟日報 11.9.27
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 「私たち日本人が福島や北関東の野菜を食べなければ地域の農業が崩壊してしまいます」。もうそういう問題ではないでしょう。私たちが食べようが、食べまいが、地域の農業は、いずれ崩壊するでしょう。いや、食べれば食べるほど、それに応じて行き場のない放射性廃棄物が増え、土壌に残存する有機物の消耗も速まり、農業の崩壊も速まる恐れさえあります。

 高濃度汚染地域での農業の継続は、それ自体、非人道的でもあります。前にも書いたように、暫定規制値を超えた玄米が作られた水田の土壌の放射性セシウム濃度は数万ベクレルから20万ベクレルを超える恐れさえあります(福島 放射性セシウム暫定規制値超玄米がさらに 脅かされる食品安全、農業存続、農業者の健康,11.11.29)。そこの空間線量率は、チェルノブイリ事故に伴ってウ クライナ政府が設定した「移住義務」が発生するレベル、毎時0.571マイクロシーベルトをはるかに超えるでしょう。こんなところで野良仕事を続け、舞い上がる土埃を吸いつづければ、小学校などの校庭利用で文部科学省が採用、大顰蹙を買った年間被曝限度、20ミリシーベルトも軽く超える恐れがあります。危険は周辺住民にも及びます。こういうホットスポット、見逃されたホットスポットは、福島に限らず、東北・関東の方々にあるかもしれません。

 そういうところでは、農業の維持ではなく、撤退、移住こそが最善の選択肢とならないでしょうか。新天地での営農と生活の心からの支援、それこそが国と編集者たちの 努めではないでしょうか。「食の安全」のために尽くされる努力の半分でも、生産者が負った深手を癒す努力に振り向けてもらいたいものです。