砂時計
真実
(1)
グラフや数値の並んだモニターとは別のモニター。その操作パネルに向かって、マリューは再び何やら操作をした。そこに現れたのは、
ヒトのDNA立体図。二本の遺伝子が螺旋状になっている、よく知られている図形が、3D映像でゆっくりと回っている。
「…これはキラくんのDNAよ。…普通に検出しただけなら、このまま普通のヒトと変わらないわ」
「…普通のヒトと変わらない、って…」
その微妙な言い回しに、怪訝そうにカガリが反復する。
マリューがキーボードに向かって何やら操作すると、その立体図の隣に別の立体図が現れた。
「これが実際の、キラくんのDNAの姿よ」
マリューの言葉に、一斉にえっという声が上がる。
「…!? な…なんなんですか、これ!」
「既に『DNA』の形から逸脱してるぞ!!」
「これは一体、どういうことなのですか」
一同が驚くのも無理はない。
キラのDNA図だといわれたその立体図は、あまりにも常識からかけ離れていた。
DNAは左巻きの二重螺旋の形をしている。DNAと遺伝子は、厳密にはイコールで繋がるまったく同一のものではなく、DNAのなかの、
ある一種類のタンパク質を作るための情報部分を『遺伝子』と呼ぶ。つまりDNAとは『遺伝子の連続』であるわけだが、全ての情報が
一本のDNAの中に収まっているわけではない。ある程度の長さまでくると一旦切られ、ヒストンというタンパク質に巻きついて更に折り
畳まれて『染色体』となる。
逆から説明すれば、細胞の中にある核、その核の中にある『染色体』を解いてDNAだけを直線状にのばしてやった姿が二重螺旋に
なるのだと、こうなるだろう。
そして、その左巻きに捻れた螺旋をまっすぐ平行になるようにしてやれば、いわばハシゴ状になっていることも分かる。
縦にまっすぐ伸びる二本の柱は、リン酸と、デオキシリボースという糖の一種が。柱と柱を平行に繋ぐ足場は塩基が、それぞれ構成している。
塩基は、アデニン、グアニン、シトシン、チミンの四つの化合物から成っており、アデニンとチミン、又はグアニンとシトシンの
組合せで繋がって、足場を形成している。これ以外の組み合わせになることは無い。
柱はリン酸とデオキシリボースが交互に繋がって出来上がったもので、足場は必ずデオキシリボースと繋がっている。リン酸と塩基が
接合することは有り得ない。
…と、簡単に言えばこういった具合なのだが。
キラの遺伝子だと示されたその立体図は、そこに更にもう一つ。同じ大きさのハシゴとハシゴが直角に交わったような形をしていた。
足場の接合することのない、リン酸の部分。この隙間から、もう一つの『塩基』が『柱』を繋いで、もう一つの『柱』の『リン酸』に
あたる部分の隙間から、塩基が柱を繋いでいる。
しかも、一組のハシゴはヒトのDNAに間違いないのだが、もう一組の『ハシゴ』は、どうもそうではないらしい。
というのも、『DNA』を構成している物質そのものが違うからだ。
DNAはリン酸、デオキシリボース、塩基、大きく分けてこの三つから構成されていることは先に記したが、もう一組の『ハシゴ』の
ほうは、それとは違う未知の物質で構成されているらしい。「unknown」の表示がそれを示している。
更に、その未知のDNAが巻きつくタンパク質も、常人のものとは違っていた。通常はヒストンに巻き付いているはずだが、似ては
いるが別の、これもまた未知の物質によって成されている。形はヒストンよりも一回りくらい小さいようだ。
「こちらが通常の、ヒトとしてのキラくんのDNA。勿論、コーディネイトを施された後のものだけど。問題は、未知のDNAのほうよ」
モニターを指差しながら、マリューがすらすらと説明していく。
「このDNAは、今はプラントに保管されている、『エヴィデンス01』の化石部分から採取されたものなの」
突拍子もない話に、ぽかんと口をあけてしまうサイ。イザークは思いきり眉間にシワを寄せた。
「『エヴィデンス01』に関しては、本当に生物の化石かどうかを怪しむ声もあったようだけど、DNAが…少なくともそれと同じ働きを
する物質が検出された時点で、あれが地球上にある生物に近い存在である事が、一応立証されたことになるわね」
「待って下さい」
そのまま進みそうになっているマリューの話に待ったをかけたのは、ラクス。
「…キラが実際にそのような複雑なDNAを有しているのだとすれば、今まで人間の形態を取っていられたことさえ、わたくしには疑問ですわ」
これが『キラの本当のDNA』だというのなら、キラがヒトとしてここに存在しているわけがない。だから信憑性がないと、そう
含ませての発言。
別物のDNAが混じった時点で、それは『ヒトを構成するための遺伝情報を持つDNA』とは言えないのではないか、という疑問だ。
「生物はそれぞれ、皆染色体の数が違うはずです。キラのDNAと『エヴィデンス01』のDNAを融合させることは、染色体の数が一致
していなければ無理なのではありませんか? 染色体の数の違う受精卵は、着床しないと聞きます。…それとも…ヒトとエヴィデンスの
染色体の数が…同じだったのですか?」
ヒトは二十三対四十六本、犬は三十九対七十八本、…というように、染色体は生命体の種類ごとに数が違う。
無理矢理遺伝子を融合させる、いわば化学キメラのような発想。そんなDNAが『DNA』としての機能を果たせるのかどうかも疑問な
上、そもそもやり方があまりにもムチャクチャすぎる。
だが。
「………そうよ」
「!!」
冷静に答えたマリューに、ラクスの表情が強張る。
「キラくんのDNAに『エヴィデンスDNA』を組み込もうという発想は、染色体…いえ、正確には、『エヴィデンス01』の持つ染色体
らしき物体の数が、ヒトの染色体の数と一致したからこそ出てきたらしいわ」
あの、クジラに羽がはえたような―――バルトフェルドはクジラには見えないとの意見だったようだが―――化石の生き物が、人間と
同じ染色体数だったというのか。
見るからに人間とは違う生物であるはずなのに?
…そこまで研究が進んでいて何故発表されなかったかということも謎だ。
「…では、あれは人間だったということでしょうか?」
「それは早計じゃないかしら。DNAを構成している物質そのものが、未知の物質なのよ。必ずしも人間のDNAと同じように作用する
とは限らないような気もするけど…とにかく、私は専門じゃないから、資料を元にした憶測でしか、ものを言えないわ」
モニター下部のコンピューターを操作して、ディスクを取り出すマリュー。
「それは?」
「…ムウが残した資料写真のアルバム…。その写真の後ろに隠されていた、キラくんの資料データのコピーよ。どうやらこれはごく一部で、
本体はこちらの部屋の中に残っているようだけど」
マリューの言葉に、エリカ・シモンズが頷く。
「この場所のことも、扉のロックを開くパスワードも、すべて写真の下に記されていたわ」
「………」
メンデルを脱出した時のキラの涙を思い出し、複雑な表情になってしまうラクス。マリューはそのディスクをコンピューターに戻し、
話を続ける。
「この資料によれば、キラくんの性別が変化したのは、そのこととは直接関係ないところで起こったホルモンの異常が原因らしいわ」
「ホルモン異常?」
「性染色体がXYなら男性になり、XXなら女性になるわね。ところが、胎児の段階でその情報が上手く働かなくて、女性ホルモンと
男性ホルモンのバランスが逆転してしまったようなの。実際、遺伝子的には男性なのに実際の肉体は女性だとか、その逆、あと…両性具有、
無性別。そういうケースは彼以外にも実在するそうだから…」
「…その点はありえない話ではありませんわね。胎内から取り出された時点で、カガリさんとは環境が変わってしまった上、キラには
コーディネイトが施された。そして『エヴィデンス01』のDNAも、融合されたのでしょう? カガリさんに起きなかったことがキラの
ほうだけに起こっても、確かにそれは、不思議ではありません」
「ええ。…コーディネイターが、そういう障害を起こすというのが、逆に私には不思議だったけど…」
「コーディネイターだからといって、全てが完璧というわけではありませんもの。アスランも、アレルギーをお持ちでしたわよね?」
「えっ?」
非現実的な話を、もうどこかぼんやりした表情で聞いていたアスランが、突然自分に話を振られて弾かれたようにラクスを振り返る。
「以前、青魚でじんましんが出ると伺いましたわ」
「………ええ…確かに、それは…」
『エヴィデンス01』の話からいきなりアレルギー。なんだか話が飛びすぎのような気がする。
だが、大抵の病気に罹らないよう強化されている第二世代コーディネイターの自分に、なぜアレルギーがあるんだろうと、そう疑問に
思っていたことは確かだ。
それは確かなのだが…何故今ここでそんな話になるのか、アスランにはよくわからない。
「…ちょ…ちょっと待ってくれよ」
そして、この話に疑問を抱いている人物がもう一人。
「…何の話だよ、これは」
訴えるサイの声が震える。
「一体何の! 誰の話をしてるんですか!! 艦長!」
「……………」
「あんたたちもあんたたちだ!! なんでそんな、冷静に話してられるんだよ! ……キラのことだろ!? どっかの実験動物の話
じゃない、キラの話だろ!? なんでなんだよ!! なんでそんな、普通に話してられるんだよ!!」
「―――キラのことだからですわ」
静かに、ラクスが答える。
サイは、はっと顔を上げた。
「あなたの仰りたいことはわかります。でもそうやって騒いでも、真実は見えません。それに、これがキラの現実だというのなら………
厳しくとも受け止めたい」
「…」
「彼のすべてを知って…そしてキラが目覚めたとき、あなたという存在のすべてが愛しいのだと…そう、伝えたいのです」
「……ラクス………」
思わずアスランの唇から彼女の名が零れた。
………いつも、彼女の強さには驚かされる。その毅然とした姿勢にも。