砂時計
再会
(3)
そのままシャトルに乗り込み、メンデルへ向かった。相続したザラ家の資産は殆ど整理してしまったが、ラクスの秘書であると同時に
「英雄」であるアスランは知名度も高く、その存在の重要さもあって、年収は相当な額になる。そのため、簡単に自分のシャトルを持つ
ことができた。おかげで誰にも咎められることなく、誰も巻き込むことなく、キラの元へ向かうことができる。
到着直前になってから、マリューへ通信を入れる。
「アスラン・ザラです。キラに会いに来ました」
『え、ええっ!?』
慌てるマリューに、にっこり笑いかけて。
「キラがディアッカやイザークと会ったという話を聞いたので、元気になったのなら、と思いまして」
『ちょ、ちょっと待ってアスランくん、キラくんはまだ…』
「今、遺伝子研究所の前に着陸するところです。すぐに向かいますから」
『なっ、……』
あっけにとられるマリューを置いて通信を切り、言葉通り研究所前へシャトルを着陸させて。
そのまま遺伝子研究所へ入っていく。
薄暗かった研究所は、照明が増設されたのか電力が回復したのか、以前訪れた時に比べとても明るい。
しかし奥へ向かえば向かうほど、暗い部屋が増えてくる。
以前サイがあっけにとられていた胎児のポッド群も健在で、相変わらずデータだけが取られ続けている。この部屋もやはり薄暗いままだ。
だが、構わず奥へ。…キラのもとへ。
キラが産まれた部屋の前に、マリューが立っていた。
「………こちらから連絡すると言ったはずよ」
「すみません。けど、俺は真っ先に逢いたかったですよ」
ふぅ、と溜息を落として、扉の前から退く。
「あなたが来たって言ったら、キラくんも覚悟を決めたみたい。…奥の部屋に」
「ありがとうございます」
「多分大丈夫だと思うけど、一応これ」
そのまま扉を通ろうとしたアスランの腕を掴み、手の中に何かを渡された。
「は?」
それは音楽用ヘッドホンのような形をしていた。…というより、他に用途が思いつかない。
「頭痛が起こるようなら、それで耳を塞いで。ああ、サングラスは持ってる?」
「え? い、いえ…」
「ならこれ。…似合うかしら…」
すっと胸元から、彼女の私物らしきサングラスが差し出され、目の前に翳される。
「…う〜ん…まあ、緊急事態だもの。多少は仕方ないわね」
どうやら彼女の審美眼的には不合格ラインらしい。ヘッドホンを持たされた手の中にそのサングラスを追加される。
「……あの……」
「ほら。どうぞ」
ぽん、と背中を叩かれて、中へ促された。
…………ヘッドホンに、サングラス。
…………一体、何に使うのか。
『エヴィデンスDNA』による変異で、何か…起こっているのだろうか。けれど、ディアッカもイザークも普通に会ってきたようだし、
いや、しかしそういえばリハビリとか言っていたような。
あれこれ考えていてもどうしようもない。
とにかく、キラに会いたい。
アスランは、キラの産まれた部屋へ入って行った。
キラが胎児の時代を育ったポッド。扉が隠されていた壁は、今は仕掛けが解除されているのか、奥の部屋への扉がすんなりと見えている。
…操作パネルのオープンサイン部に触れると、当然のように扉が開いた。
部屋の中は以前から一変していた。
部屋中がプラネタリウムになったように薄暗く、人工的に再生された月の光が優しく室内を照らしている。
そんな中。
部屋の中央のベッドに、純白の天使が座っていた。
いや、座っていた、というのとは違う。
座っているように見えるが、実際にベッドに体は触れていない。
四、五センチ程浮いている。
ふわりと空中に浮いているのだ。
まっしろな体。
何の衣服も纏っていない。体そのものが、まっしろに淡く光っている。その光はとても目に優しくて、眩しいとは感じない。むしろ、
じっと見つめていたいほど。
背中からは羽根の骨組みだけが突き出していて、蝶の羽のような…それでいてビニールのような、不思議な質感の半透明の羽根が
カーテンのように降りていた。時折その内を電流が走るような現象が起こる。
晒されている裸身には乳首のような凹凸はなく、産毛すら見当たらない。綺麗にニスを塗ったかのようにすべらかな肌。女性体になって
胸が膨らんだという様子もない。だが、男性というわけでもなかった。その肉体は、全くの無性別。
髪の毛の一本一本がほんのりと発光していて、風も無いのにふわりとたゆたっていた。
こちらを振り返ったその顔。
目鼻立ちは変わらない。けれど、眼球そのものが紫色に変化していて、本当に球状のアメジストを一対はめ込んだかのよう。
にっこりと微笑んで。
口を開いて。
『アスラン』
クゥゥゥ――ン
耳に届くのは、イルカの鳴き声のような音波。
言葉は、頭に直接響く。
「………キラ?」
『うん。僕…キラ・ヤマトだよ』
キィィ―ッ キュ―――――ゥン
そっと、そうっと歩み寄って。
手を差し伸べて、…触れようとした指が、ぴくりと止まる。
触れなくてもわかる。………肌の質感も、違う。発光しているためか、ほんのりとした温もりが指先に感じられてくる。
涙が。
溢れる。
「……生きて…生きてるんだな、キラ。……間違い無く、キラなんだな」
『うん。僕…確かに生きてるよ。…だから…泣かないで…』
キュ―――ゥゥゥ―… キュ―――ン クゥ―――ゥゥゥ
優しく微笑むキラ。
………涙が、止まらない。
囚われたようにキラを見つめ、ただ涙を流し続けてしまう。
抱き締めたい。そして、彼の命のぬくもりを確かめたい。
けれどできなかった。
触れれば、崩れてしまいそうな気がしたから。
…抱き締めれば、壊れてしまいそうだったから。
キラが異形になったのが悲しいのか、それとも生き返ってくれたのが嬉しいのか、もうわからない。
キラはただ穏やかに、優しく微笑んでアスランを見つめる。
アスランは流れる涙も拭わずに、キラを見つめる。
二人はそのまま、時を忘れたように見つめ合っていた。