砂時計
再会
(4)
すっと立ち上がったキラは、しかしやはり足が地に付いていなかった。床から五〜六センチくらいのところで、ふわふわ浮いている。
『このままだと足が退化していって、指がなくなっちゃうかもしれないんだって』
どうやらあの超音波のような音は、アスランと突然逢うことになって緊張したキラのコントロールミスらしく、今は頭に声が直接響くだけ。
「というより…これだともう、足は必要なさそうだけどな…」
『うん、オリジナルの「エヴィデンス」には、足はなかったから。でもほら、僕って元々人間だし。そういうところは残るみたい』
冷静に自分のことを語るキラ。…逆に心配になる。
顔に出たのだろうか。キラはクスッと優しく微笑んだ。
『ねえ、ヒビキ博士ってひょっとして、自然発生したコーディネイターだったのかもしれないよ』
「え?」
『それとも僕達みたいに「SEEDを持つもの」だったのかもしれない。だって信じられないくらい頭いいんだもん』
「…ああ…確かに、ナチュラル離れしてるとは思うけど」
『コーディネイトの研究や人口子宮も成功させて、しかも自分が趣味でやってた「エヴィデンス01」の研究をあそこまで進めて、だもん。
絶対普通じゃないよ、あの人の頭の中』
「キーラ。その言い方」
『わかってるけどさ。だってそれくらい凄いんだもん』
クスクス笑うキラに、アスランも自然と微笑みが浮かぶ。
こうやって話していると、まるっきり変わらない。
昔のキラと。…再会してからのキラとも。
一度死んで、生まれ変わって、異形になったなんてこと…忘れてしまいそう。
目の前の存在は、明らかにもう『人類』とは呼べないのに。
『…「エヴィデンス」が宇宙を巡ることのできる不老の生命体だって知って…研究を発表することは、放棄したみたい。大騒ぎに
なっちゃうからね』
「……実の娘には組み込んだのに、か?」
さっきからキラはヒビキ博士を称賛するような態度だが、アスランにはそれはできない。いや、アスランはむしろ、糾弾すべき人物では
ないかと考えている。
確かに彼のDNA操作のおかげでキラは一命を取りとめたのかもしれないが、…だが、その操作のせいで命を落としたことも事実なのだから。
こんなことをしていいのだろうか。
博士の生命倫理観は一体どうなっていたのだろう。
コーディネイターも似た理由から排斥運動を受けたが、…だが、それとこれとは話が違う。
産まれて来る我が子を健康に。どんな親だって当たり前に願うことだ。…それが始まりであり、最初の夢。宇宙に出る云々以前に、
コーディネイトの根底にあったのはその部分のはずだと、アスランは考える。それはいわば遺伝子治療を発展させた発想であり、本来なら
親の理想どおりの子供を『造る』手段ではなかったはずだと。
そう。最終的に、どんなに凄まじい技術であろうと、それを利用する人間の心のほうが問題になる。同じ核エネルギーが大量虐殺を
起こす兵器にもなれば、それを阻み守る力にもなるように。
利用する人間。…ユーレン・ヒビキ博士の心は、謎としか言いようがない。
ニ種類の生物のDNAを強引に融合させるなんて。
ただ、実現させる方法を見つけ出したというだけで。ただそれが、夢であるからというだけで。
これでは、「そうしたいから」「できるから」というだけでプラントに核を撃ったアズラエルと変わらないではないか。
しかもそれを、自分の実の娘に施すなんて。比較対象とするために双子の妹をナチュラルのまま残すというのも、非道な話だ。
そんなアスランの思いを察したのか、それともまた顔に出ていたのか。キラは少し淋しげに笑った。
『………きっとね……頭がよすぎちゃったんだよ。…世間に出したら大変な大騒ぎになる。自分の子供を最高の存在にしたい。自分の子供
だから自然のまま伸び伸びと育ってほしい。…全部、博士の本音。…日記読んだんだ。それもやっぱり、データで残ってて。…博士は
カガリのこと、ちゃんと愛してた。…僕のほうが…むしろ、複雑だったみたい』
「…キラ」
もういい、と含ませた言葉。
だが、キラは大丈夫だからとばかりに小さく微笑む。
『僕を操作して、「エヴィデンスDNA」を組み込んで、人工子宮に入れて…成功するって確信してからは、なんかもう、完全に狂っちゃっ
てたみたいだよ。周りから見たら、普通に見えたらしくて、だから誰も…気に掛けたりしなかったみたいだけど…。それがかえって、
奥さん…っていうか、お母さん? には、辛かったみたい』
「キラ」
『っていうか。ねえアスラン、今外はどうなってるの?』
唐突に話を変えられ、アスランは一瞬ぽかんとしてしまう。
『ディアッカ達からそんなに詳しく聞かなかったから、よく分かんなくてさ。ラクスが議長になって、君がその秘書になって、それから、
ディアッカがミリィと暮らしてることは聞いたんだけど。サイやノイマンさん達がどうしてるか、知らない? バルトフェルドさんは
元気にしてる?』
「え、……あ、ああ。…バルトフェルドさんは、エターナルを率いて活動してるよ。テロの鎮圧とかね。ザフトに戻ってくれって声もある
けど、今のところ乗り気じゃないそうだ」
『そうなんだ。…元気?』
「ああ」
気が付けば会話はキラのペース。だからいつも課題のことを思い出させるのはアスランの役目。
今日もやっぱり、気付けばキラのペース。
議長としてのラクスの手腕、それを支えるバルトフェルドとカナーバの力。オーブ再興のために走りまわっているカガリ、それを支える
ノイマン達。そして、オノゴロで地道に働くディアッカとミリアリア、サイ。
「…イザークと、会ったんだって?」
『……うん…。デュエルの、パイロットだったんだよね。…ニコルさんのことも、聞いたよ。ピアノがすごく上手だったこととか…色々。
…アスランとは、しなかったでしょ、結局…そういう話。僕はブリッツのパイロットのことを君に聞かなかったし、君も、トールのことを
僕に聞かなかった』
「……そうだな」
お互い傷に触れないように。
…ああ、確かにイザークの言うとおりかもしれないと、ディアッカの家で会った彼の言葉を思い出す。キラに対しては必ず防衛線を
引いているという、あの言葉を。
『…真っ直ぐだよね、イザークって』
難しい顔になって黙ったアスランに、気を取りなおしたキラの声が響く。
「真っ直ぐ?」
『うん。…シャトルを落としたこと、ブリッツの…ニコルさんのこと、アラスカのこと、ジェネシスのこと…。全部ひっくるめて、お互い
一発ずつ殴って終わりにしよう。だって』
えっ、とアスランの口がぱっくり開く。
『真っ直ぐで、自分に嘘つけなくて、なんていうか…、やんちゃ?』
「………殴ったのか?」
『ううん。マリューさんに止められて、握手に変更になった』
ああ良かった、とホッとするアスラン。
しかし、この状態のキラを殴ろうとするなんて、信じられない。
今にも脆い音を立てて壊れてしまいそうなのに。
目を閉じれば、その間に消えてしまいそうなのに。
ほのかに発光する体。その光は暖かくて優しいけれど、とてもとても儚くて。…しっかり抱き締めてその存在を繋ぎとめたいのに、
腕の中で壊れてしまいそうだからそれもできない。