砂時計
決心
(3)
『……ほら、ね。アスラン』
悟ったような声が、相変わらず頭に響く。
『僕はこんなことまでできるようになってしまったんだ。…僕が調べられて、そのシステムが解明されたら、また誰かの野心に火をつけて
しまう。ここのデータが流出するようなことがあれば、それを利用』
「そんなことはどうでもいい!!!」
怒りに満ちた声が激しく響く。それはキラの声を跳ね返し、目の前の膜をびくんと震わせた。まるでキラ自身が、アスランの怒号に
怯んだように。
「そんなことが問題じゃない!! キラ!!」
『…ア…アスラン…』
「お前はそれでいいのか!?」
ぴくっ、とまた膜が震える。
「そんなことが、本当にお前の望みなのか!?」
『…それで世界が平和であるなら、僕は』
「そんなことどうでもいい!!」
沢山の犠牲の上にやっと手に入れた平和だということは分かっている。今もそれを乱そうとする連中がいて、それを抑えなければ維持
できない脆い平和だということもわかっている。喪われてきた命のためにも、この平和を守らなければならない。それも、分かっている。
…でも。
「どうでもいいんだ、キラ!! そこに生きる人々が幸せでなければ、戦争がなくなったって意味がない!!」
『……アスラン……』
「ニコルが、ミゲルが、お前の友達が守りたかった平和は、そこに生きる人達が苦しみながらただ生きていくだけの何も無い平和じゃない
はずだ!! 違うか、キラ!! お前は今、その道を選ぼうとしているんだぞ!!」
『ぼ、僕は…』
「俺達が守りたかったのは、そんなふうに誰かを犠牲にしなければ得られない平和じゃないだろう!! 敵と味方に別れて争って、殺し
合って、沢山の人を犠牲にして、…それしか道の無い世界をどうにかするために…幸せに生きられる世の中にするために戦ってきたんじゃ
なかったのか!!」
「…アスランくん………」
青臭い正論だ。…マリューに言わせれば、それはとても青臭い正論でしかない。
だが、まだ若い彼だからこそ、それを高らかに叫べるのだろう。
自分達のような大人は、それはただの理想だと、世の中はそんなに都合良くいくものではないと納得して諦め、キラをこのまま置いて
行くだろう。世界の平和のために。世界が平和であり続けるために。
今の、キラの存在。
それは新たな争いの火種になる可能性を高く持つと共に、パニックを起こす引き金であることも確かだ。外宇宙に『エヴィデンス』
のような生命体が実在すると分かれば、調査だの何だのと大騒ぎになるだろう。丁度、ジョージ・グレンがくじら石を持ち戻った時のように。
不老不死の秘密を探ろうと、キラを狙う者も現れるだろう。
世界を平和に、今の秩序を恒久に。そう望むのなら、このままでいい。キラ一人が犠牲になることで人々が平和でいられるのなら。
ナチュラルとコーディネイターの歩み寄りが初めて成功しようとしている今、それを乱すものに出てきてもらっては困る。
……………それが賢明だろう。
二度に渡って喪う絶望を知り、諦めることを覚えたマリュー。彼女一人なら、キラの言葉を受け入れ、仕方がないと諦めて、そのまま
ここを去っていたかもしれない。
だが、ここにはアスランがいる。
アスランの若い叫びが、簡単に諦めることを許さない。
アスランは諦めない。
たとえ世界と関わることが出来ない身であるとしても、それでもキラは生きているのだ。
生きるもの総てに平和と幸福を。愛する人を戦場に送らずにすむ平和を。愛する人と共に生きてゆける世界を。
生きるもの、総てに。…ならばキラの幸福を願ってもいいはずだ。キラもまた、生きているのだから。
……そして、自分も望みを叶えたいと願っていいはずだ。
「たった一つの願いも叶えられないような世界で、何が平和だ!!」
ドン、と壁に拳を叩きつける。
「人一人幸せになれないような世界が、本当に俺達の望んだ平和だと言えるのか!! 答えろ!! キラ!!」
『………………言ってることがメチャクチャだよ、アスラン』
アスランの突然の怒りに驚いていた様子のキラだったが、そろそろ落ち付きを取り戻してきたようだ。頭に響く声が穏やかなことが、
それを示している。
『平和っていうのは、簡単に壊れてしまうもので、みんなが協力し合わないと守れない。そうでしょう? …僕も、僕にできる協力を
しようって、それだけのことだよ』
「それが本当にお前の望みか!!」
『うん。そうだよ』
「…だったら! 俺の望みはどうなる!!」
今度は、両手を膜に打ち付ける。
「カガリの、ラクスの望みは!! お前に幸せになってほしい、お前と一緒にいたい、俺達のその願いはどうなる!!」
『……気持ちは嬉しいけど…。こればっかりは、仕方がないよ』
「…仕方ない…だと…!?」
俺達が戦い合ってきたのも仕方なかった。ニコルを殺されたのも、キラの友達を殺したのも仕方なかった。俺がキラを殺したことも
仕方なかった。アラスカのことも、パマナのことも、オーブのことも、全部全部、仕方がなかった。
―――――そんなのは嫌だ。
そう思ったから、それを変えようとして、戦ってきたんじゃなかったのか。
それなのに、また仕方ないと言って諦めるのか。
キラの言っていることは一見世界のための正論だが、それは自分達がしてきたことを全て否定することで。
アスランには、許せなかった。
膜に打ちつけた両手を開き、てのひらでぐっと膜を押す。
『…アスラン、やめて、無駄だから』
「いやだ」
『アスラン!』
「今言ったこと全部!! 俺の眼を見て言ってみろ!!」
『!』
ぎくっと怯むキラ。その心がダイレクトに影響するのか、膜の表面が緩み、そのなかに手首までずぶりとめり込んだ。
『ぅあ…っ!!』
それがキラに何らかの反動を与えたらしく、苦しげな声が二人の脳裏に響いた。
「! キラくん!!」
慌てるマリューだが、彼の名を呼ぶ以外どうしようもない。
「俺は引かない。キラ、お前がこれを消すまで動かない」
『ア…スラ……っ』
言葉どおり、アスランは膜を突き抜けようと力を込める。
『!! …く…っ』
それに逆らう力がかかる。
だが、アスランの手を弾き出すには到らない。
彼はただただ、キラのことしか考えていなかった。何の迷いもなく、ただキラのもとへ辿りつくことだけを。
キラのことだけを。
『……や…めてよ…っ!!』
どろり、と膜が揺らぐ。
その隙をついて突き抜けようとすれば、再び強度を戻して。
マリューはただ、少しずつアスランの腕が膜の中へめり込んでいく様子を見守ることしか出来なかった。
キラ。
キラ。
『…いやだ…』
キラ。
お前の傍に行きたい。
お前をこのまま独りになんて、絶対にさせない。
俺は今度こそ、お前の傍にいたい。
『…めて……聞きたくな……ぃっ』
耳を塞いでも、頭を抱えても、ダイレクトにアスランのこころが流れこんでくる。
そして、キラの武装した心を融かしてゆく。
キラ、俺はお前だけが―――――――
『………やめてよぉぉぉ!!!』
ぱぁん、と何かが弾けた。
はっと顔を上げ、研究所内の様子に感覚を集中させる。案の定バリアーの膜は破れ、アスランは走り出していた。
まっすぐに、自分の元へと。