砂時計
決心
(4)
何度めかのロックをこじ開けて、息を切らせたアスランは再び、人工の月光が満ちる部屋へと現れた。
キラはベッドに座って、部屋に入ってくるアスランを、視線を合わせないようにしながら複雑な表情で見ていた。
が、すぐにふいっと顔を背ける。同時に、アスランの背後で扉が閉まった。
つかつかと歩み寄り、背けた顔を覗き込むように回り込む。
「さっきの言葉、俺の眼を見て言ってみろ」
『……………』
本気で怒った時のアスランの低い声。
キラは視線を落としたまま、彼と顔を合わせようとしない。
「独りで生きる? 忘れろ? …世界のため?」
『…そうだよ。世界を平和に。…それが僕の願いだから。…だからもう、僕のことは放っといて』
「……勝手にさせろ、ってことか」
『そうだよ』
抱き締めたら壊れそうなキラ。
だが、どうしても離れたいというのなら。
いっそこの腕の中で壊れればいい。
『っ…!!』
ばしっ、と背中の羽の中で激しく火花が散った。
突然抱き締められて、キラが驚き、身を竦ませているのがわかる。
『…ア…アスラン、何す…離して…っ』
アスランはキラの声に答えない。
殊更強くぎゅっと抱き締めると、今度は乱暴に手首を掴んで、ベッドへ押し倒す。
『!』
嫌でも目の前に現れるアスランの顔。
目と目が交わって、離れない。
「……お前が勝手にするって言うなら、俺も勝手にする」
『…な…』
「お前が勝手に独りになるって言うなら、俺も勝手にお前の傍にいる」
『…何それ、ムチャクチャ…! は、離してよ』
掴まれた手首を動かそうとするが、アスランに押さえられた腕はびくともしない。
「俺はお前の傍にいる。独りにはさせない」
『アスラン!! だめだ、君もこんなところで篭ってしまっていい人じゃない! それにカガリだって』
「構わない!!」
びりびりと響くアスランの声。
「…お前の傍にいられるなら、何を犠牲にしたっていい。もう決めたんだ」
『……っ!!』
アメジストの瞳から、ふわりと光る涙が溢れる。
『…や…めてよ…!! 僕は…独りでいなくちゃいけない、だから君は帰らなきゃ…!!』
「お前にそんなことができるもんか。…いっつも独りになるのが嫌で、すぐ俺を捕まえてたくせに」
『!!』
かあっとキラの頬の光りがほのかに赤く染まる。
その様子に、理屈を考えるよりも先に体が反応していた。
キラの唇に、自分の唇をそっと重ねる。
キラだけが絶対唯一。
キラだけが、俺の世界の中心。
ずっとお前の傍にいたいんだ。お前を離したくないんだ。
キラ、お前のことだけを――――――――愛しているんだ。
ずっとずっと、親友として大切に想ってきた。
けれどもう、それだけじゃ足りない。
例えもとの姿に戻ったとしても………本当は女性になるはずだったことを知ってしまった。
もう、親友だけじゃ足りない。
アスランの心が、唇から、手首から、触れた部分から伝わってくる。反応するように、淡く光っていた体が、ぱあっと輝きを増して。
彼は口付けをしたまま、手首を解放する代わりに、キラの体を再び抱き締めた。
『…やめてよ』
頭に響く、泣きそうな声。
はっとして唇を離し、キラを見る。
アメジストの瞳からぽろぽろと光る涙をこぼして、苦しそうに表情を歪ませていた。
『…やめてよ…そういう事…言わないでよ』
「………キラ」
『何で突然そんなこと言うんだよ! 僕が元々女になるはずだったってわかったから!? それじゃカガリはどうなるんだよ!! 無理
なんだよそんなこと!! アスランだって分かってるんだろ!?』
「…キラ…」
突然激昂し始めたキラに、今度はアスランが戸惑う。
『ずっと傍になんて、そんなのできっこない!! ………どうしたって君は僕より先に死んでしまうじゃないか!!』
はっ、とアスランの顔色が変わる。
「…キラ………」
キラを見つめるアスラン。逆にキラは、顔を背けた。
『君が死んでも、僕は…!! 僕が無限に近い寿命を持つことになるって…聞いたんだろ!?』
「………ああ」
けれど、あまりにも非現実的すぎて、ピンと来ていなかった。こうして非現実的な姿を現実に現したキラを見ても、アスランの中では
うまく噛み合わなくて。
…いや。そうじゃないかもしれない。
忘れていたかっただけなのかもしれない。
いずれ嫌でもアスランだけが年老いて、死んでゆく。キラを独り残して。
一緒にいれば、それを見ているしかない。
そうやって置き去られてゆく。
…だから自分から別れを選んだのか。いずれ自分を置いていってしまうのなら、と。
『…僕だって、君と一緒に生きたかった』
声と共に、胸を締め付けられるような痛みが流れ込んでくる。
『ちゃんと女の子として産まれて来ていれば、フレイのことも…今よりもっと違ったかもしれない。こんな結果にはならなかったかも
しれない。…君とも…今とは違う関係になってたかもしれない…。…僕だって何度も何度も考えたよ…!』
「……キラ…」
『だけど!! …どうしようもないじゃないか! 僕は男として産まれてきたし、君の友達を殺して、フレイを守れなくて、こうやって
変わってしまった!!』
アスランにはキラの痛みは分からない。今も、コーディネイターとして、人類としてここにいるから。
けれど、同じように。
「……………それでも俺はお前の傍にいたい」
アスランの痛みも、キラには分からない。
いずれはキラを置いて逝かなければならない。まだ何十年も未来の話だけれど、でも確実にその時はくる。…けれど、その前にキラが
消えないという確証はどこにある?
『エヴィデンスDNA』だけを機能させることで辛うじて命を取り留めたとはいえ、そもそもキラが命を落とした原因もそのDNA
なのだ。キラの体の中でまた変化が始まり、それが命に関わるような反応を起こしたりしたら。…そんな不安も消えたわけではない。
不安は、誰にだってある。
その大小など、本人以外に誰が決められる?
「俺だって怖いさ。………だけど逃げたくない」
『………』
「お前を想う気持ちを誤魔化して逃げて、そうやって後から後悔するのはもう嫌なんだ」
『……けど…僕はこんなで……出ていったら、パニックに…』
「…そうだな」
『……………アスランを巻き込みたくないから、だから……』
綺麗な涙を拭って、アスランはクスと微笑む。
「つまり、俺がお前と一緒に残るって言い出すと思ったんだな?」
『!』
かあっ、とまた頬に朱が差す。
「当たったじゃないか」
『っ、こんな時にふざけないでよ!』
「ふざけてなんかない」
するりと頬に触れ、間近で見つめ合って。
「俺のすべては、お前が中心なんだ。キラ」
顔を紅くしたまま、ぽろぽろと涙は零れ続ける。
『…いい加減…弟離れしなよ……』
「僕の方が五ヶ月年上、じゃなかったのか」
『だから…こんな時にふざけないでって…』
自分のように、口から言葉が出ているわけではないけれど。
それでもキラの言葉を止めるように、唇を重ねる。
言葉にできない思いは、想いのまま、触れ合った部分からお互いに流れ出してゆく。
愛してる。
傍にいたい。
愛してる。
本当は、傍にいたい。
キラの能力は、アスランの想いを自然に汲み取ってゆく。
アスランの心にまでキラの心が届くのは、それもキラの能力だろうか。
嘘も建前も、全部透きとおして、その奥にある本音だけをさらけ出す。
―――――きみのことを、愛していると。