SHADE AND DARKNESS
eight
「Nephilim」
(3)
ぎょっとしたのはイザーク達も同じだった。
キラの話をしていたはずなのに、なぜ突然アスランとラクスの結婚の話にすりかわってしまったのだろう。
「さあ、参りましょう」
だが、ラクスはそんなイザーク達の疑問の視線をものともせずに立ち上がり、アスランの隣へやってくる。
彼はまだ呆けたまま、目の焦点だけをラクスに合わせ、全自動フォーカスのように首を振るだけ。
「旦那様がいらっしゃらなければ、お式のことが決められませんわ」
「…………ちょ、ちょっと待って下さい、キラの話がまだ」
「これ以上、何かお話しする必要がありますか」
ニコルの言葉を遮ったラクスの鋭い言葉に、誰もがぐっと喉を詰まらせた。
キラの今の状態。それは見た。
キラがこれからどうなるのか。それも聞いた。家族と共に治療施設に入ると。
では、どこへ?
……………それを知る権利が、自分達にあるのか。
追い詰めたアスランにも、それに手を貸したイザーク達にも。
知れば近付きたくなる。
近付けば、顔を見たくなる。
顔を見れば、声をかけ話がしたくなる。
話をすれば、せめて初対面を装って一から信頼関係を築きたいとまた会いたくなる。
「……『記憶のカタマリ』を消したと言っても、人の脳はハードディスクじゃない」
セドリック医師が静かに語る。
「例え消えたと思っていても、何かの拍子に思い出さないとも限らない」
だから。
これ以上の不用意な刺激は避けなければならない。
つまり。
「……二度と……………キラに、会うなと…?」
呆然とした表情で、呟くように尋ねるアスラン。
セドリックは厳しい表情で、ゆっくりと頷いた。
「………君達もね」
「…え」
不意に話を振られて、僅かに上体をひいてしまうディアッカ。
「君達にも、キラの行き先は知らせないから、そのつもりで」
「……………」
悔しげに眉を歪ませるイザークと、それが当然の判断だろうと苦しげに俯くニコル。ディアッカは表情を読まれることを嫌ったのか、
咄嗟に俯きながら顔を背けた。
「…さあ、アスラン。呆けている時間はありませんわよ。お式まで、そう時間はないのですから」
するりとアスランの腕に自分の腕を絡ませると、彼を椅子から立たせるラクス。
「セドリック先生。あとはよろしくお願い致します」
「ええ、勿論」
「それでは皆様、お先に失礼致しますわね」
にこっと妖精の微笑みを向けて、ラクスはまだ呆然としているアスランをなかば引っ張るようにして出ていく。
イザーク達は、その光景をやはり呆然と見送るしかできなかった。
「既にお父様方が手回しはされていたそうですから、式場や来賓のことはお父様達にお任せいたしましょう。あなたのお父様からも、
それはこちらで手配するから口を出すなと釘をさされましたわ」
クライン家の車の中。
ずるずると引っ張られ、後部座席に放り込まれ、ラクスと向かい合って、車が走り出して。
それでもアスランの意識は、キラのことだけに占められている。
もう、会えない。…会ってはいけない。キラのために。
キラのために。
そして、その隙間に侵入してくる、呪いのような現実。
ラクスと結婚?
キラではなく、ラクスと?
キラがいなくなってしまうのに、それなのに、結婚?
…呆けた意識のなかでぐるぐると、キラとラクスのことが順繰りに回る。
「問題はドレスやケーキですわね。大急ぎで用意して頂かなくてはいけませんわ。それに、レノアお母様の墓前にも、ご挨拶に伺わなくては」
亡き母、レノアの名前にも反応しない。
ラクスは、すっと表情を引き締める。
「アスラン」
今までと全く違う厳しい声に、ハッと顔が上がる。
そうして、やっとラクスの顔を認識するアスラン。
「…………ラクス」
「わたくしとあなたが結婚するということがどういうことか、おわかりになりますわね」
「………どういう……って……」
平和の歌姫と勝利の英雄。
それは約束された希望であり、既に婚約という形で世間に知らされていたはずだ。
「あなたもわたくしも、今まで以上に公人であることが求められるようになります。特にあなたは、いずれは議長の椅子に座ると目されて
いる方ですもの。その動向は否が応でも注目されますわ」
「……」
「それから、あなたと正式に結婚する前に、一つ申し上げておきたいことがあります」
「………」
一体何を言い出すのだろうと、アスランはぼんやり表情を歪める。…もう、あまり彼女の言葉は聞きたくない。
「わたくしはあなたの監視者になるために、このお話を受諾致しました」
「…監視?」
眉を寄せたアスランに、笑みの消えた顔でしっかりと頷く。
「何故、何を、とは…ご説明する必要もありませんわね」
「………………」
キラのことを調べないように。
キラの行く先を知ることのないように。
二度と、キラに会うことのないように。
「……戦争という時代にあっては、様々な悲劇が起こります。歴史を学べば自ずとわかるはずなのに、人は繰り返してしまう………。
今回のアークエンジェルクルーの方達の処刑を、後世の人々がどう判断するかはわかりません。それは後世の人々が歴史として捉えれば
いいことです。けれど、今生きているキラには、すべてを仕組み手を下したあなたの口から、伝える義務があった。…違いますか。
それともそれを義務と思うのは、わたくしの私情でしかありませんか」
「………………」
「聞けば、彼女をずっと眠らせ、ベッドに縛りつけていたのは、あなた一人の意志によるものだったそうではありませんか」
ふ、と自嘲の形に顔が歪む。
アスランは表向き、『キラは友達だと信じていたアークエンジェルクルーに騙されていた事を知りショックを受け、その心労で倒れて
しまったために休養を取らせている』、ということにしていた。それはイザーク達やラクスに対しても同じだった。世間にもそう発表
されているため、キラに対する風当たりは弱く、むしろ同情的な意見が多い。これはアスランの狙いどおりの効果だった。
当然ラクスはアスランのその報告を虚偽であると見抜いていた。だが、アークエンジェルクルーの処刑にショックを受けたために静養
しているのだと解釈し、迂闊にもそれをアスランや主治医に確認しないままキラの回復を待っていたのだ。
あの時、自分がもっとキラに近付けば。今はそっとしておこうなどと考えず、歌を歌って心を休めてやろうと行動を起こしていれば。
どうにもならなかったかもしれないが、どうにかなったかもしれない。
ラクスにはそれが悔やまれてならない。
睡眠薬で眠らせ続けるというキラの処遇に関して、セドリックは始めは反対した。だが、キラが余計な事を言い出さない内にクルーを
処分してしまおうと判断したザラ議長からの圧力によって、セドリックの反対は押し潰されてしまった。
議長の情報操作もあって、結果キラは「ナチュラルに利用された悲劇のパイロット」と祭り上げられてしまった。それはアスランに
とっても予想外で、不必要にキラを注目させてしまうことになったが、とにかくキラが裏切り者であるという誤解は解けたのだからよしと
して放置していた。キラが意識を戻した時、彼女にとってマイナスになることはないだろう、と。
その時は、キラは被害者でナチュラルは加害者だと信じて疑わなかったから。
「…………そんなことまで、聞いたんですか」
「ええ。率直に申し上げて見損ないました」
「っ、あなたに何がわかるんです!!」
思わずアスランは叫んでいた。運転手が、一瞬びくっと振り返りそうになる勢いで。
「俺は!! ………俺は……………!!!」
ただキラに傍にいてほしかった。
ただキラにわかってほしかった。
ただキラをこの腕の中に取り戻したかった。
それだけだった。本当に、ただそれだけだったのだ。
一体、どこで間違えた?
「………とにかく。わたくしの望みは、キラの幸せです」
「……俺だって同じです……!!」
彼女が幸せになると信じて疑わなかった。
コーディネイターなのだから。愛し合っているのだから。
だから、これが彼女を解放し幸福へ導くことなのだと。
「けれどあなたは間違えました」
ああ、どうしてこの歌姫はいちいち真実を突いてくるのだろう。
正しい。彼女は圧倒的に正しすぎて、だから今は聞きたくない。
「…………それを責めても…キラが戻って来るわけではありません。そして、失われた命が戻ることもありません」
「………………」
「ですから、今度は間違えないように。わたくしがあなたを見張ります。二度とキラの心を壊しにいけないように」
「…………………」
「ですからあなたも、わたくしを監視して下さいませ。わたくしが、あなたの目を盗んで、キラに会いにいけないように」
え、と小さく顔を上げる。…エレカに乗ってから初めて、彼女の顔をまっすぐに見られたのかもしれない。
ラクスは僅かに、辛そうに目元を歪めていた。
「………会えないのです。わたくしも………。わたくしもまた、あなたと同じ。キラがアークエンジェルを思い出すきっかけになるかも
しれない存在……」
「………え……?」
キラから全てを奪ったのは、俺なのに。何の関係もないラクスまで、面会を禁じられているというのか?
「わたくしもまた、失われた記憶へと連なる存在ですから」
「……」
そうか。
ラクスのことを思い出せば、アークエンジェルのこと、ストライクのこと、ヘリオポリスのこと、オーブのこと、と…連鎖的に思い出す
可能性がある、ということか。
ならば、条件は同じ。
互いに互いを監視するための、結婚……ということか。
「…………………それが………いいかもしれませんね…………」
また、キラを壊してしまうくらいなら。
死ぬまでキラに逢えないことが、キラに忘れられたまま思い出されずにいることが、彼女のなかの自分の存在を消されたままでいることが。
彼女を壊した、俺への罰。
一筋、涙が零れた。
ラクスはそれを責めるでもなく、受けとめるでもなく、癒すでもなく、ただ見つめる。
ふ、と視線をアスランから外して、歌を歌い始めた。
キラが美しいと褒めてくれた、あの時と同じ歌を。
UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)
久しぶりの更新となりました。
自分で「すっきりしない終わり方」って宣言しておきながら、自分でちょっとしんどくなってきた(←をい!!)部分もありますが。
とか言いつつ、そろそろゴールが見えてきました。
やっぱり辿り着く先はハッピーエンドにはならないと思います。