SHADE AND DARKNESS
nine
「水の証」
(2)
キラに逢えることは、素直に嬉しい。
だが、嬉し過ぎて、逆に恐ろしくもある。
何も知らないキラを、この腕の中に抱きすくめてしまうかもしれない。
力の限り、愛しさの限りを込めて、抱き締めてしまいそうな自分が、恐ろしい。
ザフト・ニューミレニアム。
これは、現在アスランが代表して指揮を執り、最高評議会が進めている複合連動プロジェクトの名称だ。このプロジェクトの元に、
兵器開発部門ではザクシリーズやインパルス、ガイア、カオス、アビスといった新型のモビルスーツが開発され、住環境整備部門では
新たなプラントの建造が進められている。
今回ラクスがコンサートを開くのは、新たに建造されたプラント群『ヘブンズパレス』の完成記念イベント。
『ヘブンズパレス』は、ひとつのプラント群の中に、住居・農業・魚介類養殖・軍事・多目的等、様々な役割に特化したプラントを
バランス良く取り入れる、というコンセプトの元に計画建造された、最も新しい市である。従来十基で一つの市と制定していた枠組を取り
払ったヘブンズパレス市のプラントは、基番号ではなく一つ一つに独立した名前が付けられていることも特徴の一つだ。
ラクスがコンサートを開くのは、プラント群の中心部に位置する、ヘブンズパレス市アナスタシアプラント。書類上は多目的プラントと
されているが、実際は最新鋭設備を供えたコンサートドームや局部的天候操作が可能なリゾート施設等が揃っており、誘致パンフレット
には堂々と観光プラントと記されている。
やはり詳しくは知ることができなかったが、驚異的な速度で回復・成長してきたキラは、既に三年ほど前に施設を出ていたらしい。
その頃には既にプラント主導で地球圏の紛争平定やテロ撲滅が進んでおり、一部ブルーコスモスに傾倒する者達の反発はあるものの、
地球圏にも宇宙にも一応の平和がもたらされていたため、ヤマト家はキラのために、地球のあちこちをゆっくりと旅して回っていたのだ
そうだ。四季ある国で様々な草花に触れ、雪国でウィンタースポーツに励み、動物と触れ合い、草原を駆けて、キラはのびのびと新しい
人格を育てていった。
そろそろキラの社会復帰を真剣に考えなければ、という丁度その時、このニューミレニアムによる新造プラント群建設計画が一般に発表
された。予想を裏切って一方的な負け戦になったショックのせいか、地球連合はプラント議会の終戦プランに大人しく従っており、血の
バレンタインに対する贖罪宣言も発布している。そのおかげでナチュラルに対するコーディネイターからの風当たりは比較的穏やかになり、
第一世代のコーディネイターを二親等内に含むナチュラルに対しては、申請すればプラントへの居住権を認められるようになった。
こういった追い風を受けて、ヤマト家はひとまずここに新たな住居を構えることに決めた。
詳しい住所までは知らされなかったし、知ってしまえば追いたくなるとアスランやラクスも敢えて調べずにいるが、現在ヤマト一家は
ヘブンズパレス市内に住んでおり、キラはハイスクールに通っているとのこと。
ニューミレニアムをきっかけにあちこちから集まってきた多種多様な人々と触れ合い、キラは更に順調に成長を続ける一方で、もはや
消えた過去を思い出すことも、思い出そうとすることすらなくなっていた。アスランの姿を見ても、ラクスの歌を聴いても、特別な反応は
何もない。だからこそカリダやハルマも、アスランの息が掛かっているこのヘブンズパレス市に住むことを考えたのだろう。
セドリック医師の助言も得て決めたとはいえ不安を残す両親の心配をよそに、ラクスの大ファンになったキラは、近くにラクスが来ると
知るやいなやコンサートチケットを取って来たばかりか、楽屋で本人に直接花束を贈呈できる権利にもさっさと応募して、事情を知らない
コンサートスタッフによる厳正な抽選の結果、見事当選した、というわけだ。
長くなってしまったが、これが今回、アスランとキラが巡り会える運びとなった経緯である。
「あら、今日はご主人様もご一緒ですか? 本当に仲がよろしいんですね」
ノックと共に入室してきたラクスのマネージャーが、楽屋で隣り合って座るアスランをみつけて会釈する。
苦笑にならないように微笑して、アスランも小さく会釈を返した。自分達は仲の良い夫婦だと、そう世間に認識されていることに安心
すべきところなのかもしれないが、素直に喜べるところでもない。
「ラクス様、そろそろ花束贈呈の方達を通してもよろしいですか?」
「ええ。わたくしはいつでも構いませんわ」
にっこりと微笑み返すと、では、とマネージャーは段取りのためにまた楽屋を出る。
いよいよだ。
いよいよ、キラに逢える。
「大丈夫ですわ。アスラン」
ぎゅっと握った手をもう片方の手で握り締めるアスランに、隣からそっとラクスが微笑みかける。
「もしもあなたがキラに不埒なことをなさろうものなら、わたくしが全力でお止めして差し上げますから」
「ハロッ、ハロッ。アスラン、セクハラ! セクハラ! オンナズキ! オマエ、エロエロ〜! ムッツリスケベ〜!!」
「…」
ぴょんぴょんと跳ねるピンクのハロが、とんでもない単語を並べ立てる。この歌姫はまたえらい言葉を登録してくれたものだ。
…ひょっとして全力で止めるというのは、このピンクハロから色情魔扱いされることを指すのだろうか。
ぷっ、と笑ってしまって、力んでいた手を緩める。
「…そんな止められかたは困ります。というか、あなただって困るんじゃないですか。あらぬ噂が立ったりしたら」
「では、困らせないで下さいませ」
クスクス微笑みながら、跳ねて来たピンクハロを手の中にキャッチするラクス。
「…それと」
「まだ何か、ハロに仕掛けが?」
「いえ。…逆の時には、止めて下さいね。アスラン」
「えっ?」
彼女の顔から笑みが消えた。
それはつまり、ラクスがキラに対して余計なことを言いそうになったり、歌姫とファンを越えた言動を取りそうになってしまった時には、
止めてほしい…ということ。
セドリックによれば、ここまで反応がなければ記憶は完全に消えていると考えていい、もう大丈夫だろう…という話だったが、それでも
やはり深く関わることは好ましくないだろう、とも言われた。何かの拍子に、何かのきっかけで、消えたはずの記憶が復活するかも
しれないという可能性は、まったくのゼロにはなっていないのだから。
だから二人とも、生まれ変わったキラに会うのは今日で最初で最後。次またどこかで、なんていう約束をしてはいけない。メール
アドレスも、住所も、聞き出そうとしてはいけない。
お互いがお互いを監視し合う、そのための結婚だった筈だ。
だからお互いがお互いを制止し合うのは当然の務め。
「………わかりました」
アスランが答えてから、二分ほどして、ぎこちないノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
「し、失礼します!」
穏やかにラクスが答えると、扉の向こうから、緊張した様子の若い女の子の声が返って来た。キラのものではない。
扉が開く。最初に目に飛び込んできたのは、快活そうな短い赤髪の少女。スポーティーな中にも女の子らしさを忘れない、なかなかの
おしゃれさんだ。後ろには同じ髪色だがロングヘアで、ツインテールにした少女の姿もある。
するりと人影をよけて、マネージャーが室内に入ってきた。
「楽屋訪問と花束贈呈に当選した方達です。偶然ですけど、みなさん女の子ですわ。ラクス様」
「そうですか」
にこりといつものロイヤルスマイルを浮かべるラクス。アスランも不自然でない程度の社交的な微笑を浮かべる。…いつもなら、
もう意識しなくてもできるはずのことが、今日に限って妙に緊張してしまう。
「さ、どうぞ」
「あ、はいっ」
マネージャーに促され、部屋に入って来る赤髪ショートの少女。続いてツインテールの少女も入って来る。
「失礼しま…キャッ、アスラン様もいる!!」
「ちょっとメイリン、失礼でしょ!! 初めまして、ルナマリア・ホークであります!」
花束を片手で持って、敬礼してくるショートの少女。…彼女はザフトの所属なのだろうか。
「やだっ、お姉ちゃんやめてよ、今日は軍の仕事で来たんじゃないでしょ! 恥ずかしいなぁ、もう…。あの、メイリン・ホークです。
お招きありがとうございます」
「初めまして。ラクス・ザラ・クラインですわ」
「アスラン・ザラです。君達はザフトの?」
「はい! ニューミレニアムプロジェクト傘下、戦艦ミネルバ所属でありま…いえ、所属です」
「公務の一部とはいえ、俺も今日はプライヴェートのつもりだから。あまり緊張しないで」
「そうですわ。どうぞ、お楽になさって」
「はいっ!!」
憧れのセレブカップルから声をかけられ、大興奮の二人。恐らく姉妹なのだろう。
キャッキャッと盛り上がる二人。だが、後続が来ない。
「…あれ? キラは?」
何気なくルナマリアが呼んだ名に、どきん、と鼓動が高鳴る。
「キラぁ! ほら、早くおいでよォ」
「だ、だって、なんか緊張しちゃって…」
キラの声。
懐かしい、キラの声。全く変わっていない。
「んもう、ほら!」
「わっっ、ちょっと待ってってば、メイリン!!」
よいしょ、とメイリンに引っ張られて、さらりと長いマロンブラウンの髪が流れる。
白い花を基調にして束ねられた花束で顔を隠していたが、それを今度はルナマリアにむんずと掴まれる。彼女はそのまま、問答無用で
花束を下げようとし始めた。
「ちょちょ、ちょっ、ルナ待って、花が!」
「もう、肝心なときにそんなでどうすんのよあんたは! ほら、ちゃんと自己紹介して!」
ルナマリアという少女がちゃきちゃきと場を仕切り始める。彼女は世話好きな性分なのだろうか。どうやらキラとホーク姉妹とは、
かなり親しい様子。
やがて観念したキラが、ひょこっと顔を覗かせ、それから花束を下げた。
「え、えっと…キラ・ヤマトです。初めまして」
はにかむように、綻ぶ表情。
大人っぽくなった顔立ちとのギャップが魅力的な、可愛らしい心からの笑顔。
「――――――初めまして……キラ、さん」
「…初めまして。ようこそおいで下さいました」
アスランに続いてラクスが、胸がいっぱいになってくるのをなんとか堪えて、初対面を装った挨拶を返した。
UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)
一体どんだけ執筆に詰まっていたのかがバレバレです(冷汗)
しかも(1)のツブヤキでつぶやいてた事をかなりひっくり返しています。ごめんなさい。
…ああでも、ホーク姉妹が出てきてくれたおかげでちょっと助かったところもあります。
やはりジメジメした終わりになりそうですが、しかし何とかこれで最後まで行けそうな気がしてきました。頑張ります。