SHADE AND DARKNESS
nine
「水の証」
(3)
「では皆さん、こちらにこう並んで」
きびきびとマネージャーが指示を出す。楽屋とはいえラクスは政府お抱えと言っても差し支えないVIPだ。部屋はくつろげるよう、
広くゆったりとしていた。そんな部屋の中で、テーブルの横に三人の少女が並んだ。
「ラクス様はこちらに。皆さんは順番に花束をラクス様にお渡しして下さい。その後、ラクス様から握手を返して下さいます。花束は
そのまま楽屋に飾られて、コンサートの後はご自宅にお持ち帰りいただきますからね」
ニコッと笑ったマネージャーが三人にそう言うと、少女達はきゃーっと小さく歓声を上げた。自分の渡した花が憧れの歌姫の自宅を飾る。
それだけで大興奮といった様子だ。
キラもルナマリアやメイリンと手を取り合い、喜びで顔をいっぱいにしている。
「では折角ですから、アスランからも皆様に握手して差し上げて下さいな」
自然な流れで話を振ってきたラクスに、ぎょっとしてしまうアスラン。
「…い、いえ…俺は」
「折角こちらにいらっしゃるんですもの。わたくしの可愛いお客様達に、あなたからも歓迎の挨拶を差し上げて頂きたいですわ」
「………」
いいのだろうか。その流れでいけば、自分もキラと、握手を―――手を触れ、握ることができる。
…いいのだろうか。正直、抑え切れる自信がない。
きゃあ、アスラン様も!? とはしゃぐ赤髪の少女達と、その後ろでええーっと顔を真っ赤にしてオロオロしているキラ。…そんな
はにかんだ顔を見せられただけでも、今すぐ駆け寄って抱き締めてしまいたいのに。
ぐっと拳を握り締めたアスラン。その目の前に、ピンクの球体が跳ね出てきた。
「アスラン、アスラーン! マイド!」
「…っ」
「うわぁ、可愛〜い!」
「ラクス様のペットロボなんですよね! アスラン様が、婚約時代に贈られたって」
ホーク姉妹が盛り上がる。キラも目を輝かせて、机の上で飛び跳ねるハロを見ていた。
「ええ。そうですわ。ですから、こうしていつも一緒ですの」
「きゃ〜っ!!」
ハートマークを飛ばす姉妹。その後ろで、キラもハロの動きを目で追っている。
「ハロッ! ハロハロッ!」
「きゃっ、こっち来た!! きゃーっ!!」
メイリンの手のひらでぽんと跳ねるピンクハロ。それはそのまま、キラのほうへ向かった。
「えっ、あっ、わわわっ!?」
「マイド〜!」
ぽーんとキラの手のひらと肩を跳ねて、ラクスの元へ。
「いや〜っ、可愛い〜っ!!」
「ど、どうしよう、私の指紋つけちゃったかも」
「あ〜っ、メイリンもキラもいいなぁ」
「ていうかキラってば、指紋って! ポイントそこぉ?」
ちくっ、と胸の痛みを覚えるアスランとラクス。
今のキラは、もう自分のことを「僕」とは呼ばないのだ。小さなことだが、けれど以前のキラとはもう本当に別人格なんだということを
思い知らされる。
「オホン!」
盛り上がった三人を見かねたマネージャーが咳払いを一つ。はっ、と三人が固まり、我に返った。
「す、すみません、騒がしくして」
「いいえ。わたくしは構いませんわ。わたくし、学校に通っておりませんでしたでしょう? ずうっと家庭教師の方にお家で教えて頂いて
おりましたから、こういう雰囲気、憧れておりましたの」
「ですがラクス様、時間の関係がありますので…」
「あら。まだ充分余裕があるはずですわ。この後お茶会もあるのでしょう?」
「いえ、あのそれも含めたタイムスケジュールが…」
にわかに焦り出すマネージャーに、ラクスはにっこりと微笑んだ。この顔をした時のラクスは、何が何でもやりとおす。やれやれ、
とマネージャーは腕時計に視線を落とし、ラクスの傍に控えるように装って、彼女に小さく耳打ち。
「休憩時間から、さっ引かせて頂きますよ」
「はい。そのように」
これで話はまとまった、とばかりに、ラクスは一度アスランと目を合わせる。
………互いの自制心を、思い出すために。
それから改めて、キラ達三人に顔を向ける。
「ラクス様、ヘブンズプレイス市へようこそ! 今日のコンサート、楽しみにしています!」
まずは先頭のルナマリアがハキハキと挨拶をして、花束をラクスに差し出す。
「ありがとうございます。こちらこそ、主人の造った街を選んで下さって嬉しいですわ。もしも何か不自由がおありになりましたら、この
機会に遠慮なく主人に直訴なさって」
「そ、そんな、不自由なんて」
「あら、遠慮なさることはありませんわ」
「家内の言うとおりです。住民の率直な意見を聞かせてもらえる機会は、なかなかありませんからね。勿論、不便がないように万全は
期していますが…」
「はい!! とてもいい環境の、最新のプラントに住むことができて、とてもラッキーだと思ってます!」
ぱあっとルナマリアの顔が輝く。ラクスとアスランも、いつもの公式行事の調子を取り戻し始めていた。ただ、キラの視線を意識すると、
どうしても鼓動は高鳴ってしまうけれど。
「夜からのコンサート、ホント楽しみにしてます!」
「ありがとうございます。わたくしもお楽しみいただけるように、精一杯歌わせていただきますわ」
しっかりとラクスとルナマリアが握手を交わす。それから、次はあなたが、とラクスからアスランに目配せ。それをちゃっかり目に
していたルナマリアは、自らアスランに向き直った。
「ザラ国防委員長と直にお会いできるとは思ってもいませんでした! 光栄です!!」
「いや、さっきも言ったように、今日の俺は家内の付き添いだから。プライヴェートのつもりでいるから、君も畏まらないで」
「はい! あの、でも…」
ふっ、と彼女は口元に笑みを浮かべ、瞳に強気な光が浮かんだ。
「いつか、仕事で毎日顔を合わせるくらい出世してみせます」
え、と面食らってしまうアスラン。隣でラクスがクスクス笑い、メイリンとキラが顔を合わせてやれやれと小さな溜息をついた。
「お姉ちゃんてば〜…言う〜? フツ〜。こういう時にそういう事さぁ〜」
「…それは、頼もしいことだね」
クスと笑って、いつものロイヤルスマイルを持ち直すアスラン。
「君はミネルバの所属ということだったね。平和な世界に本来軍隊は不要だが、もし不穏な火種が明らかになった時には、動いてもらう
ことになる」
「はい! その際には、力の限り働かせて頂きます。ザフトのために!」
「………そんな日が来なければいいが」
「あ…、はい。…本当、そうですね」
ぴしりと敬礼したルナマリアだが、目を伏せたアスランの言葉に、神妙な表情になって手を降ろした。
清々しい使命感を臆することなく現す少女に、アスランは複雑なものを感じる。あの時の自分は、こんな純粋な瞳をしていただろうか。
こんなに真摯な思いでいただろうか。…いや、無かった。断言できる。五年前、自分はキラの大事な仲間達を処刑台に送ることだけを
考えていた。仲間を守る、平和を守る、市民を守る―――――。…本来あるべきその使命感は、完全に失せてしまっていた。
「とにかく今日は、コンサートを一緒に楽しみましょう」
「はいっ! ありがとうございます!」
棺桶の中に閉じ篭もってしまいたくなるような重たい気分を無理矢理心の奥に追いやって、ルナマリアと握手を交わす。それから、
そっとキラの様子を伺う。話の行き掛かり上仕方なかったとはいえ、軍隊の話題を出してしまった。キラが反応するようなやりとりを
してしまっていたらどうしようかと心配したのだが、キラは頬を紅潮させて、ラクスと握手できる時を待っている。
…そうだ。ニュースを見ても何の反応も示さないという話だったではないか。そもそもこの二人が軍人だというのならその類の話題を
出しても大丈夫だろう。というか、一人で何をびくびくしているのだろうか、自分は。
アスランはそっと隣のラクスの顔を見る。彼女は相変わらず、穏やかな微笑みを崩していない。優しい瞳でキラを見守っている。だが、
少し視線を落とすと、振袖を模したような独特のシルエットを持つドレスが、微かに震えている。
はっとしてもう一度ラクスの顔に視線を合わせると、優しい瞳はやはりキラを見守っている。常に彼女ばかりを中心にするような不自然
はないが、視界のどこかに必ず常にキラを捉えている。……その睫が、瞼が。時折僅かに揺れることに、アスランは今、初めて気付いた。
すとん、とアスランの中に何かが降りた。
ラクスにだって不安がないわけではないのだ。テレビで自分達の姿を見てもおかしな反応はない、セドリック医師がもう大丈夫だと
言っている、それでももし万が一、…万が一、 消えているはずの記憶を刺激してしまったら。この出会いが原因で、折角ここまで育って
来たキラの心を、殺してしまうような事になったりしたら。
不安なのは自分だけではないのだ。ラクスもまた、心の奥底では不安と戦っている。だがだからこそ、彼女は穏やかなのだろう。
……………これが最後。この目に直接キラを映すのは。
だから不安に流されているわけにはいかない。新しいキラを、元気なキラを、しっかりと記憶の中に刻み込む。
この邂逅が終わりの時間を迎えたとき、後悔しないように。
UPの際の海原のツブヤキ…興味のある方は↓反転して下さい(大した事書いてません)
人前で、ラクスがアスランを「主人」、アスランがラクスを「家内」と呼ぶのは、勿論お舅さんの思惑が関係して
おります。
ザラ国防委員長の良き妻であるラクス夫人、というのを演出するためです。
レノアさんも自分のお仕事を持っていた人だから、本来パトリックさんはそういうふうに奥さんを縛る人ではないと思いますし、価値観
がコズミック・イラ以前みたいなわけでもないと思うのですが、今回のアスランとラクスの場合は、自分のことは棚に上げ状態。最初から
「最後」まで政略結婚という感じです。