テネシー大学新研究、WTOの農業自由化目標は非現実的、FTAでも躓き

農業情報研究所(WAPIC)

04.1.19

 昨年9月のWTO閣僚会合を前に、世界銀行は、農産物貿易の関税削減と国内農業助成の大幅なデカップリングにより、世界農産物貿易は2015年までに3千580万ドル増加するだろうとする報告書を発表した(Global Economic Prospects 2004 - Realizing the Development Promise of the Doha Agenda)。それにより、途上国における生活水準引き上げと貧困の軽減にはドーハ・ラウンドの成功が不可欠と強調したのである。

 ただ、この報告は、この政策変更が個別の国の食糧生産や農家・農村に及ぼす影響については掘り下げていない。このような貿易成長の大部分(2千400万ドル)はEU、米国、中国などの現在の農業食糧大国を犠牲に起きることは示唆されていたが、農業食糧政策研究所(IATP)の最近のニュース(World Bank Estimates That Reduced Agricultural Trade Tariffs And Decoupling Of Domestic Farm Programmes - Key Elements Of The World Trade,1.16)によると、テネシー大学の農業政策分析センター(APAC)の研究が、EUや米国の農民がこのような協定を認めるとは考えられないほどに破滅的な影響を農業と農村に与えることを明かにしたという。世銀が想定するような農業自由化は非現実的ということである。

 世銀は、前記の成長を実現するためには、先進国が農産物関税を10%まで切り下げ、世界のすべての農業者所得助成を生産から切り離し(デカップルし)、途上国の関税率の上限を15%とする政策変更が必要としていた。ところが、APACがこのアプローチに基づいて推計したところ、EUの農業生産は30%低下せねばならず、EUの小麦作付面積4千400万エーカーのうち2千640万エーカーが途上国に移行、その他の飼料・食糧穀物面積1千890万エーカーも海外に移されねばならないことになる。この研究のリーダーは、「来るべき10年の間にEUが小麦・油料種子ナタネ・その他の穀物の総面積の30%を減らすなどと本気で考えられるだろうか」と語っている。

 また、米国の砂糖生産者は2015年までに最低でも50%生産を削減せねばならないし、小麦生産も20%削減、米国の小麦面積の34%を海外に移す必要があるという。リーダーは、「貿易協定が国内生産の巨大な削減と外国食糧の輸入の巨大な増加を意味するとすれば、ヨーロッパと米国の農民がこのような協定を承認するだろうか。私には想像もできない」と語る。

 この研究は、ドーハ・ラウンドにおける農業自由化がいかに非現実的であるかを、改めて浮き彫りにする。しかし、これはドーハ・ラウンドの目標に限ったことではない。米国はドーハ・ラウンドが停滞するなか、二国間交渉・自由貿易協定(FTA)による農業自由化戦略を強めてきた。FTA締結を急ぐ日本もまたそうである。だが、FTAによる農業自由化も「非現実的」な様相を強めている。米国最大の農業者団体が保護主義に軸足を移し始めたことは伝えたばかりだが(→米国有力農業団体、貿易自由化路線を転換、輸入保護重視へ,04.1.17)、FTA交渉も農業が障害となって、いたるところで躓いている。

 米国・フロリダのSun-Sentinel紙の16日付の報道によると(Florida Farm Groups Oppose Free Trade Pacts)、フロリダの酪農生産者・砂糖生産者がオーストラリア、中米諸国との協定はそれぞれの産業の雇用を奪うと、政府のFTA締結計画に反対の声を上げた。これらグループは、補助金その他の農業貿易歪曲に関する複雑な問題は多数の国が加盟するWTOで取り組むように要求している。

 アーリントンに本拠を置く全国牛乳生産者連盟は、交渉妥結が越年したオーストラリアとのFTAは、乳価の低下により、フロリダの酪農民の10%以上を離農に追い込むと主張している。オーストラリアの提案に従えば、フロリダの酪農総所得は9年間で2億7千500万ドル低下、最大の被害者は中小農民で、関連産業を含めた千人以上の雇用が危機に曝されると予測する。米国消費者は理論的には利益を得る可能性もあるが、実際には小売価格の変化は起こらず、オーストラリアの酪農産業や一握りの多国籍加工・小売企業が利益を得るだけだと、自由化論者を批判している。米国とオーストラリアのFTA交渉は、今週、米国で再開される。

 他方、フロリダを含む19州の72の砂糖企業・団体は、中米諸国とのFTA(CAFTA)は、議会で速やかな承認を得たいならば、砂糖輸入に関する譲許を取り下げよという書簡を大統領に送った。アーリントンの砂糖産業団体は、CAFTA、そしてそれと同様な条項を含むすべてのFTAに反対すると言っている。

 アラブ諸国とのFTA締結は、目下の米国の最優先の国家目標である国際テロ撲滅のための要の手段の一つである。その手始めとして昨年始まったモロッコとの協定も、農業問題がネックとなって越年した。モロッコの農業は、雇用で45%を占め、GDPの15%前後を生み出す国にとっての重要産業である。モロッコは、巨額の補助金を受け取る米国小麦産業にフリーハンドを与えればモロッコ生産者は競争に太刀打ちできす、とりわけ雇用に与える影響は大きいから、米国寄りの「改革」姿勢を示す政府も容易な妥協はできない。モロッコは生産者保護を重視してきたし、現在、農業者教育、土地法改正など、米国との競争に備えた農業競争力強化の戦略を練り上げている最中である。1月9日、米国のアームテージ国務次官は、FTA交渉は今月中にも妥結すると述べたが、モロッコ首相は、交渉妥結は早くても今年4月から5月だろうと述べている。この交渉の先行きも不透明である。

 米国FTA戦略の最重要目標は米州自由貿易協定(FTAA)であるが、これも米国の農業補助金とブラジル等の重要農産輸出品目に対する米国の高い輸入障壁のために、交渉は遅々として進まない。

 韓国がチリと調印したFTAは、韓国農民の激しい抵抗で議会での批准が宙に浮いている。政府の援助増額の約束にも、農民は警戒を緩めていない。それで、特に果実生産への破滅的打撃が緩和されるはずもないからだ。

 途上国(OECD非加盟国)同士のFTAには先進国がからむFTAのような厳しい条件(例えは「実質的に全品目の関税撤廃」)が課されないから、一見すれば迅速に進むように見える。例えば、タイと中国は昨年10月から、10年後のFTAに向けて一部の果実・野菜の関税撤廃の実施に入った。だが、このような部分的関税撤廃でさえ、必ずしも有効に機能していない。両国間の果実・野菜の貿易量は増加はしているが、輸入割当や輸入品に対する高率の付加価値税がなお残り、期待されたほどは伸びていない。関税撤廃品目が、例えば砂糖やタバコなどにまで広がれば、双方の産業が受ける打撃は大きく、FTAへの動きは間違いなく減速する。

 わが国政府は、メキシコや東南アジア諸国とのFTA締結を急ぎ、農業への絶大な影響を緩和するための「所得政策」、「デカップリング」を大急ぎで検討している。だが、10年以上をかけてこの方向への移行を研究し、実験してきたEUにおいてさえ、その農業・農村に与える影響は見極め難い。多数の農業者がなお抵抗の姿勢を崩していないし、昨年の完全デカップリングを目指した「中間見直し」改革も中途半端に終わった。APACが予測するような破滅的な事態がわが国にも起きないかどうか、時間をかけ、慎重に見極めねばならない。自由化一辺倒であった農業をめぐる世界の論調にも変化の兆しが現われている。まさにそのとき、わが国は、またもや一週遅れで自由化一辺倒のコースに入ろうと躍起になっている。現在の動きはあまりに性急にすぎる。

 関連情報
 米国大学研究者、世界のための米国新農業法の青写真,03.9.5

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