農業情報研究所意見・論評2011年11月11日

米国の自動車は日本の米 日本のTPP交渉参加は米議会がお断り 未だ気付かぬ日本指導者の無知蒙昧

 野田首相が10日、予定されていたTPP交渉参加表明を1日延期した。10日午後、首相官邸で開かれたTPP交渉参加に関する政府・民主三役会議で、「明日もう一度、政府・民主三役会議を開きたい。どういう態度で臨むか、まだ方向を決めたわけではありません」と述べたそうである。「11日に改めて政府・民主三役会議などを開き、その後に記者会見して交渉参加を表明する考えだ」(野田首相のTPP交渉参加表明会見は11日に延期 朝日新聞 11月10日21時39分)という報道もあり、1日先送りしただけで実質的には何も変わらない可能性が高い。それでも一部マスコミは大騒ぎだ。

 「「たった1日の先送り」ではあるが、これが致命傷になりかねない。11日の衆参両院の予算委員会で野党は徹底的に首相を追及するに違いない。そこで首相は「どういう態度で臨むか、まだ決めたわけではない」と繰り返すつもりなのか。閣僚の足並みが乱れ、収拾がつかなくなる可能性もある。しかも首相の「迷い」は国民の不安を助長した。TPP交渉に参加しなければ「不戦敗」だが、交渉入りすれば国益と国益がぶつかり合う戦場で闘わなければならない。こんな優柔不断な首相の下で国益を勝ち取ることができるのか」(ドジョウの迷いが「命取り」 TPP交渉に暗雲 産経ニュース 11.10 22:45)。

 「参加に前向きな野田首相の考えは変わっていないという。だが、ここで方針がぐらつくようでは、首相のリーダーシップや決断力に大きな疑問符がつき、今後の政権運営にも支障を来すことになる。首相は11日には自ら参加の意思を明確に表明し、12日から始まるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議や日米首脳会談に臨むべきである。
 自由貿易圏づくりへの参画は日本の経済発展に不可欠だとの考えから、かねて私たちはTPPへの参加を求めてきた。農業問題をはじめ懸念材料は多々あるが、それは今後の交渉の中で払拭(ふっしょく)していくほかないというのが私たちの立場だ。
 もちろん、国の将来を左右するテーマであり、国民一人一人の立場によって、その利害も異なる難問だ。だが、さまざまな意見を調整し、最後は何が国全体、国民全体の利益となるかを判断し、結論を出すのが政治の、そしてトップの役割だ」(社説:TPP先送り 首相はぶれずに決断を 毎日JP 11月11日2時31分)。

 アメリカ憲法は(対外)通商交渉権限を議会に与えており(第1条第8節第3項=通称「いっぱちさん」)、政府には交渉権限がないのだから、政府が通商交渉を行うためには議会の承認を得なければならない。これは通商交渉に携わる世界のプロたちには常識だ。彼らは、この憲法規定から派生するアメリカ議員の身勝手な行動で何度となく煮え湯を飲まされてきた。議会は国内の様々な圧力団体の利害を交渉結果に反映させようとし、それが実現できないような交渉には権限を与えないし、その意向に反する交渉結果は一括して拒否することもあり得るからである(参照:自由化に逆行する米国ファスト・トラック法と新農業法、新たな貿易交渉は失敗の恐れ,01.12.18)。

 従って、11月2日の「今日の話題」で述べておいたように(さっぱり分からんTPP論議)、多くの分野で自由化や規制緩和・撤廃に抵抗が大きい日本が参加するTPP交渉をアメリカ議会が承認するまでには交渉期限を超えてしまうような大変な時間がかかるだろうし、場合によっては最終的に参加が認められないこともあり得るのである。ところが、首相も民主党議員連も、上のように主張するマスコミも、このような国際通商交渉に関する「イロハ」さえ知らない。日本が参加を表明すれば交渉参加が必ず認められると思い込んでおり、アメリカから”お断り”と言われるとは夢にも思わない。「TPP交渉に参加しなければ「不戦敗」」と言うが、実は、参加の道はすでに断たれていると見るべきだろう。

 というのも、議員はアメリカの基幹産業(アメリカを象徴する国民的産業)である自動車産業の利益に逆らうことは決してできないからだ。アメリカにとっての自動車は、日本にとっての米(コメ)を意味する。他のどんな産業―農業、医薬品、バイテク産業、医療、保健、金融・・・―が得る利益も、自動車産業が蒙る損害とは引き換えられない。

 韓国とのFTA交渉でも最も難航したのが自動車分野の交渉であった。韓国との交渉は何とか妥協にこぎ着けたものの、日本が相手となれば妥協はあり得ない。協定で日本からの対米自動車輸出は多少増えるかもしれないが (輸入制限さえしたい米自動車業界には、僅かな輸入増加も我慢ならない)、アメ車の対日輸出は決して増えない。日本人がアメ車を買わないのは価格や規制ではなく、ほとんど「文化」の問題だからである(例えばアメ車購入者には購入費用の半額を政府が補助するとか、そんな禁じ手でも講じないかぎり、アメ車購入者は増えないだろう)。基幹産業に損害だけをもたらす協定(交渉)をアメリカ議会が認めるはずがない。

 フィナンシャル・タイムズが報じるところでは、「日本の交渉参加には、日本市場への浸透不能を痛罵しているアメリカ自動車産業が強く反対している。フォードモーターのステフェン・ビーガン国際問題担当副社長は、「農業部門の観点からすれば日本市場の開放は重要だろうが、昨年の対日貿易赤字600億ドルの70%が自動車で生じたものだ。農産物輸出はそのほんの一部にも達しない」。

 「ビーガン氏は、今年夏に行われた円引き下げのための日本の通貨市場介入こそ、「日本のナンバーワンの貿易障壁だ」と言う。アメリカ自動車産業は、将来のすべての貿易協定にそのようなルールを拡張する目的で、TPPに為替操作制限を含ませるという目覚ましい革新を野心的に提案している」。

 Pacific trade deal faces tough choices,FT.com,11.9

 自分のことしか考えない。相手のことは考えない、考える能力もない。政治・財界・学界指導者、マスコミの国際感覚はゼロである。それこそが日本の「致命傷」だ。