2002年旅日記 |
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更新日 2002/2/10 |
【2001/9/17 月曜日 洛陽】 ・追い出される この日は雨が降っていた、最初自転車で外を回ろうと思っていたが あんまりそんな気が起きなかった。 何にもしないのもいやなので、少林寺へ行くことにした。 雨が小ぶりになっていたので、笠も持たずにいったが あとで笠を買う羽目になってしまった。 少林寺へは、バスに乗っていった、横の人に少林寺へ行くっていっていたからよかった ものの、バス停とかまったくなく、目的地についたら、 車掌にいっておろしてもらうパターンだった。 降りたところは、少林寺のはいるところで、入り口に拳法をしている像があったりして とうとうきたなぁって感じがする。 入り口でお金を払って入る。地面がつるつるの石で、何度もすべってしまう。 なんか、ミュージアムとか、演舞場とかいろいろとあるようだったが、 時間が無かったので、あまりみないで、本殿と、塔がたくさんたっているところと、 嵩山(だったとおもう)へ登る嵩山へは、ロープウェイ(今はつかわれていないようだ) や、リフトがあって、リフトで登る、結構見晴らしがいいが、 雲がかかっていて寒い。 その後、かえって四川飯店で食事をする。 そうしていると、変な駅員がきて、ビールをおごってほしいって いってきた。なんか、むかついていたが、ちょっと怖かったのも会って おごってしまった。 その後、部屋に帰るが、少したつと、むかつく駅員がきて、 「部屋を出て行ってくれ」っていってくる。 なんか、すごく高圧的な態度でいってくる。 めちゃくちゃ腹が立って、怒ろうとしたが、向こうもまったく英語が 通じないので話にならない。 それで、そこのオーナー見たいな人が出てきて。話をする。 簡単な筆談だが、要は「ここは外国人が泊まることができない宿で 明日公安がくるから出て行ってほしい」とのこと。 そうだったら、何で最初からいわないのだと思って行ったが ぜんぜん通じない。また、最初2泊分払ったので、1泊分戻せと いったが、ぜんぜん通じない、なんか、いろいろと文句をつけて 返してくれない。なんか腹が立つが、仕方が無いのででていく。 メッチャクチャむかつく!! なんか、洛陽はむかつくことばかりだ 洛陽は大嫌いだ ページの先頭へ│TOPへ 【2001/9/18 火曜日 洛陽】 ・けんか 朝起きて、気を取り直してレンタサイクルで出かける。 南のほうに、三国志の関羽が祭られているお寺と、竜門の石窟を見に行くためである。 関林というお寺は、結構きれいで広い広場があったりして、なかなかだった。 その後、竜門の石窟へ行く。 結構のんびりしたところだった。 その後、また四川飯店へ行く。 僕がここへきていたのは、結構おいしかったのと おばちゃんの愛想がよさげだったのと、 娘がかわいかったのだが、 おばちゃんが愛想がいいがすごく品物を進めてくるので 少しいやだった。しかし、商売人だから仕方がないなぁって おもい、まあ、旅行者だし少々乗ってあげようっておもって いままで行って、少々多めに頼んであげたが。 もう、3回目なので、こっちの意見も通そうと思って今回はいった。 今回もかなり高いものとかもう一品を薦めてきたが、 頑として聞かず、ホイコーロだけをたのんだ、がかなりうっとうしかった なんか、聞いていてかなり悲しかった。 僕としては、断るのも気を使って「ここの料理は量が 多いから食べれないので1品でいい」ってことわった。 やはり、この人は俺のお金が大切であって 僕自身は好きではないのだと思った。 少し言い合いになってしまい。僕が「あんたを信じていたが お金がほしかっただけだったのだね」っていったら 「I am sorry」とはいっいたが口だけだった。 その後、むかつく駅員がくる、なんか、話をしているうちに おれも少したべるので、もう一品たのんでということをいってきた。 なんか、つかれたのか、自分の弱いところとおもうが 頼んでしまった。 その後、その駅員が、切符をとってやるということになった、 料金を払って頼んだ。が、その駅員がその代わり この飯代をはらってくれっていってきたが絶対に払わなかった。 めちゃくちゃむかついたので、一言もしゃべらずにビールを飲んでいた。 そうするとおかしなもので、向こうからビールを注いできたりした。 その後、店を出るところになると、確か21元ぐらいだったのに、 おっさんがいってきた料金は50元!!なにか反論しようとおもったが、 おっさんがかなり高圧的にいってきたので、ちょっとびびってしまい 払った。 が、すぐにメニューをみて。計算式をだして、問いただした。 そうすると、「さっきのチケット代だ」っていっていた。 「さっき払った」というと、「駅員の飯代だ」っていってきた。 おばちゃんは「没法力」って書いてきた。最初わけがわからなかったが 後日聞いてみると「しかたがない」って意味らしい。そのときも メッチャクチャ腹が立った。 そういわれたので、さっきの駅員を問い詰めると。 その駅員も怒って、店やのおっさんところへ詰め寄って お金を返せって言っているようだった。 おっさんに詰め寄ってお金をかえしてもらったが、 最後の最後まで返すお金を少なくしようとおもっていたようだ。 おつりが少なかったので、わざわざ「たりない」って言わないといけなかった。 このときはかなりキレていたようで、ほんと、久しぶりに 怒りというものを思い出した。 今思い出してもむかつく。 けど、これで、かなりいろいろなことに耐性がついたとおもう。 ページの先頭へ│TOPへ 【2001/9/19 水曜日 洛陽-->西安】 ・ホテルがない 洛陽を出発する日がきた。 やっとだった、ほんと、最初洛陽によいイメージをもってきたが、 ほんといやな町だった。 チケットを取りに行くために、四川飯店へ行く。 おばはんが飯をくっていけくっていけというが いらないというと、つんけんどんとした態度になる。 所詮こんなもんだ。 昨日、ここの娘とかには挨拶したかったが、 できなかったので、手紙だけを渡す。 かなりいやみなことと、娘さんによろしくっていってくださいとのことだけ 書いていた。 その後、列車にのっていいく。 列車の中に行くと、席を替わってほしいという老人が 席を替わると、なんか、3人の席にすでに3人座っている。 僕も座って4人で座っていた。誰かが勝手に座っているみたいだ。 がんばって座っていると。隣のやつがなんかしゃべってくる。 「わからない」っていうと筆談で「どこかいけ」って書いてきた。 会話集のなかの「ここは私の席です」というのを指差した。 そうすると、しゃべってきたやつが、どっかいった。 ざまーみろ!! けど、なんで、中国ってこんなことがまかり通っているのだろうか? けど、同じボックスに座った人はよい人ばかりだった。 いろいろとものを分けてくれたりしたり、西安について ホテル探しを一緒にしてくれたりした。 かなりうれしかった。なんか、ホテルを探してくれて、見つかったら そのまますぐに出て行いこうとしたので、お礼をいって分かれたが なんか淡白な人だった。 中国人は親切なのか親切でないのかわからない。 しかし、ここでも中国人専用のホテルとかそういった規制に引っかかってしまい。 安いといわれていたところが、すべて中国人専用だった。 結局あったのが、160元・・・(約2500円) かなりショックだったが、もう暗かったしどうしようもなかった。 チェックインしてから、外へ出て、いろいろと、見てまわったが、 さすがに夜遅いので客引きは声をかけてこない。 その代わりに、娼婦とかが声をかけてきた。 ついていく気はさらさらなかったが、かなりビックリした。 顔もファンデーション塗り捲っていて変だったし、口臭もかなりくさかったし 早くどっかいってって感じだった。 なんか、西安でもこの先が思いやられたスタートだった。 ホテルが高いのでせっかくなので、あわの風呂をためしてみた。 なんか貧乏性だとおもう。 ページの先頭へ│TOPへ 【2001/9/20 木曜日 西安】 ・西安の城壁 朝起きるが10時ぐらいだった、チェックアウトが12時までなので とりあえず次の日もとまることにする。 が、でていくと、すぐにホテルがあった80元・・・ 今の1/2である。 客引きが連れて行ってくれたが、明日くるというと、今のうちに お金払ってくれとのこと。客引きにリベートが入らないのだろう。 仕方が無いので明日くることをいってお金を払う。 こんなことだったら今日、お金を払わなかったら良かった。 その後、城壁や、町の様子を見に行く、 ほんと西安は都会だ。 ビルがたくさん立ち並び車もかなり走っている。 面白いところは、周りに城壁があったりするところだ。 城壁はかなりすごくて、本当に想像の中の城壁と同じである。 それが、町ひとつをぐるっと囲んでいるのである。 周りに堀もあり、大きい、その上にのぼり、見渡す。 すごくきれいだし、広い。 西安にいったらぜひ城壁はいってください。 今日も泡のお風呂(アメリカ映画ででてくるようなやつ)をはいった(^^) この部屋は高いだけありTVがある。 けど、中国のTVもかなりおもしろくて、けっこうみているだけでもわかるものが多い。 三国志、西遊記などもあるし、なんか、中国風の時代劇なんかもある。 また、必ず日本人を悪者にした戦争映画もいつでもかかっていたりする。 しかし、一番ビックリしたのが、CMでおっぱいを大きくするっていう薬の CMがバンバンやっていたことである。ここはポルノ厳禁の国でないの?って 思った。 ページの先頭へ│TOPへ 【2001/9/21 金曜日 西安】 ・観光の日 今日は起きてすぐにチェックアウトをして新しいホテルにいく。 その後、列車のチケットを取りに西安駅へ行く、今回は敦煌までの長い距離 なので、硬臥をとる(2等寝台)つもりだった。けど、よく硬臥のチケットは取りにくい ということを本で読んだことがあったので、少し不安だったが2階のチケット売り場で買うと あっさりと取れた。 その後、兵馬踊を見に行くためにバスにのる。 バスは楽勝で見つかったが、終点の兵馬踊までいくひとが僕一人だったので、 運転手は途中で僕を降ろしたかったようだった、結局途中の 博物館みたいなところで、おろされて、ここだっていわれてチケットをかったが、 それは、兵馬踊ではなかった。ちょっとむかついたが、 まあ、この博物館も面白かったので、まあいいかっておもった。 しかし、なんでこんなに物事がうまく進まないのだろうか ネパールとかは、人それぞれのスピードとかが遅いからおそいとおもうが 中国はぼってやろうとか悪意のある人が多いため、また、 何か自分の意見を通したいときに、 隠したり、だまして行おうと思うひとが多いと思う。 このバスも運転手が早く帰りたいので、僕を下ろしたい そのために、僕をだましておろそうとする。 ネパールだったら多分、もっとストレートに降りろとか 言われるが、そのほうが言い合いの余地があって いいとおもうが。 さて、兵馬踊だが、広い体育館のようなところに、いっぱい兵士の 像が並んでいる。かなりきれいな像があるが、本来はもっとぼろぼろででてきたので なんか復元しすぎているようで、発掘されたものとはなかなか思えなかった。 ページの先頭へ│TOPへ 【2001/9/22 土曜日 西安】 ・いろいろな人 今日ホテルを出るつもりだったが、なんか、めんどくさいなぁっておもっていた 今のところにもあんまり不満は無いので。 ただ、朝起きると、いきなり従業員が入ってきて なんかいってきた、すごく一方的だった。後ろに ほかのツーリストがいたので、これは、部屋を空けろっていうことかなぁって 思ったが、態度がむかついたので何も行動を起こさなかった。 そうすると、ほかの部屋にお客を連れて行った。 その後に、おもむろにチェックアウトをした。 ザマーミロ。もうちょっとお客に気を使えよ!! ほんと、ちゃんと丁寧に頼んでくれればいいのに その後40元のところに行く。 部屋は簡単に見つかった。 しかし、その部屋は地下で階段はひとつしかなく その降りたところには服務員がいてかぎを開けてくれる。 そこから廊下が走っていて、廊下の両端にたくさんの部屋がある ほんと、牢獄みたい。ちなみに窓もない。 けど、先にいたチェコ人のカップルがいたが、かなり雰囲気がいい人だった カーラ、ジャンという人だった。 僕のつたない英語に付き合っていろいろと話していた。 ほんと、英語が母国語のひとはめちゃくちゃ早くしゃべるが ヨーロッパの人でゆっくりしゃべってくれる人がいることにビックリした。 まあよく考えれば人それぞれなんだが、ヨーロッパ人=早くしゃべると 思っていたので。 また、今日はいろいろと町を見ていたが、 昼飯にケンタッキーにいった そこで、トレイを戻すと従業員の人が「謝謝」といった 中国人から聞いた謝謝はこれがはじめてかも・・・ 国の中でもいろいろな人がいるよね。 ページの先頭へ│TOPへ 【2001/9/16 日曜日 西安】 ・日本人女性が好き 今日は、ファン山(化の下に十を書く漢字)に行った ここからは遠いのでバスで行くが、いくと1日遊と書いてあるパックツアーが会ったので それに行くことにした。260元しかしロープウェイ代100、ファン山入山料60 とかを考えると、そんなに高くない。 このツアーは面白かった。まるで日本と同じだ。 バスガイドがいたり、帰りにオミヤゲセンターに行ったり、自由時間があってそれまでに バスに戻ってくださいね。って行っているところなどほんと日本と変わらない。 さて、このファン山だが、一言で言うと水墨画の世界である。 霧が立ち込めて、山の上にお堂があったりする。 そこまでロープウェイで行くが、だんだん雲の中に入ってくる。 僕が行ったときは、雲の中でまったく景色は見えなかったが 尾根を登ったり、尾根に作られた階段を上ったりとかなり面白かった 一番すごかったのが、天の桟道って言うところで、 ほぼ90度の石の壁にくいが水平に刺してあり その上に40cmぐらいの板が渡してあるだけの道があった ここも行ったのだが、ぜんぜん人がいない。 対向がいたらどうするんだろうと思っていたので良かったが。 けど、結構いろいろな高いところをいってなれているつもりだったが これはかなり怖かった。「ゆっくり行けば大丈夫」「がんばれ」 「こんな怖いところいままで経験したから大丈夫」って声に出しながら行った。 わたりきったとき、てっきり本道に戻るのかと思っていたら 行き止まりだった。かなりショックだった。 帰りはそれでも少しなれているのか、早かった。 ただ、本道にいってショックだったのが 看板がたっていて、よく読んでいると「立ち入り禁止」って 書いてあった。確かに、あれは立ち入り禁止にしないと死ぬわ・・・ そのまま帰りのバスにのると乗務員さんが「ホテルのカード見せて」 といってきた。今まであまり良いことがなかったし、もしかして今いる ところが無許可のところではないかとか、いろいろと考えたが 出した。そうしてすぐに返してくれたが、不安だったので 「なぜ」って聞くが笑って答えてくれなかった。 けど、実は、帰り道途中でホテルの前でおろしてくれた。 ほんと疑った自分が恥ずかしくなった。 ちなみにこの会社って確か「西安旅遊」だったと思う。 ぜひ行ってみてください。 その後帰ってくると実は少林寺でも見かけた 髪の毛をトレッドにしていたアメリカ人だった。 日本語も結構話せるのでまあしゃべったのですが、 けど、この人「日本人の女性いいね」って言ってきた なんかこの言葉を聞くとすごくむかつく。 すごく馬鹿にされている気がする。 例のごとく日本人女性と写っている写真をみせてきた。 「日本人の女性でいい人がいる」だったらわかるけれども 日本人の女性すべてをくくっているのが馬鹿にされているように聞こえる。 だったら、日本人の男性はどう思っているのか? 日本語をしゃべる外国人に対しては、なんか偏見を持ってしまっているかも けど、この人は、すごく怪しい感じだった。 ほんと、人を見る目を養わないといけないと痛感した日だった。 ページの先頭へ│TOPへ |