2002年旅日記

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更新日 2002/2/17

【2001/9/24 月曜日 西安-->電車】
・シルクロードへ


 今日はとうとう、旅の駒を進める日だ。
やっとだった、この先チベットとネパールというメインがあるために
ちょっと焦り気味だ。
朝顔を洗っていると日本人の女の子が、西安にきて2人目の人だ
かわいい子だった。なぜ出発の日に・・・。
話してみると中国の大学に交換留学という形できているそうだ。

チェックアウト後、荷物を駅に預けてインターネットをする。
駅の前のとおりをまっすぐいって左手「想飛」というインターネットショップ
ADSL(中国でこの言葉を聞くとは思わなかった)だそうだ。
俺の家負けた・・・

その後、いつも行っていた四川飯店で飯を食べる、そのときに
写真をせがまれてとってあげた。結局ほぼ1本取った。
まあ、めちゃくちゃよろこんでくれたしいいや。と思っていたらなんと、
そのときの昼飯おごってくれた。
なんか、初めて中国でおごるとか、何かをやってやるという
気持ちに触れたと思う。

その後、電車に乗ったが、今回は硬臥だ。
日本語に約すと2等寝台だが、硬座を経験している僕としては
まるでファーストクラスだ。
まず、入ると乗務員がチケットを回収してなにか券をくれる。
これは降りる前に乗務員とチケットを交換するのに必要だ。

硬座と比べて客層もぜんぜん裕福そうだし、
汚くないし。食べかすも袋に詰めているひとまでいる・・。
この差は・・・・・??
しかも、深夜に降りたが乗務員がめんどくさそうに起こしに
来てくれるではないか。
すごいこれが硬臥だったら軟臥(1等寝台)だったらどうなるのだろうか

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【2001/9/25 火曜日 電車】
・新疆人

 今日は、ずっと電車の中である。
よく考えてみると1日電車の中というのは経験したことが無い。
1日中ごろごろするのも良いものだ。
けど、食事はカップラーメンばかりだが

車窓からいろいろな景色が見えてくる
なんか、グランドキャニオンみたいだ。
これから行こうと思っていた西チベットもそんな風に形容されることが
あるので、これから行くチベットもこんなところかなぁって思う。

また、一緒にのったひとと仲良くなりいろいろと話をした。
この人は、シーサパンナやミャンマーを旅してきたとのこと。
中国の人で旅行している人がいるのが新鮮だった。
写真を見せてもらうとなんかの銅像の前で写真をとっている。
ほんと日本人のようだった。確実に文化のルーツは同じと思う。

その人がしゃべっていた中に「俺は新疆人だ」っていっていた
言葉が心に残っている。

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【2001/9/26 水曜日 電車-->敦煌】

・この駅は・・・
 やっと電車がついた、真っ暗のなか愛想の悪い服務員が起こしにきた。
さっさと準備しろっていっている・・・やはり中国だ!!
降りるとメッチャさむい。けど、暗い中で電車が浮かび上がっている。
息が白い。

暗いなか宿を探すのが大変なのでそのまま
明るくなるまで待合で待つ。
明るくなって出るとバスや、タクシーの客引きがいた。
聞いてみると敦煌の町はここから車で30分から1時間行ったところとのこと
この駅はなんなんだ。
バスがあるのを知らなかったので、タクシーに話を聞いて
乗ることにするが、やはり中国、すぐには出発しない。
満員になるまで出発しない。おっちゃんががんばって客引きしているが
こちらから見てもほんとうまくいっていない。
すごく要領がわるい人みたいだ。いい人で損をするって感じの人だ。
なかなか出発しない。そのうちに先にバスが出発する。(ちなみにバスも
満員にならないと出発しない)バスに乗ったらよかった。
違う車に行こうとするが、トランクのかぎが閉められていて
荷物が取り出せないし、運転手に話すと「もうちょっとだから
もう少しまって」って言ってきて、出て行くことができない。
2人ぐらい乗ったところで出発けど、やはり駅の周りをまわって
人を呼び込んでいく。
結局出発したのは、2時間後ぐらいだった。
けど、やはり早い、途中でバスを余裕で抜かしていった。

敦煌までの道は本当にまっすぐで気持ちよいぐらいの地平線だ
すごく景色が違っている。
途中で元の時代の万里の長城があると教えてくれた。
すごくぼろぼろだった、けど、何百年も前のものが残っているのはすごい

町について、ホテルを紹介してもらった。
60元だったが、今までを考えると安く感じてしまう。
最初部屋に行きカーテンを閉めるといきなりカーテンが落ちてしまった
今までのことを考えて、なんかいわれるかなぁって思っていたが、
服務員が「ごめんなさいね」という感じで修理してもらった。
なんか、今までと違う。
僕が外から帰ってきて部屋に上がってくると、その足跡を聞いて
服務員がきて、「鍵あけようか?」って言って来る。
なに、この違い、ほんと態度のよい服務員だ。
めちゃくちゃ人がいい。
しかも女性ばかりだし(なぜ)。
また日本語と中国語の本を貸してほしいといってきたので
貸してあげた、明日になったら、ちゃんと返してくれた。
すごく良いところだ。

ほかの人に聞いても新疆(シンジャン 西中国 昔ウイグルだったところ)
はいい人が多いといっていた。

確かに、屋台の人もすごく愛想がよい

ただ、このホテルでひとついやなところが。
それは、トイレに行くのにも鍵をあけてもらわないといけないこと(^^;)

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【2001/9/27 木曜日 敦煌】

・中国の自転車
 今日はまずホテルを変わった。すごくよいホテルだったが(今までで一番良かったかも)
昨日歩いていて客引きにあってホテルを聞いてきた。20元とのことなので、後ろ髪を
引かれながら宿を替わった。
 宿に入ると、久しぶりのドミトリーだ。ドミトリーはおもしろい。
いろいろな人と友達になれる。そこにいたのは韓国人の人や、
モンゴルで英語教師をしていたというイギリス人。
日本人とかだが、すべて女性だった。ちょっとビックリ
その日本人の人と飯を食べに行く。
話をしていると、昨日ゴルムド(チベットへの入り口の町)
へ行った人がいてその人はお金は普通の料金だったとのこと
ガイドブックには外国人料金があるとのことだったので、
すごく安心した。

明日早速ゴルムドへ行こう

その足でチケットを取りに行く。
言葉がしゃべれないのでゴルムドって書いて(中国人がすべて
変な当て字をしているので探すのにも一苦労)
チケットを買う。良かった。人民料金だ!!(61元)

明日ゴルムドへ出発なので、莫高窟と鳴砂山へ今日中に行かないといけない
もっとゆっくりしたいが、チベットに早く行きたいので仕方が無い。
莫高窟までは25kmとのことだったので、これだったららくらく自転車で
いける、砂漠の中を走るのもいいかも・・・
で、レンタサイクルを借りてそのまま出発した。
最初きれいだったが、その後、なんとチェーンが切れた・・・・
ちょっと呆然・・・

しかも切れた場所がちょうど半分のところ
仕方が無い、歩いていくしかない。

のんびり砂漠の中を自転車で走るつもりが、
炎天下の中自転車を押すことに・・・

ヒッチハイクをしようと想い手を伸ばしてみるが
とまってくれない。

途中プロパンガスをもった少年と会い話をする。
このあたりの人はすごく風の民って感じがする。
さわやかだ。
タバコをもらった。すってみる、すごくきつい。

2時間ぐらい歩いて莫高窟へつく
これかと思ったがなんか、なんか、期待はずれかもしれない。
壁に洞窟がたくさんあるのだが、すべてドアがあって
自由に入ることができない。
とおもっていたのだが、大きな洞窟はいった。
ごめんなさい、やっぱしすごいです。
洞窟の中に本当に大きな大仏がある。
それが、2〜3個あった。
それは、ここには入ると仏様はすごいと思ってしまう。

その後帰っていき、そのまま鳴砂山に行く
ここは本当にすごいところで、莫高窟よりもすごいと思ってしまった。
砂丘の中に湖とお城があると場所で。
砂丘の山の上からの景色はすごくきれいだった。

帰りに砂丘の上から滑って降りた。
山から滑って下りれる山も少ないだろう。

この日から、なんか、体調がめちゃくちゃ悪くなった
のどが痛い。ここの乾燥した空気のためか、あのタバコのせいか
これからチベットなのに心配だ。

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【2001/9/28 金曜日 敦煌-->ゴルムド】
・チベットへの第一歩
 朝チェックアウトをして、バスに乗る。ほかのツーリストもいた。
なんか、アメリカ人の人がバックパックに金の網をつけて
厳重に屋根にくくりつけていた、しかもワイヤーで。
人を信じれないというか、自分のリスクは自分で管理するという
考えが浸透している国だなぁって思った。

その後、山を越えて進んでいく。
8時間でつくと思っていたが、なかなかつかない。
やっとついたときには、夕方だった。
8時間なんてとんでもない11時間かかってしまった
つかれた。体調も良くない。
鼻水に血が混ざっている。つらい。

ついて、宿にチェックインすると、一緒に乗っていた人が
明日人数が集まってチベットへいけるがどうする?
行くのだったら朝出発とのこと。
体調悪いしどうしようかなぁ?つらいから明日決めよう

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【2001/9/29 土曜日 ゴルムド-->チベット】

チベットへ
朝おきるが、まったく元気がないので、昼前まで寝ていた
その後、CITS(旅行会社)へいくとまだ今日出発していないとのこと。
出発は3時とのことだった。
そのときほかに、高橋さんという方と清原さんという方と
韓国人の金さんという方がいた。
高橋さんと、金さんは、CITSのツアーをまっていて、
今回出発しなければ闇でいこうと考えていたらしい。
僕も体調悪かったが、行ってしまうことにした。
何とかなるだろう。

ちなみに料金だが1980元+300元(デポジット帰ってきたら
返金)で2280元だ。
ゴルムドに帰る分けないので、結局2280元戻ってこない。
日本円にして約3万・・・高い!!
所要時間は30時間とのこと、ただ、これはコンディションがよければ
とのこと。

さて、ここのCITSの受け付けもこのホテルも服務員は
最悪である。複数の旅人から聞いても最低ランクの
服務態度である。
まず、CITSや、ホテルの受付はぼくらがあまり英語ができないとかなり馬鹿にしてくる
特にホテルの受付は「あんたの英語わからへん」「なにいっているの?」
なんて平気でいってくる。

そのほかには
最初このホテルに入ったときに、「ドミトリーはあるか?」と聞いたところ
「今はいっぱいだから明日あいたら変更してやる」っていったのだが
今日朝聞いてみると「ドミトリーなんてない」と言い出しやがる。

また、中国のホテルはたいていフロアごとに服務員がカウンターにいて
その人を呼んで、自分の部屋の鍵を開けてもらうシステムになっている。
それで、昼に部屋をあけてもらおうとカウンターに行くと
誰もいない。それで、下の階の服務員のところに行くと
一言「今食事中」
おいおい、代わりつけとけよ・・
で「あけてくれ」っていうと
「没有」(メイヨーという、無いという意味)
といって、部屋にそそくさと入っていった。

その服務員も鍵を開けるときとかは、メッチャクチャいやそうな顔をして
あけている。まるで、お客さんと一瞬でも顔を合わせたくない、
お客さんのために仕事をひと時でもしたくないって感じだ。
その証拠に、同じ中国人の服務員同士だと、
あんた、そんな表情できるんだって思うくらい楽しそうに
会話する。
なにそれ・・・。

さて、話は変わるが、チベット行きのバスである。
最初にツアーの人がきて、「だれだれは何番」って言ってきた、
入ってみると2段ベットになっていて、一緒にいくことになった
高橋さんとかと、「どっちが上に行く」とか話していた
よく見ると、1つのベットに番号が2つかかれている
つまり、1畳もないベットの上に2人乗れということだ。
うーーん、これがうわさの・・・。
せまい。ほんと狭い。これで、この先がんばると思うと・・・

また、このときには、闇の人も同じバスに乗り込んできた。
なんだ、一緒のバスで出発するんだ。
正規できて損した。

ここで、今回一緒にいくことになった日本人だが、
清原さん(この後西へむけて予定なしで進んでいくとのこと、いまトルコあたりとのこと)
高橋さん(すごく頼りになるお兄さんって感じのひと)
河上さん(この中では唯一の女性、パワフル)
金さん(中国語、日本語、英語もしゃべれる韓国人)
やはり、同じ国籍の人がいるっていいもんだと思った。

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【2001/9/30 日曜日 ゴルムド-->ラサ】
・天界の都ラサ
 昨日から頭がいたい、二日酔いの頭いたのようだ、
この痛みはなぜかわかっている、高山病だ。
去年のトレッキングよりもメッチャクチャ頭がいたい、
原因はいきなり5000m以上も登るからだ。
けど、自分の足ではなんともできない。

夜、飯屋へつくと、金さんが注文してくれた、
お金を払おうとすると、「いいよいいよ安いから」っていってくれた。
ありがたくおごってもらった。
こんなところも、すごく韓国って日本人と似ていると思う。

体調が悪い、この晩飯の前、気分が悪くて吐いてしまう。
その後、この日はずっとベットの上で動けなかった。

高山病には水を飲むのがいいのだが、水を飲みすぎると
小便がでてしまうので、バスを止めることになる。また、そんなにも
水もない。
かといって、とまっているときに小便をしようとするが、出ない。

今回で思ったのだが、高山病には水をたくさんのんで、小便をしろという
ことが書いてあるが、それは正しいと思う。
飲まないと、きつい。

その後、昼しんどいしんどいとうなっていたら、清原さんもしんどいようで
また下痢をしているようで、二人してしんどいしんどいといっていた。
しかし、僕らは上の段のベットにいたが、欧米人は
なんと平気な顔をして笑っている。
どうなっているの、しんどくないの?

一緒に寝ていた、高橋さんの腕時計の高度を見てもらうと
だんだんあがっていっている。
どこまで上がるのかっておもっていたら、下の欧米人がカウントダウンをはじめた
一番高いところだとのこと。
やっと峠をこした・・・。

ちなみにこのバス本当に良くとまる。
しかもそのたびに運転手がエンジンを開けて、なにやら行っている。
たまに、ねじか何かのパーツをとって、外へすてたりしている。

おいおい、それいるやつちゃうの??
けど、なぜかそれでも走り出す。
なぜ・・・中国の不思議だ
高橋さんと僕の中では出発前にいっていた
コンディションがよければ30時間でつくという
コンディションはバスのコンディションだろうということになった

その後、暗い中バスを下ろされる、
その後、小さな車にのってホテルへ行く。
そのときに、ライトアップされた、ポタラ宮が見えた。
すごいと思ったし、幻想的だった。やっときた、
きてやったぞって思ったが。
つかれていた。ほんと疲れていた。
ホテルに入って今日は飯を食べてねた。

長い1日だった

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