2002年旅日記

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更新日 2002/3/10

【2001/10/15 月曜日 ラサ】
・ジャスティンと幸さん

 朝起きて出て行くと、いきなり呼び止められた。
誰かなぁと思うと、日本人の女性だった。
名前は幸さん、日本からチベットへ自転車で走ってきて
カトマンドゥにも自転車で行きたいとのこと。
それで、僕が自転車で行こうとしているのを
聞いて声をかけてくれたのだ。

たしかに、声をかけた気持ちはわかる。
このとき、ラサのうわさでは
ラサ以外の町での個人旅行の状況については
本当に良くないうわさばかり流れてきていた。

ある欧米人はパーミットがとれなくて、パーミットなしで行ったところ自転車没収のうえ追い返されたとか、

シガツェで取れるパーミットが個人では取れないとか

いままで検問が無かったところに検問ができたとか。

ネパールの国境が閉じているとか。

時間が決まっているとか、

アメリカ人、イスラエル人に関しては入れないとか・・・。

少し話をしていると、だんながくるから話してとのこと、
どんな人がくるのかなぁと思っていると。欧米人だった
ビックリした。
やっぱり夫婦で海外に出ているぐらいだから
普通の日本人同士の夫婦ではないのだなぁと思った
(後からわかったのだが、日本人同士の夫婦の人も
たくさんバックパッカーしています。このときは
初めてあった夫婦バックパッカーだった。)

彼の名前はジャスティン、日本で働いていたこともあり、
日本で幸さんと結婚、新婚旅行をかねて故郷の
イギリスへ向かっているとのこと。
礼儀正しい、面白い人だった。

ジャスティンの話では、自転車でカトマンドゥへ行きたい人が
集まって、ツアーを組んでいく相談をするらしい。
たしかに、ツアーを組んでいくとパーミットや検問の心配が無くなる。
一度行ってみよう。

その後、帰ってくると、ジャスティンに会い、これから
ネパールのビザを取りに行くとのこと。
そういえば忘れていた。
ついでに取りに行く。

結構距離がある。
前にジャスティンと幸さんがいる。
ほんと仲良さそうだった。頭の中ではチャーミーグリーンの
CMを思い出していた。
結婚するならあんなふうに仲の良い、夫婦になりたい。

書類を書く、この書類というのは嫌いだ。
英語で書いているし、アバウトなことをかけないから(それでも
かなりアバウトだが)

帰りにジャスティンと幸さんとご飯を食べる。
モンゴルを走ってきたそうで、話が面白かった。
モンゴルにも是非行きたい。

そのあと、自転車の工具を買う。
空気入れを買ったのだが、最初自転車屋さん
で聞いた値段と、自転車修理やさんで買った値段は
全く違っていた半額ぐらいで買えた。
なんか、ラサの自転車屋さんは、本当にえらそうで
言葉がわからないやつは自転車買うなといわんばかりの
態度だ。そのくせ、売っている自転車はメッチャクチャ
お粗末なものだ。皆さんも気をつけましょう。
まあ、腹が立つのは、中国だから仕方が無いけれどもね。
(腹が立つことが多いから)

夜、自転車ツアーの話し合いに出る。
圭さんや、楠さん、ジャスティンや、幸さんもあわせて
10人以上が集まった。いまラサにいる自転車旅行者が
すべてあつまったのではと思えるほどだ。
国籍もイギリス、アメリカ、オーストラリア、日本、スイスと
多彩だ。

料金はやはり高い。が、個人で行くと、すべて走れないかもしれない、
それどころかネパールに行くことすらできないかも知れない。

ツアーの主催者は明日、もう一度開くからそのときにどうするか
おしえてとのことだった。

その後、今日も飲んでねた。
なんかこのころ、飲んで帰ってこないと
山ちゃんとかに「どうして飲んでこないのですか?」っていわれるぐらい夜飲んでいた。

ps:ジャスティンと幸さんのHPも有ります。ここ
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【2001/10/16 火曜日 ラサ】
・出発
 朝、同室の2人がいった、旅のときの別れは
なんか切ない、仕方が無いこととわかっているので、
どうすることもできないのだが。

結局今ドミにのこっているのが
僕と、早川さんと、山ちゃんだ
寂しくなった。

だが、僕も出発しないといけない、
明日出発することに決めた。

朝、山ちゃんとネパール大使館に申請していたビザをもう一度取りに行く。

その後、自転車に自転車バックをつけた。これは、圭さんに借りたものだ。

つけてみると、人民自転車キャリアでは大きすぎてつかない。
そこで、人民自転車キャリアに細い棒をつけてもらうことにした。

紙に絵を書いて説明する。

伝わったかどうか不安だったが、任せておいた。

できあがってみると、いいできだった。

精度とかは悪いのだろうが、何も無いところから
作り出す力というのは、発展途上国の人のほうがすごいのでは。

その後、自転車のツアーの話し合いに行く。
行ってみると、日本人が僕と、幸さんだけだった。
幸さんが、「なんかあったのかなぁ、日本人だから時間どおりにくるはずなのに」
といっていた。確かに。
知らず知らずのうちに、人種というのは感じてしまう。

途中でよしさんがきて話をする。
僕は、行かないことに決めた。

ルートはメインの許可証を持ってなくてもいける道ではなく、
ギャンツェという、非開放の許可証がひつような町もとおる予定だ。
情報では、そこに検問ができていたとのこと。
また、
ネパールへいくひとはシガツェで許可証を取る必要があるが、
いまでは、簡単に個人で取れないといううわさもあった。
が、つかまったらつかまったときだ。
行ってみないとわからない。
そのことは、ここで、身にしみるほど教えられた。

よしさんはツアーで行くとのこと。
圭さんや、楠さんは個人で行くとのこと。

その後、自転車で旅をしてきた、圭さんや、楠さんにいろいろと話を聞く。
食料も買った。

さあやるぞ。

部屋に帰ると、早川さんも明日しゅっぱつのとのこと。
彼は、雲南の方をとおっていくとのこと。
なんか、いろいろと、ぶつかったりしたり、
よほど、僕が危なっかしくみえるのか、
「しっかりしていない」とよく言っていた。

ほんとあまり合わない人だったがためになる人だった。
会えて、一緒に旅ができて本当に良かったと思う。
やはり、分かれるときは感慨深かった。

また、残りの一人山ちゃんももう少ししたら
出発するとのこと。
行き先はネパール

シガツェで会おうと約束をした。
山ちゃんが「シガツェでオカチャンをまっている」
っていってくれた。
うれしかった。

その後、みんなでご飯を食べに行った。
ラサでの最後の晩御飯だ。

結局今日も飲んだ

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【2001/10/17 水曜日 ラサ-->カンパ・ラ手前】

・チベット人
 早朝、早川さんが出発する。
早川さんは、またお金をためてカイラスを目指すとのこと。
がんばってほしい、だれよりもカイラスに行くために
がんばっていた。公安まで話を付けに行ったぐらいだ。
この頑張りが実を結んでほしいと思う。

見送った、

さて、僕も行こう!!

山ちゃんが最後に
「早川さんは、オカチャンのことしっかりしていない
っていうけれども、しっかり考えてると思うよ」といってくれた。
なんか、うれしかった。

絶対にまた合いたいと思った。
シガツェで会おう。

その後、サイクリスト、ジャスティンと、幸さんに挨拶に行った。
幸さんがかなり心配してくれていた。

その後、ヤクホテルにいき、お世話になったサイクリスト
圭さん、楠さん、よしさん、また、大賀さんや、最初にチベットに入るときに
一緒だった河上さんにも挨拶した。

ある人はがんばれといってくれたし、
ある人は途中で会おうといってくれた、
ある人はからかってくれたし、
ある人は助言をしてくれた。
なんか、ほんと、みんなの気持ちがうれしかった。

こんな、天上の国のでみんなと会ったことがうれしい。

さあ、これからは一人だ。

出発する。

どんな状況かわからないやけに心細い、気分が、
が、やけにここちよい。昔の自転車で旅をしていたときの
気持ちがよみがえる。

がしんどい、高所だからか、運動不足だからか、
ぜんぜん足が回らない。
距離が稼げない。まだ舗装路なのに、

日本では時速20kmぐらいで走れるのに
いまはおそらく13kmぐらいでは・・・。

今日は、最初の峠の途中かいくつか走ったところまで行こうと思った。
それには、最初検問があるといわれている、橋を超える必要がある。

それに向かって調子よく進んでいたが
自転車の調子がおかしい。

カタカタなっている。
圭さんの話で中国の自転車ってペダルがすぐ壊れるよと
いっていたので、ペダルは変えを持ってきていた、
多分それだろうと思っていると、いきなり
クランク(自転車のペダルの縦の棒)が取れた・・・・・・・

なぜ、乗って1日だよ。
普通、新車だったら壊れないよ・・・

唖然とした、

ここで引き返すべきか、進むべきか、
先には町があるが、部品や、自転車屋さんがあるかどうか


ここまできて引き返せるか!!
もし、こわれたらヒッチをすればいいんだ!!

ペダルを石でたたいて進む。

町があり、自転車修理屋を探した。
そこで修理してもらい、そのまま出発。

橋があった。門番がいた。
ここは大丈夫ということも聞いていたが
情報が古いので怖かった。

衛兵もいたが、何もおきなかった。

大丈夫とわかりながら、橋をわたり終えてから、橋が見えなくなるまで
スピードを上げた。

そして、峠の下でテントをはる。

テントをはっていると、チベット人の子供がきた。
写真をとってくれとか、食べるものくれとか、
タバコくれとかいってくる。

なんか、すごくいやな感じの子供だ。
最初はかわいいなぁって思っていたが
顔付きがいやらしくなってきたと思う。
子供特有の、悪いことしても大丈夫だという顔だ
テントに入るが、顔を突っ込んでくる、

昔友達が日本の公園でテントをはっていたときに
石をぶつけられたことを思い出す。

最初はゆっくり帰れといっていた。
そのうち暗くなって帰っていったが
今度は人数が多くなってきた。

てきとうにあしらっていると
外に置いていたザックをあけている様子。

怒ると、逃げていっった。

が、なんと、ビスケットを大部分取られてしまった。
なんか、ショックだった。

僕の心の中のチベットはもっとちがっていたが、
これが現実だった。

なんか、何も知らない民族に経済というものに巻き込むと
ここまでいやらしく、誇りがなくなってしまうのか!!

このことで思ったのは
やはり、子供ということで甘やかしてはだめだ。
日本と違い、相手をすべて信用するということはしてはだめだ!!
自分の気持ちを強くして、ある程度疑い、戦うことが必要だ。

一番こわいのはさびしいけれども人間なのだから・・・


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【2001/10/18 木曜日 カンパ・ラ手前-->ヤムドク湖】

・カンパ・ラ
さあ今日は最初の峠を越える日だ!!

ここで、全体的なコースの予定だが

ラサ-->カムバ・ラ(ラとは峠という意味)-->ヤムドク湖
-->イエ・ラ-->プーマユムツォ(湖)-->マンダ・ラ(ここで引き返す)
-->イエ・ラ-->カロー・ラ-->ギャンツェ-->シガツェ
-->ラツェ-->ラクパ・ラ-->ティンリー-->シェーカル
-->ラルン・ラ-->ヤーレシュン・ラ-->ニュラム-->ダム-->ネパール

という予定だった。

今日は最初の峠カムバ・ラを越える。
この峠は4800ぐらいあり、これ以降の峠も
5000mあるものばかりだ。

登り始める、この自転車には小さいギアがないため
きつい。
朝7:00ぐらいから登り始める。
そういえば今日、河上さんがここをランクルツアーで越えていくとのこと。
それまで半分ぐらいまでいってやると思っていた。
がすぐに、自転車をこげなくなる。

そうしているうちに1時間ぐらいで自動車が追い抜いていった。
河上さんだ。手を振ってくれた。
なんか、寂しかった。一人っていうことを感じた。
それに、昨日きた距離をたかだか1〜2時間できた。
いいさ、自転車は自転車の楽しみがある。
先に自転車で行った忍さんや、清原さんもがんばっているのだ。
がんばろう。

歩く、道端を見てみると、横に数字の書いた石碑がある。
なんだろうと思っている、と
それは、距離だった。
時速を図ってみるが
遅い・・・2km/h・・・・
普通に歩くよりも遅い

あのカーブまでとおもっていくと、また次のカーブがでてくる。
次の山がでてくる。

昼までにこえようとおもうが、時間がどんどんすぎていく。

頭の中では、がんばる理由とやめた時の理由がぐるぐる回る。

腹が減った。昨日食堂でつめてもらった飯を食う。

高度がだんだん上がっていく。
世界がオレンジ色に変わっていく。
寒くなっていく。

最後のカーブを曲がった。
そこには、夕日に照らされた湖が・・・
綺麗だった。
すごく綺麗だった。

このためにがんばってきたと思った。

時間を見てみると結局ついたのが、6時。
25kmほぼすべて押した。

写真をとって下る。
下っていると、車輪がおかしい。
みると、パンクだ。

今日はついていない。
湖までなんとか走りそこでキャンプ
めっちゃくちゃ寒い。

店がなかったので、今日は晩飯はビスケット
コンロがほしい。
あったかいものが食べたい。


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【2001/10/19 金曜日 ヤムドク湖-->カロー・ラ手前】
・いろいろなチベット人
朝起きる

すばらしい風景だ。
こういったものをみると、来てよかったと思う。

パンクを修理して走り出す。

すると、また、クランクががたがたいいだした。
途中で石をぶつけながら走る。

平地なのにスピードがでない。
体が重い。

この文では予定を変えないといけない。
変えようと思った。

走っていると、町が見えてきた。

ガイドブックにはペェデ村(美しい村)とかかれている。
いやがおうにも楽しみになってくる。

飯をくっていないのでへろへろで着く。

一言目は、「食堂ない?」

村の子供「有るよ」

ついていってみると、店屋が

あるものは、カップラーメンのみだ

辛とかかかれている、かなり辛そうなものだった。
これを買う。そうすると、近くからお湯を持ってきてくれる。
みんなが集まってきてくれる。

腹が減っているのだったら。もう一杯たべろっていってくれた。

みんなの目をみる、怖くない目だ。
いやらしくない目だ。

好奇心でみている。

店屋の前で、みんなに見られながらラーメンをすする。

子供が僕のものを見たいのか、取ろうとすると
大人がしかる。

やはり大人がしっかりしているところは、子供もしっかりしている。

この町は今思うと、チベット人しかいない町のような気がする。
こういった感じが昔のチベットなのだろうと思う。
昨日の子供も思い出す。

この差は・・・

手を伸ばしてみんなで写真をとる。

楽しかった。

本当に美しい村だった
心が美しい村だった。

その後、次のカロー・ラを目指す。
この間も何度もクランクがはずれる。
クランクを変えてもらいたいが、そこまでパーツがある村が見当たらない。
とてもじゃないが、プーマユムツォなどいけない。

ということで、カロー・ラを越えて、ギャンツェを目指す。

途中でチベット人にあう。
なんか、呼び止められる。
どこ行くのだとかそんな会話。
写真を取らしてもらう。
そのあと、なんか、食べ物をくれとのこと。
それが目的だったのか・・
けど、いやみなところが無かったのでビスケットをあげる。
なんか少し悲しかった。

日暮れまでぎりぎり走り峠の手前でキャンプつかれた。


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【2001/10/20 土曜日 カロー・ラ手前-->シミ・ラ手前】

・カロー・ラ
朝起きると、一人チベット人が自転車ではしってくる。
野良仕事へいくとのこと。
なんかまってくれている。
一緒に走っていったがついていくのがやっとだ。
なんで、こんな坂で人民自転車でそれだけ走れるの?
また、なんかせびられるのかなぁとおもっていたら
なにもなかった。
ちょっと警戒してごめん。

いろいろな人がいる。

峠を越えて、下る。
あとはギャンツェまで下るだけだ

と思ってもう一度地図を見る。
すると、もうひとつ峠が・・・
シミ・ラ

かなりショックだった。

峠の手前でキャンプを張る。


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【2001/10/21 日曜日 シミ・ラ手前-->ギャンツェ-->シガツェとギャンツェの途中】
・楠さんとの再会
朝起きてキャンプをでる
やはり、坂ではまったくこげないので、
すべて押す。

そうしていると、後ろから、声が
「岡田さん」

なんと、楠さんだ。

2日も遅れてきて、追いついたらしい。
すげーはやい。
ここぞとばかりに、いろいろとしゃべる。
この自転車のことなどを。
すこし気分がはれた。

峠で写真をとって、シガツェで会おうといって分かれる。
さすが、早い。荷物もわんさか積んでいるのに。

ギャンツェまでがんばる。
クランクが何度か外れる。

カタカタいうが、気づかなかった振りをする。

この先、ギャンツェで検問があるとのこと。

パーミットは持っていない。

どうなるかなぁ、どうにでもなれ。
と思っていく。

が、検問が無かった。 ラッキー

何とかなりそうだ。

ギャンツェでクランクを交換する。
すばらしい。
全く外れる気配がない。
普通のことだが、ここでは、すばらしく感じる。

このあたりから、少し気管の調子が悪くなる。
去年のエベレスト街道でも鼻のおくが切れて
鼻水に血が混ざってかたまってしまうという
ことがあった。

やはり出てきた。
これが気管に詰まってしまうとと思うと・・・怖い。

ギャンツェからシガツェまでは、工事で道が悪いと聞いていた。
出てみると、すばらしい道だった。
時速25kmはでているだろう。
このぶんだと、今日中にシガツェにいけるのでは

と思っていたが、工事の人がちらほら見え始め
めちゃくちゃ悪い道に変わってしまった。

うってかわってぜんぜんスピードがでない。

ぎりぎりまで走ったが、ギャンツェとシガツェの半分
いけなかった。

途中で道を聞いたが、なんかさっさとあっちいけという
感じでおっぱらわれた。
やはりいやなチベット人は街道沿いに多い。

気のいいやつが話し掛けてきたりもしたが、
いやなチベット人率は街道沿いがダントツだ。

これはジャスティンと幸さんのHPで幸さんも書いていたが
この道がいちばん、旅行者がとおる道で、それがチベット人が
おかしくなった、誇りが無くなった原因の一つかもしれない。
ということを書いていた。
そのとおりだと思う。複雑だ。

今日は、道の横の広場で休んだ。

明日はシガツェだ!!

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