米国のBSE(第八報):強まる米国牛肉輸入再開圧力―それは正当化できるか

農業情報研究所(WAPIC)

04.1.16

 新聞報道によると、外食チェーンで構成する日本フードサービス協会は15日、米国牛肉の輸入停止による食材調達の困難から来る外食産業の危機を回避するために、「19日以降、会員438社に『国際基準では危険部位と分離した牛肉は安全』などと書いた店頭チラシを配り、・・・近く、米国政府に『日本政府の要望に沿った安全確認の方法を日本側に出してほしい』という内容の要望書を提出する」ことを決めた。また、協会の副会長である安部修人・吉野家ディー・アンド・シー社長は、「『”安心”のために『全頭検査』という言葉を使ったため、消費者は唯一の安全手段と認識している。正しい”安全”を知らせる必要がある』との持論を述べ、消費者に正しい知識の普及を図る必要性を説いた」という(毎日新聞朝刊・1月16日、8面)。

 消費者が「全頭検査」を「唯一の安全手段」と認識しているかどうかは分からないが、一部政治家が、全頭検査をしているからわが国牛肉の安全性は「保証」されている、と声高に叫んできたことは確かであり、これが間違っていることも確かである。全頭検査という迅速に結果を出す必要のある大量の検査を可能にする現在の検査技術には「検出限界」があり、この検査ですべての感染牛を発見できるわけではないからである。このことは、今までにも繰り返し述べてきた。

 だが、15日に参議院議員会館で開かれた米国のBSEに対する日本政府の対応を問う市民集会で、参加者の多くが米国による「全頭検査」の導入を輸入再開の絶対的条件とすべきであり、この条件が受け入れられない限り輸入再開を認めるべきではないと強く主張していた。そこで、筆者は、農水省・厚労省・食品安全委員会を代表して集会に参加した担当者に対して、「検査によって安全は保証されるのか、感染牛すべてを発見できるのか」と聞いた。彼らは、現在の検査には「検出限界」があるので感染牛すべてを発見できるわけではない、そのために「特定危険部位(SRM)」を除去しているのだと明確に答えた。つまり、全頭検査そのものが安全「保証」の手段とはならないことを、これら役人もはっきり認めたわけだ。

 しかし、このような「正しい知識」が全国民に伝えられているとは限らない。この点では担当省庁の努力が不足していることは明らかだ。もっと悪いことに、多くのマスコミが「全頭検査」をしているから日本の牛肉は世界一安全という全頭検査「神話」をばら撒いている。あたかもそれが「国際基準」であるかのごとくに。筆者の目に触れた最近の記事をあげれば、『サンデー毎日』(1月25日号、39頁)は、「当然のことながら、禁輸措置をとった国は米国に対し、国際基準でもある全頭検査の実施などを要請」、「『全頭検査など国際基準に応じる必要はない』と主張し続ける米国」など書いている。とんでもない事実誤認がある。さらに、16日付の大『朝日新聞』は、国連食糧農業機関(FAO)が日本が行っているような全頭検査を世界各国に要請したなどと、あたかも全頭検査が権威ある国際機関の勧奨するところであるかのように偽る。しかし、FAOが勧奨したのは、「死んだ牛、通常とは異なる屠殺で殺された牛の全頭検査」と「30ヵ月以上のすべての屠殺牛」の検査だけである(国連食糧農業機関(FAO)、BSEで死亡牛全頭検査を勧奨,04.1.14)。安部社長の主張はもっともなことだ。

 だからといって、協会の「国際基準では危険部位と分離した牛肉は安全」という主張が必ずしも正しいとは限らない。これが100%安全という意味ならば、完全に間違っている。科学的にはBSEの病源体も確認されているわけではなく、BSEについては分かっていないことだらけだからだ。人間への伝達のメカニズムも分かっていないし、支配的見解に反し、牛のBSEが人間に伝達したとされる変異型クロイツフェルト・ヤコブ(vCJD)はBSEと無関係とする主張さえ残っている。危険部位以外の感染性も完全に解明されているわけでもない。せいぜい言えることは、現在までに確認されている特定危険部位の除去により、リスクを大きく減らすことができる可能性があるということである。

 しかし、これも、SRMが適切に定義された上で、完全に除去されていなければならない。SRMの定義は国・地域により異なっているし、BSEの発生状況によっても違ってくる。これを適切に定義するのは簡単なことではないが、米国の定義には明らかに問題がある(特に牛の月例と扁桃-舌への附着の問題→米国のBSE(第六報):農水省、米国牛肉輸入条件を検討、安全レベル向上はゼロ)。同時に、屠殺・食肉処理の過程で、現実にはSRMが完全に取り除かれない恐れがあるし(厳正に検査している英国では脊髄が附着した輸入肉がたびたび発見されている)、この過程で偶然に食肉部分がSRMの破片に汚染されることもあれば、解体処理後になお骨に残存附着する僅かな肉を機械的に回収して得られる機械的回収肉(MRM)や先進的食肉回収(AMR)システムによる機械的回収肉からSRMの破片を完全に除去することも難しい。このようなことが起こり得ないように保証されてのみ、SRMの除去はリスクを大きく減らすことができるだろうと言えるのである。米国牛肉について言えば、これらすべての点で問題が解消されていないし、問題解消には多くの時間が必要であろう。

 しかし、このようにしてもなお残るリスクがあり得るという「不確実性」がある。そのために、考えられるあらゆる手段が実施されてきたし、リスクの限りない軽減に向けての手段の模索は今後も続くであろう。リスクを完全になくす手段はBSEを撲滅することである。そのために、感染源になると見られる肉骨粉の禁止、牛以外の動物に与えられる肉骨粉入り飼料の混入(交差汚染)防止策、レンダリングにおけるSRMの排除と感染性低減措置などが実施されるようになった。しかし、今までのところ、BSE撲滅には成功していない。

 従って、BSEに感染していると判明した牛や感染している疑いがあり得る牛を人間と動物による一切の利用から排除する措置が取られる。監視制度や固体識別システムの助けによって発見されるBSEに感染している牛やその疑いが持たれる斃死牛を完全に廃棄することは、まさに「国際的」常識である。しかし、これらの牛すべてを発見することは難しい。この問題は、潜伏期間の一定時期以後から発見が可能になる検査の導入により大きく改善された。だが、それでも見落とされる感染牛からくるリスクを減らすために、SRMの除去が必要になる。

 FAOが各国に対して、1)農用動物、少なくとも反芻動物への肉骨粉給餌の禁止、2)飼料工場での交差汚染の厳格な回避、3)特定危険部位の除去と廃棄、4)レンダリング産業における異常プリオン不活性化措置の確保、5)[通報を待っての受身のではなく]能動的サーベイランスと個体識別・トレーサビリティーの実施、機械的回収肉の禁止などの予防措置の徹底を求めるとともに、BSE発生状況を正確に知るための「死んだ牛、通常とは異なる屠殺で殺された牛の全頭検査」を勧奨したのは、まさにそのためだ。これに、「30ヵ月以上のすべての屠殺牛の検査」を加えることで、リスクは考えられる最小限にまで減らすことができるというのである。未解明なBSEからくるリスクは、現在、このような多重の「保険」をかけることでしか軽減できないとされているのである。

 ところで、これらすべての点において、現在の米国の政策がアナだらけであることは、既に何回も述べてきた。それが早急に改善される見通しはないし、こうした措置の徹底に強く抵抗する産業界の意向を受けた米国政府にはその意思もない。外食産業界は早急な輸入再開を目指して「安全確認の方法」の提示を米国政府に求めるというが、この現状では「安全確認の方法」などあり得ない。

 筆者が懸念するのは、むしろ、こうした時間と費用のかかる基本的対策はそのままに、米国政府が「全頭検査」(恐らくはFAOが勧奨するような30ヵ月以上の牛の)を受け入れた場合の日本の対応だ。例えば、ダウナー牛の食用屠殺禁止で、今後、屠殺場に出てくるこのような危険な牛の数は激減するであろう。その多くは悪徳違法業者に販売されることになるだろうという。それが食用に利用されないという保証はない。このような事態を避けるためには、牛の固体識別・トレースのシステムを確立するとともに、屠殺場を年に何回か訪問して監視してきただけの監視官の数を大幅に増やし、日本人の想像を絶する広い国土に分散したダウナー牛を見つけ出さねばならない。今後はレンダリング工場で監視するというが、それだけでは、今年は3万以上に増やすというこうした牛の検査のためのサンプルを集めることさえ心もとない。多くのダウナー牛が野放しにされるとき、どうして米国牛肉の「安全性」など主張できようか。

 飼料規制の遵守状況を確認するためには、現在はほとんど行われることのない実際の飼料検査をしなければならないし、現在はないにも等しい交差汚染防止策も講じなければならない。これらの厳格な実施の費用は、簡易検査(現在はまったく存在しない)の導入による「全頭検査」よりも高くつくであろう。だから、切羽詰まった米国政府が、高いコストのかかる安全措置の厳格な実施の代替手段としての全頭検査を提案してこないとも限らない。このとき、日本政府は、今ままでの主張の手前、これを飲まざるを得なくなる恐れがある。

 ただ、米国農業者団体は、全頭検査には激しく抵抗する可能性がある。牛・豚の飼養者とワタ・コーン・小麦・大豆などの主要作物の生産者を代表する米国最大の農業者団体・全米ファームビューローの年次大会に集まった660人の農業者を対象とするロイター社の調査では、66%が屠殺場・レンダリング工場での義務的全頭検査に反対を表明したという(Poll:Farmers Oppose Testing All Cattle,Favor IDs,Reuters,1.13)。コストの問題だけでなく、そんなことすれば「パニック」を引き起こすだけだという。これ以上のBSEが見つかれば、それによる損害は計り知れないと恐れているようだ。これでは牛肉産業の利益のために安全を犠牲にしてきたといわれる政府も動きようがない。他方、59%はすべての牛の義務的固体識別システム導入を支持したというが、安全対策を怠ったこのようなシステム導入には、安全対策としての意味がない。

 とすれば、米国政府が全頭検査を提案するかもしれないという懸念は杞憂に終わるかもしれない。しかし、30ヵ月以上の牛の全頭検査の可能性は考えて置かねばならない。これはFAOの勧奨でもあるから、日本も無闇に拒絶するわけにはいかない。

 これとSRMの除去とを組み合わせた提案が出てくれば、日本政府の対応は非常に難しくなる。米国はSRMとすべき中枢神経組織を30ヵ月以上の牛に限定しており、その科学的根拠を示しているが、どこで区切るべきかという確たる科学的根拠を示す知見は確立されていない。日本政府は30ヵ月以上とすることには難色を示しており、EU並の12ヵ月以上とすべきという主張もある。だが、これは多分に「予防原則」的色合いが濃いもので、米国は「予防原則」排除のチャンピオンだ。同時に、30ヵ月未満の牛を含めれば、どこで月齢を区切ろうと、米国には実施困難だ。個々の牛の月齢を迅速・正確に識別できるシステムが存在しないからだ。SRMを30ヵ月未満の牛の中枢神経組織にまで広げれば、結局は、全頭の中枢神経組織を除去しなければならなくなる。米国が日本の主張を飲むことはないだろう。輸入再開を急げば、結局日本が折れることになる恐れが強い。

 安全を犠牲にするのでなければ、長期戦を覚悟、FAOの勧告と勧奨を米国が受け入れ、漏れなく実施するまで輸入再開を待たねばならない。そうでなければ、外食産業が主張するような米国牛肉の安全性は立証されない。

 関連情報
 国連食糧農業機関(FAO)、BSEで死亡牛全頭検査を勧奨,04.1.14
 
米国のBSE(第七報):監視・検査の強化、特定危険部位除去の問題点,04.1.13
 
米国のBSE(第六報):農水省、米国牛肉輸入条件を検討、安全レベル向上はゼロ,04.1.8
 
米国のBSE(第五報):米国農務省、BSE対応新措置発表、北米でのBSE再生産の可能性も高まる,03.12.31
 
米国のBSE(第五報):専門家会見、感染牛はカナダ産、北米牛肉は安全,04.1.7
 
米国のBSE(第四報):牛肉輸入再開条件に苦慮する日本政府―最低限何が必要か,03.12.27
 
米国のBSE(第三報):英国研究所、ワシントン州の牛をBSEと確定診断,0312.26
 
米国のBSE(第二報):崩れる消費者の信頼、最大の心配は先進的機械回収肉(AMR),03.12.26
 
米国のBSE(第一報):初のBSE発生か、影響は測り知れず,03.12.24

農業情報研究所(WAPIC)

グローバリゼーション 食品安全 遺伝子組み換え 狂牛病 農業・農村・食料 環境